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第六章(12)

 

「……なんだと!?」

 人間たちが逃げ出した――そして、それにリフィク・セントランが荷担していた。

 引き続き行われていた会議の席でその報せを聞き、ブルフォードは思わずイスから立ち上がった。

 同席中の数十人の住民たちも、驚きと焦りをにじませてざわめき始める。

「見間違いじゃない。俺はアイツに攻撃までされたんだからな」

 小屋の見張りを務めていた男は、息を切らしながら主張した。

 もしそれが本当ならば――本当なのだろうが――明らかな裏切り行為である。

「……」

 ブルフォードは怒りを押さえるように、口を真一文字に引き締めた。

 心中では、やはり、という気持ちが大きい。

 人間どもの処遇を決める際の、彼のあの態度が思い起こされる。まさかとよぎりはしたが、実行に移そうとは……。

 まるで忍ぶように会議を抜け出した時点で、もしかしたら予測できた事態かもしれない。

 しかし今さら言っても仕方のないことだろう。

「皆に警戒態勢を!」

 顔役のひとりが声を上げる。

 ブルフォードが「ああ」と応じると、邸内の全員が慌ただしく席を離れた。

 想定すべきは、常に最悪の状況だ。

 人間どもが逃げ出した。となれば、その最悪の結果は……。

 

    ◆

 

「……なんですって……?」

 近くにあったのは、『リゼンブル』の村だった――そしてリフィク・セントランは『リゼンブル』だった。

 もう休もうかとテントに入りかけた時にその報せを聞き、アリーシェは言葉の意味を理解しかねた。

 突拍子もない、雲をつかむような話である。難問すぎて問題文すら読み解けない。そんな時の心境だろうか。

 牛が空を飛んでいた、というほうがまだいくらか現実的である。

「大変だったんですよぅ!」

 なにやらコブのできた頭を押さえて、パルヴィーが訴えかける。

「武器つきつけられて、監禁されて。もう少しで殺されるところでした!」

 内容と口調は、決して冗談の類ではない。

 アリーシェは戸惑いをにじませて、クレイグとレクトへも視線を向けた。

「ええ、確証のある事実です。他ならない本人が白状しました」

 クレイグが険のある顔で補足する。

 レクトは苦々しい表情で、口をつぐんでいた。

 彼らを疑っているわけではないが、にわかには信じがたい話である。

 まさか。そんなことが?

 しかし目の前の状況が、条件が、アリーシェに徐々に現実味を芽生えさせていった。

 そんな嘘をつく理由など、どこにも、誰にもないのだから。

「……エリスさんたちは、どうなったと言ったかしら?」

 先ほど聞いた内容を、入念に聞き直す。

 動転のため聞き間違いがあったかもしれない、と。

「リフィク・セントランに荷担し、俺たちを攻撃。その後はどこかへ逃走したようです」

 彼女の『リゼンブル』に対する認識は、常人とかけ離れたものがあった。ありうる行動かもしれない、とアリーシェは思う。

 混乱していた頭が少しずつ落ち着いてくると、胸の内から別の感情が沸き上がってきた。

 水面に落ちたインクのように。ゆっくりとだが確実に、その感情は心を塗りつぶしていく。

「そう……わかったわ。彼女たちのことは、ひとまず置いておくとして……」

 アリーシェは、現実を受け止めた。

 信じがたい事実であったが、仲間の言葉を信じて、目の前の状況を直視した。

「こんなに近くに敵がいる以上、このまま夜を越すわけにもいかないわね」

 呟いた声は、夜の風よりもなお冷たい響きを伴っていた。

 

    ◆

 

