第六章(15)
剣と剣が弾き合った瞬間、ラドニスの手が伸びエリスの胸ぐらをつかむ。
そのまま振りかぶり、
「うおおおっ!」
渾身の力でかたわらの建物へと叩きつけた。
有無を言わせずエリスの体がレンガ壁を突き破る。衝撃によって周囲のレンガも砕け散り、粉塵と砂煙を巻き上げた。
「旦那ぁぁっ!」
粉塵を突っ切り刃を物ともせず飛び込んだザットの拳が、ラドニスの眉間を痛烈にとらえる。
「ぐっ!」
めまいを起こしたようによろめくラドニス。間髪を入れずにヒザを曲げるザット。
跳躍しながら、アッパーの軌道でアゴを打ち上げた。
ラドニスの両足がふわりと浮く。ザットはその足を地につかせず、彼の胴体をつかみ上げた。
「おおおおりゃぁっ!」
裂帛の気合いと共に、そのまま別の建物へと投げつける。
こちらは簡易な木造だったらしく、ラドニスの体はやすやすとその壁を突き抜けた。
すでにそちらからは視線を外し、ザットは穴の開いたレンガ壁へと駆け寄る。
「大丈夫ですか、姉御!」
もうもうと砂煙が立ち込めるレンガの小山。彼女の姿は見えない。
すると不意にその中から、地面から芽が生えるように、にょきりと片腕が突き出された。
ザットは慌ててその腕を引っ張る。
今度は地面から大根が引き抜かれるように、エリスの全身が月明かりの下にさらされた。
「大丈夫。この通りな」
と、頭からだくだくと血を流した彼女が答える。
流血はまるで汗のように、砂利まみれの髪と顔を濡らしていた。
地に立った足取りもどこかおぼつかないように思える。
大丈夫なわけはない。しかしザットが気遣う暇もなく、ラドニスが木材の中から這い出してきていた。
「なぁ、ザット」
短く、エリスが悪だくみをするようにささやく。
ザットの手に、何かを握らせた。
「ケガの功名ってのは、あるもんだな」
◆
「荒っぽい攻撃しやがってぇっ!」
エリスの剣が三日月の軌道を描く。しかし空振り。返した手首で放った二撃目が、ラドニスの切っ先と弾き合った。
「おかげで前髪がぐしゃぐしゃだっ!」
「なりふりを構ってもいられなくてな」
エリスと同じように、ラドニスの顔にも血が滴っている。ザットの拳撃によるものか木材との衝突によるものかは定かではないが、出血量はずっと少なかった。
「そりゃ結構!」
何度も剣を打ち込むたびに、エリスの脳裏には、彼の教えの数々がよみがえってきていた。
――切っ先まで体の一部と思え。相手の呼吸を感じ取れ。足つきは鋭く、手つきはしなやかに。百の攻めと千の守りを持て――
そのひとつひとつが湧いては消え、エリスの体を駆けめぐる。
そんな教えの意味するところが、今になってようやく理解できた気がした。
なにより目の前にいる本人が、それを実践しているのだから。訓練の時などとは比較にならない精度と錬度で用いている。身をもって、とはまさにこのことを言うのだろう。
はじめからこうやって教えてくれりゃぁ手っ取り早いものを、とエリスは無意識に笑みをこぼす。
だが、その教えには頼らない。
教わる通りものだけでは、彼に追いつきこそすれ超えることなど出来ないのだ。
「はあっ!」
ラドニスの稲妻のような振り下ろしが迫る。
エリスは跳びずさって避ける――が着地際で、貧血を起こしたようにくらりと体勢を崩してしまった。
立て直せずに尻餅をつく。
再び剣を掲げたラドニスが、その目前にそびえ立った。
「これで『一本』だ」
見下ろす視線。
「ああ。取ってやるぜ」
不敵に見上げ返すエリス。
剣が振り下ろされる寸前、その間合いにザットが突っ込んできた。
ラドニスは瞬時に剣の軌道を曲げ、彼を迎撃する。
切っ先がザットの体に到達した瞬間――ガキリ、と硬質な音がラドニスの耳を打った。
「!?」
