第六章(14)
「……だとしても、力を抜くなんてのはやりたかねーな」
エリスとザットは慎重に、両側から回り込むように位置取りを図った。
先ほどは打ち合う前だったため挟撃の形を取るのも簡単だったが、今はもう違う。少しでも気をそらせば、あの剛剣が容赦なく襲いかかってくるだろう。
「目の前にやることがあんなら、それを全力でやりゃあいいだろ。力も息も、終わってから抜いたって遅かねぇ」
「手遅れになってからでは、遅い」
ふたりの位置がラドニスから見てVの字を描いたところで、彼の眼差しが変化した。
それ以上の展開は許さぬと、物言わぬ剣先が語っている。
エリスは射すくめられたように足を止め、一瞬だけザットと視線を交差させた。
「なら、手遅れになるまでは大丈夫ってこった!」
視線を前に戻した瞬間、ふたりが同時に攻めかかる。
ラドニスの右手側からエリス、左手側からザット。挟撃とは言いがたいが、それでも彼の注意を散らすのには充分だ。
対するラドニスは、動かない。迎撃に専念するように、迫る両者を凝視していた。
こういう相手に正面から攻め込むのは危険。……とわかってはいたが、今さら引き下がる気はなかった。
歩調を合わせたふたりが、左右から飛び込む。
ラドニスはギリギリまで引きつけてから、左手側――ザットへ向けて動いた。
銀の刃が斜めに振り下ろされる。素手であるザットに反撃を許さない、切っ先だけを当てる軌道。だがそれだけに、踏み込みも浅かった。
ザットは片足の力だけで進行方向を曲げ、紙一重のところで斬撃をやりすごす。
ラドニスは即座に、その場でターンするように剣を払い、側面から斬りかかるエリスを弾き飛ばした。
そのスキに体勢を立て直したザットが、彼の背中へ蹴りを放つ。
さすがにその波状攻撃はさばき切れずに、銀の鎧がいびつに凹む。痛打の衝撃までは防げず、ラドニスは苦悶の息を漏らして間合いから逃れた。
「……『あの技』は使わないのか?」
刺すような眼光を、エリスへと差し向ける。
「『敵』にしか使わねぇよ」
エリスの左腕から、一筋の流血が滴っていた。
先ほどの攻防で刃が肌は撫でたのかもしれない。動かすのには、支障ないレベルだ。
「みくびられたものだ」
「バカ言え。充分、敬ってるよ。知らねぇのか? 強いあんたを、頼もしいくらいにな!」
ラドニスの眉がわずかに動く。意表を突かれた言葉だったらしい。
「オレだってそうだ!」
と、ザットがその勢いに続いた。
「時に厳しく、時にやさしく。言うのは簡単だが、剛と柔を合わせ持つのは中々できるもんじゃねぇ。それをやってのける男! 姉御の次に付き従ってもいいと見込んだ男だ!」
「そこまで言われれば、こちらも言い返すしかあるまい」
ラドニスは、ふっと息をつくようにして言い放つ。
「エリス・エーツェル! お前を見ていると、どうにも娘を重ね合わせて目をかけてやりたくなる。そしてザット・ラッド! 昔の自分によく似ていて、懐かしくもあり親しみを抱く」
意外な反撃に、ふたりも同じく眉を上げた。嘘にしろ本音にしろ、初めて聞いた言葉である。
「戦意が揺らいだか?」
挑発するようにあざけるラドニス。
「全然!」
「まったく!」
エリスとザットは、意気揚々と笑い飛ばした。
「よかろう!」
わずかな休息の時間が終わる。呼吸を整えたラドニスが、今度は自ら斬りかかってきた。
◆
そんな三人の戦いを、固唾を飲んで見守っているリフィクである。
面持ちは悲痛だが、決して目をそらすことなく見つめ続けていた。
それが自分にできる最大の応援、というように。
その時。リフィクの片腕が、誰かによって強く引っ張られた。
「!?」
小路に引き込まれても力は弱まらず。リフィクはそのまま、つられて走る格好になった。
自分の腕をつかむ腕。そこから伸びる男性の背中に、リフィクは「ブルフォードさん……!」と戸惑いの声をかけた。
「こうなった経緯については問わん」
ブルフォードは振り返りも立ち止まりもせずに言う。その簡潔な言い回しが彼の心情を表しているようで、リフィクは返す言葉を飲み込んだ。
「今はとにかく、安全なところに避難するのだ」
「……しません!」
しかし迷ったのも一瞬。リフィクは彼の腕を振り払い、追従する足を止めた。
「なに!?」
ブルフォードも驚きをもって足を止める。振り向いたその表情には、理解に苦しむという困惑が浮かんでいた。
「リフィク君……! この状況がわからないわけあるまい。仲間のフリをしていた連中だからと、見逃してもらえるとでも思っているのか!?」
「思ってません。誰かに斬りかかられるかもしれない……それは承知の上です」
「ならば」
「それでも!」
ブルフォードの言葉を完全に食い、リフィクは強い口調で訴えた。
「こうなってしまった責任だけは、果たすつもりです」
「責任だと……?」
「そのために尽力してくれている人たちもいます。だから僕のことはお構いなく、他の人の避難をお願いします」
だいぶ来てしまった道を引き返そうと踵を返す。ブルフォードはその背中に、
「君に何ができるというのだ」
と投げかけた。
「何ができるかはわかりません。でも僕はまだ、何もしていませんから」