 エリスたちは、森の中に身を潜めていた。

 位置的には、銀影騎士団がキャンプをしていた場所の、村を挟んだ反対側に当たるだろうか。

 クレイグの言葉を聞いてしまった以上、リフィクを連れて戻る気にはなれず。そして当然村の中にいる気にもならず。自然とこんなところへ来てしまったのである。

「……」

 リフィクは終始、重く口を閉ざしている。

「……姉御」

 めずらしくザットが、心細げな声を出した。

「逃げ切れたのはいいですけど、どうしやす? これから……」

 見知らぬ土地。森の奥。そして深まる夜。そんなところに寄る辺もなく放り出されたとなれば、さすがに不安にもなるだろう。

「これから考える!」

 エリスはどっしりと、地面に座り込んだ。

 逃走中の身としては、うかつに火を起こすわけにもいかない。暗闇同然の森の中は、足音も話し声もなくなってしまえば、心細いという言葉以上に心細い静寂が訪れた。

 時折聞こえてくる風音や虫の鳴き声といった雑音すら不気味に思えてくる。

 エリスは、さてどうしたものか、と真面目に考えをめぐらせた。

 今は非常にまずい状況だ。

 まずエリスとザットは村の連中に命を狙われている。

 リフィクは、クレイグやパルヴィーが脱出を果たせば、銀影騎士団すべてから刃を向けられることになるだろう。

 そしてその銀影騎士団は、リフィクだけでなく『リゼンブル』の村人たちへも攻撃するつもり……であるらしい。

 一番良いのは、何事もなく、元通りになることだ。

 銀影騎士団には村を攻撃してほしくない。

 レクトが、リフィクとは一緒にいたくないなどと言っていたが、それも改めてほしい。

 クレイグとパルヴィーのひどい態度にしても、謝ってくれれば許してやっていい。

 村の連中もさすがにそう遠くまでは追ってこないだろう。

 ――なんとかして銀影騎士団の皆にリフィクのことを受け入れさせ、攻撃をやめさせ、とっととここを離れる。それが最善だ。

 最善があるなら、それをやればいい。

「よし、考え終わった!」

 エリスはシャキンと立ち上がった。

 この間わずか十秒。リフィクとザットは、まだ腰を落ち着けてもいなかった。

「もう!?」

 びっくりするふたりに、エリスは自信満々にうなずいてみせる。

「あたしがなんとかしてやる。だから、みんなのとこ戻ろうぜ」

 

    ◆

 

 とはいえさすがに村を突っ切るわけにはいかず。 エリスたち三人は、大きく迂回して東の湖畔を目指した。

 先頭はリフィクが務める。『リゼンブル』というのは感覚器官も人間より優れているらしく、暗闇に近い森の中でもすいすいと進んでいくことができた。

「じゃあ、ここを探してずっと旅してたってことか」

「はい……」

 ひそめた話し声が、夜風に流されていく。

「『リゼンブル』だけが暮らす里……『パーシフィル』。昔、名前だけは聞いたことがあったので」

 名前を聞いただけで探し始めるというのも結構な話である。

 しかし『リゼンブル』の境遇をふまえれば、それもあながちおかしくはなかった。

 人間にも『モンスター』にも混ざれず、迫害に恐怖する日々。だが同族しかいない村となれば、そんな心配はなくなるだろう。

 そこに一縷の望みを託す気持ちもわからなくはない。

「けどそれ聞くと、ますます『いいのか?』って気持ちになってくるぜ」

 ザットが気遣うような声で言う。

「長いこと探してて、ようやく見つけた村だろ? それに『リゼンブル』っていう仲間もたくさんいる。……なのにオレたちに味方してくれてるってのも」

 客観的に見れば損なことばかりである。リフィクの身を思えば、ありがたさよりもまず申し訳なさを感じてしまう。

「それは……もういいんです」

 ふるふると首を横に振る。もともと低めなリフィクの声調が、さらに下がった気がした。

「……僕はただ、平和に暮らしたかっただけなんです。戦いもいさかいもなく、暴力も偏見もなく、皆が心から安心して過ごせる、そんな暮らしを……。ここに来ればそれが出来ると思ってました。でも、違いました」

 声のトーンと比例するように歩調も下がり、いつしか完全に立ち止まってしまう。

「ここの人は、エーツェルさんたちを殺そうとしました。それは部外者だから、人間だからという、それだけの理由です。つまりは……偏見だけで」

 最後の言葉には、なにやら悲しげな響きがあった。

「『僕たち』が偏見の目を向けられているのは事実です。しかし、だからといって僕たちまでそんな目をしても、なにも解決はしません。その糸口を自分からなくすということにもなるんです」

 リフィクは振り返る。憂いを含んだ瞳は、同胞たちを憐れんでいるようでもあった。

「僕が求めていたのは、そんな世界じゃない……。気付いたんです。人間も『リゼンブル』も、それから『モンスター』も……すべてが対等に、分け隔てなく暮らせる世界。本当に求めていたのは、それだったんです」

