第六章(13)
「…………!?」
その光景をまのあたりにし、エリスたちは言葉を失った。
『リゼンブル』の隠れ里『パーシフィル』は、戦場と化していた。
生々しく破壊された家。立ち上る煙。響き渡る怒号、悲鳴、ときの声。
視界のいたるところで、住民とおぼしき者たちと銀の武具を身につけた者たちが、狂瀾のごとくぶつかり合っている。
いや、そんな武具など見るまでもなかった。共に旅してきた仲間たち……見知った顔ぶれである。
すでに戦端は開かれていた。アリーシェの手際の良さを、エリスはうかつにも忘れていたのだ。
「くそっ……! なに考えてやがる!」
予想されうる最悪の形が現実となり、エリスは拳を握りしめた。
「姉御、どう――」
「どうするかって? んなこたぁ決まってんだろ」
ザットの言葉を最後まで聞く余裕もなく、エリスはまくし立てる。
「始めた奴を捜す。説得する。そんで、とっととやめさせる! どうせ仕切ってんのはアリーシェだろ。あいつのとこまで行ってそうすりゃぁいい」
「しかし、説得と言っても……!」
リフィクが戸惑いながら反論した。
果たしてそんなことが出来るのか、と。言って聞くようならこんな事態にはなっていないだろうと。
「するんだよ。今はどっちとも戦いたかない。だから、話し合いで丸く収める!」
それが出来たら苦労はない。
だが。エリスの眼差しに迷いはない。この現状を打破するのに、苦労ぐらいがなんだというのだ。
「そのために、行くぞ!」
エリスは有無を言わさず、戦火の中へと走り出す。
「エーツェルさん!」「姉御っ!」
リフィクとザットは見えない糸に引っ張られるように、彼女のあとを追いかけた。
『リゼンブル』の男が、頭上に斧を振り上げる。
クレイグは振り下ろされる切っ先を後退して避け、即座に再び踏み込んだ。
左右の剣が縦横無尽に走る。
六つの剣閃がきらめいた時、男はうめき声と共にくずおれた。
花びらが舞うように、周囲に紫色の血が飛散する。
刃についた血を払う間もなく、横合いから別の『リゼンブル』が襲いかかってきた。
今度は剣。クレイグは足を踏ん張り、それを右手の剣で受け止める。
がら空きになった相手の胴へ左手の剣を叩き込む……算段だったのだが、誤算が生じた。
剣を持った男の影に、短剣を持った男が隠れていたのだ。
「……!」
突き出された短剣を、クレイグは左手で防ぐ。両手の武器を封じられ、腕力勝負に持ち込まれてしまった。
こうなったら圧倒的不利である。
もとより『リゼンブル』は、人間よりも身体能力が優れている。そして二対一。こちらは片手、相手は両手の勝負。なにひとつとして勝ち目はない。
だが、クレイグには焦りもなかった。
勝ち目はなくとも、後ろ盾がある。
次の瞬間、似通った二種類の声が重なり、『氷の槍』がクレイグの目前へと殺到した。
剣と短剣のふたりは、それに貫かれて地面にはりつけられる。
ベッカー兄弟の援護に片手を上げて応え、クレイグはすぐさまその場を移動した。
「『モンスター』のまがい物など……」
単体の能力では人間に勝っている『リゼンブル』ではあるが、所詮それだけである。強者に対抗する技術は銀影騎士団の専売特許だ。
力の差は戦い方で補える。
『モンスター』に比べれば、なんと脆弱な奴らだろうか。
そんなクレイグの前方――建物と建物のあいだを、見慣れた三つの顔が通り過ぎていった。
エリスとザット、それから『あのリゼンブル』の、三人である。
「のこのこと」
どの面を下げて出てきたのか。
しかしクレイグにとって、今は彼女たちのことはどうでもよかった。
彼女たちのことは置いておくと、他ならないアリーシェが言ったのだ。ならば自分はそれに従えばいい。
従って、目の前の敵を倒す。悪しき血を流し尽くす。人々が安寧を得られるために。
そのために、剣を振る。
クレイグは物陰からの奇襲に注意を払いつつ、敵を求めて走り続けた。
◆