得物を伝う手応えも、硬いはずだ。ラドニスは目を見張る。自身の剣を受け止めたのは、ザットの手に収まった『レンガ』だった。
予期せぬ手応えに、体が反射的に硬直する。
「荒っぽい返しっ!」
その隙を狙いすまし。至近距離のエリスが、跳ね起きざまに愛剣を叩き込む。
「…………!」
ラドニスの右腕がばっさりと斬り裂かれ、大量の血が噴出した。
レンガとはいっても、片手で持てるくらいの小さな一塊である。
それひとつで剛剣を受け止めるべく飛び込んできたザット。そして彼が受け止められると踏み、迷わず斬り込んだエリス。
ふたりの蛮勇に、ラドニスはたまらず口端をつりあげた。
「……ついに、一本取られたか」
剣は左手だけで握っている。
右腕は肩口から肘の先まで斬られ、動かそうにも動かせなかった。
「だいぶ時間は、かかったけどな」
エリスもニヤリと口角を上げる。しかし表情ほど余裕なわけはなく、先ほどから『やじろべえ』のようにフラフラと体を揺らしていた。
頭からの出血は依然として止まっていないようである。このまま倒れるのも恐らくは時間の問題だろう。
果たして自分が倒されるのとどちらが先か……ラドニスは表情を引き締めなおした。
「だが私は、こうして立っている。まだ戦いは……!」
言葉の途中で、ラドニスの目が見開かれる。
視線はエリスたちを見ていない。ふたりの肩越しに後方へと向けられている。
エリスとザットは、反射的に背後を振り向いた――
◆
エリスとザットとラドニス。三人の戦いがまだ続いていたことに、その場に戻ってきたリフィクは複雑な気持ちを抱いた。
三人のうち誰も倒れていない安堵と、これから誰かが倒れるかもしれない憂い。それが絶妙に混ざり合う。
ふと、エリスが頭から出血していることに気付いた。離れたところからでも重傷とわかる。
なんとか隙を見て『回復魔術』を施せないか……とリフィクが踏み出した時だった。
彼の前方に、状況にそぐわないほど落ち着き払った足取りで、誰かが立ちはだかった。
「ずっと私たちを欺いていたのね」
「……!」
その冷酷な声音に、リフィクは全身を凍りつかさせる。
「仲間のような顔をして。羊の皮をかぶって。その下に、汚らわしい本性を押し隠していたのね」
銀の刃がきらめく。
「許せないわ。とても」
「アリー……っ!!」
リフィクは、言葉を続けられなかった。
まるで疾風のごとく。突き出されたアリーシェの剣が、リフィクの胸を刺し貫いた。
◆
――刺したアリーシェの剣が、引き抜かれる。リフィクの体が崩れるように倒れる。
その光景を目にした瞬間、エリスは驚くよりもまず走り出していた。
「姉御っ!」
はっとして追おうとしたザットへ、容赦なくラドニスが斬りかかる。
「くっ!」
紙一重のところで回避。しかしラドニスは、片腕を負傷しているとは思えないほど猛烈に、斬撃をたたみかけた。
ただ避け続けるしかないザットである。標的がひとつにしぼられたことで、ラドニスの攻撃からは一切の隙がなくなっていた。
抜け出すチャンスすら見いだせない。遠ざかるエリスの背中を一瞥し、ザットは奥歯をかみしめた。
「リフィク……!」
剣についた血を払いながら、アリーシェが振り返る。その無色な瞳が向かってくるエリスをとらえた。
「ロックブレイド」
無造作に放たれた『魔術』により、走るエリスの足元へ、ナイフのような岩塊が突き出す。
くるぶしの辺りを切り裂かれ、つまずいたようにエリスは顔面から転倒した。
「うっ……ぐ!」
起き上がろうとするも、足に走る激痛がそれを妨げる。いよいよ出血量が危険域に達しようとしているのか、焦点も乱れ始めていた。
「エリスさん。あなた自分が何をしているか、わかっているの?」
アリーシェの非難の声が頭上から降り注がれる。問いかけのような言葉だが、口調は叱責のそれだった。