リフィクは「それでは」と小さく頭を下げ、ふたりのもとへ戻るべく駆け出した。
◆
弦を引く指が震える。それは決して恐怖や緊張のせいではないのだと、レクトはわかり始めていた。
彼の前方では十人ほどの『リゼンブル』と、その半数程度の銀装戦士とが攻防を繰り広げている。
数と力では劣っているが、そこはさすがに歴戦の銀影騎士団である。互角どころか完全に相手を圧倒していた。
それもそのはず。相手の『リゼンブル』には戦術的な動きはおろか、まともに武器を扱ってる者のほうが少なく見える。
戦闘そのもの、そして訓練にしても、さほど経験していないのだろう。持ち前の身体能力でそれなりに対抗してはいるが、冷静に見極めれば素人同然である。
制圧も時間の問題だろう。
「……」
レクトは黙々と援護の矢は放つ。
すとん、と、何にも命中せず建物の壁に突き刺さった。
終始こんな調子だ。
意識を集中し直し、狙いもつけ直し、再び射る。
今度は『リゼンブル』の肩口をかすめ、わずかに紫色の尾を引いた。
その負傷に気を取られた隙を突き、前衛の刃が『彼』を斬り裂く。
悲鳴はレクトのいる位置まで届き、飛び散る血の軌跡、人間とさして変わらぬ体が地面に沈み込む様も、はっきりと見ることができた。
「よくやった、レクト」
仲間の誰かが言う。
手の震えがいっそう強まった気がした。
彼の体を支配しているのは、明らかな迷いである。
『リゼンブル』は敵。『モンスター』と同じ血を引く悪鬼。決して相容れないもの。……そう思っていた。
だが、ならばこの迷いはなんだ? 彼らを討ち、血を流させ、攻め倒す。それを望んでいたのではなかったのか?
望んだことをしているのに、なぜこうも胸が痛くなる?
この期に及んで……。目の前で、自ら手をかけて、初めて頭をもたげた逡巡。揺らぐ士気。
それは猛毒のように、急速に全身へと回っていった。
体の動きが鈍る。いつしか武器は下がり、レクトはその場に立ち止まってしまっていた。
――しかしいくら圧倒しているとはいえ、そこは紛れもない戦場である。
一時の隙も許されるものではない。
「……!?」
突然背後に現れたかのように、『リゼンブル』の大男がレクトに襲いかかってきた。
いつのまに……!? しかし気付いた時にはもう目前。
巨大な斧が頭上高くに振り上げられる。
動く暇も、声を出す暇もない。レクトは見開いた目で、降りかかる刃を見つめることしかできなかった。
「スラッシュショット!」
まさに大斧に断ち切られる寸前。『リゼンブル』の男が、はり倒されるように右から左へ吹き飛ばされた。
そして武器と共に地に伏す。裂けた胴体から流れた紫の鮮血が、立ち尽くすレクトの足元にも飛び散った。
「レクトくん大丈夫!?」
パルヴィーが駆け寄ってくる。
窮地を救ったのは彼女だったのだろう。
しかしレクトは、黙って地面の血だまりを凝視していた。
「どこかケガとか……?」
怯えているわけでも放心しているわけでもない。だが明らかに様子のおかしい彼に、パルヴィーは不安顔を向けた。
負傷などは、していないようだが……と上から下まで見回す。
「……なんの血を引いているかということが、そんなに大事か……」
唐突にレクトが呟く。パルヴィーは「えっ?」と聞き返した。
そんな彼女のことなど眼中にないように。レクトは懐からナイフを取り出すと、それでためらいなく自分の左腕を切りつけた。
「なにやってるの!?」
パルヴィーが悲鳴まじりの声を上げて飛びつき、『治癒術』を使おうとする。しかしレクトは、それを強引にふりほどいた。
飛び散った赤い血が足元に落ちて、紫色の血とマーブル状に混ざり合う。
「それがなんだっ……!」
続いたのは、毒を吐き出すような怨嗟の声。
パルヴィーはびくりと肩を震わせる。
「血の色が違うというのが、そんなに大事なことなのか……!?」
それは自分に対する、責め苦のような問いかけだった。
脳裏に浮かんできたのはラドニスのこと。彼が過去に賊であったことを聞かされ、レクトは当惑した。戸惑い悩み、しかし最後には受け入れた。
過去に何があったとて、彼は彼だ。信頼に値するゼーテン・ラドニス。素直にそう結論を出した。
そしてザット・ラッドにしてもだ。出会った頃はどうあれ、背中を預けたこともある。
経歴や素性をすべて受容した上で、彼らを仲間と認めることができたのだ。
……ならば、リフィクの場合はどうなのだ?
たしかに彼は『リゼンブル』だった。しかしレクトがそれを知っただけで、彼は何も変わっていない。
共に旅してきたリフィク・セントランは、変わらずそこにいるはずだ。
変わってしまったのは、むしろレクトのほう。一緒に苦難を乗り越えてきたあの日々は、紛れもない本物だったというのに……。
たった『そんなこと』で崩れてしまうような日々だったのか? 変わってしまうような絆だったのか?
それでもなお、受け入れられないと言うつもりなのだろうか?
「……くっ!」
レクトは腕の傷にも構わず、どこかへ向かって走り出す。
「あっ……」
パルヴィーは止めることも声をかけることも出来ず、呆然とその場に立ち尽くした。