団員にアリーシェの居場所を聞いても、恐らくは教えてもらえないだろう。
こちらの事情は伝わっているはずだ。剣を向けられこそすれ、である。
エリスは仕方なく、戦う仲間たちを素通りした。
言ってしまえば、やることはいつもと同じだ。『頭』を狙った一点突破。そのやり方には慣れている。
まだ戦闘が始まって間もないため、双方の被害は少ないはずだ。急げばまだ、なんとかなるかもしれない。
その時。走るエリスの横手、建物の陰から、ひとつの人影が躍り出てきた。
鎧をつけていない男。なら住民か? とそこまで認識した直後、彼が掲げていた剣が、稲妻のようにエリスへと振り下ろされた。
「!」
エリスは直感的に、走る勢いのまま地面へ飛び込む。振り下ろされた刃は後ろ髪をかすめ、すんでのところで地面へと突き刺さった。
「不意打ちたぁ行儀の良いこった!」
エリスはでんぐり返りの要領で起き上がり、素早くその男と対峙する。
「人間め、よくも……!」
『リゼンブル』の男はザットにも警戒を払うように立ち位置を変え、剣を構え直した。
その表情は、憤怒一色に彩られている。
「ひとまとめに呼びやがって!」
反論するように吐き捨てるエリス。剣は、抜かない。
男の怒りももっともだろう。だが今は、その怒りを受け止めてやる余裕はない。
もしかしたらリフィクであればこの場を鎮められるかもしれない……と彼を見た、瞬間。
それをスキと見なしたのか、男が再び剣を振りかぶり、斬りかかってきた。
「聞く耳くらい持てよっ!」
というエリスの叫びをさえぎるように――。
さらなる人影が、その場へ飛び込んできた。
鋭く重く、銀の刃が一閃される。
『リゼンブル』の男は、悲鳴を上げる間もなく斬り捨てられた。
「…………!」
その見覚えのありすぎる太刀筋に、エリスたちは息を呑む。
ゼーテン・ラドニスの両眼が、そんな三人の顔を見つめ返した。
「ラドニスさん……!」
斬撃に倒れた同胞を気遣う余裕もなく。見えない圧力に押されたように、リフィクがたじろぐ。
ある意味では、もっとも顔を合わせたくなかった人物、とも言えるだろうか。
「……よう」
エリスは彼のさげる剣に注意しつつ、探りを入れた。
「ちょっとアリーシェの奴に用事があんだけど……どこにいるか知んねぇ?」
状況が状況とはいえ、共に過ごした時間は嘘ではない。話くらいは聞いてくれるだろう。
……と考えたエリスの思惑は、しかし甘かった。
「そこの『リゼンブル』を引き渡すならば、教えよう」
ラドニスの眼光がリフィクをとらえる。
「ああ、そうかよ!」
エリスは、やはり、という思いでその視線をさえぎった。
「けど、そりゃできねぇ相談だ。自分らで探すから、そこどいてくれよ」
「こちらにも、できない相談はある」
ラドニスが、剣をわずかに動かす。
それだけの動作で、『間合いに入った』という感覚が三人の意識を打った。
「銀影騎士団の一員として、『敵』を見逃すわけにはいかない。かばい立てするなら……強硬手段も辞さない」
向けられているのは戦意。模擬戦の時などとは明らかに異なる迫力に、エリスは額に冷や汗をかいた。
「……何があんたをそうさせる」
「目の前で自分を取り巻くすべてを奪われれば、そうもなる」
「関係ねぇだろ。こいつらとは」
「関係ないという言葉で納得できればこうして剣は握っていない。銀影騎士団とはそうした者たちの集まりだ。醒めぬ悪夢の中で、いつまでも見果てぬ敵を追い続けている」
ラドニスの口調は、険しい中にも悲痛さが含まれているような気がした。まるで自虐的であるかのように。
「巨大なうねりに飲み込まれ、そうした生き方を選ばざるを得なかった者たち……もはやこの流れを止めることも、抑えることもできん」
「できねぇって言葉で納得できねぇから、こうしてんだよ」
「ならば押し通すがいい。いつものように」
ラドニスの気迫は本物である。衝突は避けられない。