 恐らくそれが、エリスが初めて聞いた彼の本音だった。

 なにも隠さず、なにも偽らず。いま目の前にいるのが、ようやく出会えた本物のリフィク・セントランの姿ということなのだろう。

「この村にいれば、たしかに安全に暮らせるとは思います。でもエーツェルさんたちと一緒にいたほうが、そんな世界に近付けると思ったんです」

 秘めたる心のうちをさらけ出したからか、リフィクの表情は別人のように清々しかった。

「だから、もういいんです」

 先ほどと同じ言葉を口にする。しかし普段のような頼りなさはそこにはない。あるのは、決意を済ませた男の顔だった。

「いいこと言うじゃねぇか。見直した」

 エリスはこぼすように、口元に笑みを浮かべた。

 ユーニアの一件からずっと抱いていた思い……漠然として取り留めのなかった思惟。その具体的な形が、彼によって示されたような気がした。

 ああ。なんだ。それでよかったのか。

「そりゃぁ、いいことはいいことなんでしょうけど……ちょっと難しいんじゃねぇですか?」

 ザットが遠慮がちに首をひねる。

「『リゼンブル』はともかく、『モンスター』とってのは……」

 彼の反応は至極当然のものだろう。そう簡単に乗り越えられるほど、互いの溝は浅くない。

「たしかに難しいです。でも、不可能ということはないはずです」

 しかしリフィクは、自信を持って断言してみせた。

「僕の父は『モンスター』で、母は人間でした。そして僕は『リゼンブル』……。そんな三人が、ひとつの家で、なにも不自由なく暮らせていたんです」

 エリスとザットは小さく息を呑む。

 実際に想像してみると、なかなかに衝撃的な光景ではある。

 短い間のことでしたけど……と呟くように付け加えて、リフィクは言葉を続ける。

「もちろん家族ということもありましたけど、それを差し引いても……です。他の人にとっても、まったくの不可能ではないはずなんです」

 それが断言の理由。実体験を伴った言葉であれば、これほど説得力のあるものもないだろう。

「そうだな」

 と、しみじみとうなずくエリス。

「あたしの見てきた『モンスター』ってのは、みんなヤな奴だった。でもまだ、全部の『モンスター』を見てきたわけじゃないしな」

 えてして誰しも、一面的に見ただけのものをすべてだと思い込んでしまうことが多い。だが物事は、複数の側面を持っているのだ。

「決めつけるには早すぎるってこった」

 あきらめるのはもっと先、とエリスはザットを見た。

「『リゼンブル』にもリフィクみたいに話のわかる奴がいれば、村の連中みたいに話のわからない奴もいる。人間だって、あたしみたいにイイヤツもいるし、昔のザットみたいに悪さばっかしてた奴もいる」

「それを言われちまうと弱りますが……」

 ザットは恥ずかしがるように頭をかく。

 三人のあいだに、ささやかな笑い声が連なった。

「つまりさ、そういうことだろ」

 今度はリフィクに向き直る。彼は「はい」と同意した。

「『モンスター』の中にイイヤツがいれば、仲良くしてやればいい。悪い奴ばっかだとしても、『キング』を倒して、考えを変えさせてやればいい」

 エリスは自分の言葉が、自分の心を固めていく感覚を味わっていた。

 自分の行き先を決めるのは、いつだって自分自身だ。だから言うのだ。思いを思いのままにさせないために。

「そうすりゃ、もうこっちのもんだぜ」

「……そういう考え方をするなら、そうかもしれないすね」

 ザットの表情に、わずかに理解の二文字が浮かび始める。

 歩み寄った小さな一歩。しかし大きな一歩でもある。どこへ行くにも、まずは歩き出さなければ始まらないのだ。

 

 

 それは出し抜けに放たれた。

 夜の暗闇を、まばゆい光が切り裂く。

 エリスら三人は、ぎょっとして光の発生源へと振り向いた。

 同時に、様々な『音』が響いてくる。あるいは破壊。あるいは叫び。あるいは剣戟。どれもこれも見知った『音』ばかりだった。

 戦いの音。

 響いた先は、村の方角。

 そして先ほどの光は、『魔術』の光。

 三人は息を呑む。

 ――早すぎる。

 恐れていた事態が、そこへ駆け足でやってきていた。

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