うつ伏せのエリスの視界には彼女の足しか映らない。
顔を上げると、その足の向こう側に、同じくうつ伏せに倒れたリフィクの姿を見ることができた。
ローブに広がる血のシミは、急激な勢いで大きくなっている。背中を覆い、上半身を包み、下の地面にも浸透しようとしていた。
致命傷なのは明らかである。早急に手を打たなければ……。
「……お前こそ、自分がなにしたかわかってんのかっ……!」
エリスは獣のように吠えながら、重たい上半身を持ち上げた。
ヒザを立たせる。傷口から血が噴き出し、感覚がなくなるほどの痛みが襲うが、無理矢理ねじふせて両足を踏みしめた。
エリスが立ち上がったことに、アリーシェはほんのわずかだけ眉根を寄せる。
「敵を斬っただけよ」
あっさりとした返答。一切の感情をのぞかせない声だった。
「なにが敵だ、馬鹿やろう……! 仲間だろうがっ!」
吐く息も荒いエリスだが、気迫はまったく衰えていなかった。瞳に宿る激情は、大火のように燃えさかっている。
「いいえ。『リゼンブル』よ」
「『リフィク』だ!」
言葉尻で、エリスは激しく咳き込んだ。
消耗は秒単位でひどくなってきている。
「……どけよ」
「あなたが冷静になるまでは、どかないわ」
「なら押し通る!」
エリスは剣を両手で握り、戦闘体勢を取った。アリーシェはそんな彼女に哀れむような眼差しを注ぐ。
「やめなさい」
「やめるかよ。あたしの大事な子分が、そこに倒れてるんだからなぁっ!」
エリスは体が上げる悲鳴も無視し、上段から斬りかかった。
アリーシェは振り下ろされる刃を、軽く真横から払って受け流す。そして素早く剣を引き戻し、
「グラヴィティリバース!」
自分の足元に突き立てた。
直後、中心点から突風にも似た見えない力が放出される。足の踏ん張りが利かないエリスの体は、それにたやすく吹き飛ばされた。
背中から地面に叩きつけられる。
再び倒れたエリスへ、アリーシェは気遣うように歩み寄った。
「冷静に考えて、エリスさん。たしかにリフィク・セントランは私たちと行動を共にしていた。仲間に紛れ込んでいた。けど彼は敵だったのよ。あの血がなによりの証拠じゃない」
アリーシェは自分の背後へ、ちらりと侮蔑の視線を向ける。
リフィクの体から流れ出る、紫色の鮮血。それは人間とは異なったものである。
『リゼンブル』の証。
「普段通りに戦いを始めた。一体の敵を倒した。それだけのことよ。あなたが怒る理由も、私たちが戦う理由も、どこにもないわ」
優しく言い聞かせる口調。いつもと変わらない、穏やかで落ち着いたアリーシェがそこにいた。
たった今、短くない時間を共有してきたリフィクを斬り捨てたというのに。顔色ひとつ変えず、眉ひとつ動かさず、平静でいられるアリーシェ・ステイシーが、そこにいる。
彼女のそんな態度が、エリスの激昂をさらに高ぶらせた。
「……ざけんなよっ……!」
エリスは地面に縫い付けられてしまった体を引き剥がすように、よろめきながら立ち上がる。
彼女の体を突き動かしているのは、もはや意地だけだった。
「理由なんか、目の前にあるだろうが!」
正眼に構えた愛剣。その刀身から、猛々しいまでの火柱が噴き上がる。
「……!?」
アリーシェは息を呑んでたじろいだ。
「だったらこっちも普段通りだ。勝手な理由で関係ねぇ奴らを苦しめて、傷つけて、そのくせ悪びれもしねぇ。そういう許せねぇ奴には、こいつを叩き込んでやるって決めてんだ!」
「エリスさん……本気なの!?」
「知ってんだろ」
エリスは、なかば倒れるようにして踏み込んだ。
「あたしが本気じゃなかった時なんて、ねぇよ」
炎の刃が振りかぶられる。
「受けろよアリーシェ! オーバーフレアだ!!」