退散する……ということも頭をよぎったが、時間が過ぎれば過ぎるほど状況は悪化していくのだ。今は少しの時間も惜しい。
「あたしは話し合いをやりに来たんだけどな」
「話ならば聞こう。私なりにな」
ラドニスは本格的に構えを取った。見慣れた、そしてやられ慣れた構えである。
「そうか……そんなら、話が早ぇな」
エリスは右手を腰に回し、鞘から愛剣を引き抜いた。
そこかしこで燃えている炎と月の明かりに照らされ、ライトグリーンの刃が鈍く輝く。
「エーツェルさん……!」
リフィクが息を詰まらせるように呼ぶ。
彼も知っているのだろう。数え切れないほど模擬戦をこなしたが、いまだにラドニスには勝ったことがないということを。
「なんだ? あとで聞いてやるから、下がってろよ」
しかしエリスの表情に諦念はない。開き直っているわけでも、なかった。
「無謀です……!」
「そりゃそうだ。無謀なのはわかってる。けどな、それがどうしたよ」
エリスはリフィクに顔を向け、余裕とも呼べる笑みを浮かべてみせた。
「無謀さだったら誰にも負けたことはねぇ。そいつはあたしの得意技だからな」
ふっ、とラドニスは小さく息を漏らす。
「この状況でそれを言う。その図太さは、気に入っている」
「ありがとよ。けどあんまり女の子に太いとかって言うなよ。傷付くから」
「姉御!」
とザットが、ラドニスの背後で戦闘体勢を取った。
「ラドニスの旦那には悪いが、オレも手を貸しやすぜ! 正々堂々なんて言ってられる場合じゃねぇ」
「そうだな。二対一ってのはかっこ悪いけど……」
エリスは剣を両手で握り、正面に構える。
「かっこより大事なものもある」
緑の輝き越しに見るラドニスの姿は、いつになく巨大に思えた。
月明かりの下で、緑の刃と銀の刃が交差する。
何度となく模擬戦を繰り返した相手。しかし互いの武器が変わっただけでこうも勝手が違うものかと、エリスはひそかに生唾を飲み下した。
ラドニスの後方からは、ザットが隙をうかがうべく身構えている。
普段とは違い、両手足の防具をつけていない彼だ。剣を防ぐ手段を持たないため、自然と消極的な戦法を取らざるをえないのだろう。
しかし彼の存在があるおかげで、ラドニスの注意を二分することができていた。
常に双方向に意識を飛ばしていなくてはならない。それはエリスにとって、最大級の援護とも言える。
「えぁぁっ!」
エリスが真正面から打ち込む。
がきり、と甲高い音を発して刃が噛み合う。手首を返して二撃三撃と連打するが、ことごとく阻まれてしまった。
「いつまで経っても直らんな」
ラドニスが短いモーションから、剣を横なぎに払う。
エリスはそれを受け止めた……つもりだったが、受け止めさせることがラドニスの狙いだった。
攻撃と共に、ラドニスが前進する。その衝撃に押され、エリスは後ろ足をもつれさせてしまった。
「常に力んでいるとそうなる」
「くぬっ……!」
体のバランスが崩れ、そして防御の姿勢も崩れる。
「時には力を抜くことも必要だと、言っているはずだ」
しなやかに、そして凶暴に、ラドニスは互いの距離を詰めた。無防備なエリスへ銀の刃が猛襲する。
「うおおおっ!」
とほぼ同時に、ザットの気合いの声が割り込んだ。
攻撃の瞬間というのは無防備なものだ。それはラドニスとて変わらない。
彼の剣が速いかザットの蹴りが速いか……という刹那。ラドニスは即座に反転して身を引き、ふたりから大きく間合いを離した。
「力を抜く瞬間を心得れば、こうした奇襲にも対応することができる」
今のは、力を抜いた攻撃だったとでも言うつもりか。エリスは突発的に早まった鼓動を抑えようと、深く長く息を吐いた。
ラドニスが行なったのは、それだけではない。現在エリスとザットは横に並んだ位置にいる。彼から見ると、正面の視界にふたりが収まっている格好だ。
あのたった一手で、挟撃というアドバンテージを覆されてしまったのだ。