第六章(9)
――気づいた時には、もう遅かった。
「……だからやめようって言ったのに」
パルヴィーが弱々しく呟く。ちなみにそれは初耳だ。
盗み聞きに没頭していたエリスたちは、あっという間に二十人から三十人ほどの住民たちに取り囲まれていた。
彼らの雰囲気は決して友好的なものではない。険悪さが多分に含まれている。
突きつけている武器からしても、それがうかがえるだろう。
「あちゃー……」
しかしエリスは、つい寝過ごしてしまった、程度の声をこぼした。緊迫感や罪悪感など欠片もない。
「貴様ら、そこで何をしている!」
先ほど「動くな」と怒鳴った男性が、槍を構えながら再び声を荒げた。
果たして正直に、盗み聞きをしていた、と言っていいものだろうか。
「強行突破でも、するか?」
エリスが小声で、誰にでもなく相談する。
笑えない冗談だが、冗談でなかったとしたら、もっと笑えない。
「……素直に謝ろう」
レクトが同じく小声で皆に告げる。
「どう考えてもこっちが一方的に悪い。謝って、許してもらうしかない」
率先してではないが、ついつい荷担してしまっていた彼である。エリスとは違い、それなりの後悔と罪悪感が見て取れた。
「許してもらえそうな雰囲気か……?」
とザットも不安げに呟く。それは怪しいところだろう。
「まぁ、見つかっちまったもんはしょうがねぇか」
「なにをこそこそと話している!」
包囲網が、じわり、と狭まった。
このままでは、いきなり斬りかかられても文句は言えない。
「へいへいわかったよ。悪かった」
とエリスが、一歩前に出た。
警戒なのか戸惑いなのか、武器の矛先が彼女へ集中して向けられる。
「あたしらの仲間がここに来るのが見えたから、心配になってついてきただけだよ。気に障ったってんなら大人しく帰るから。じゃあな」
エリスはそれをものともせず、そのまま堂々と歩き出した。
ざわ……と、住民たちに別種の戸惑いが波及する。
しかし、それだけだった。
ずんずんと進むエリスが目前まで迫っても、包囲網は開かれない。
「……帰ってやるって言ってんだから、通せよ」
どこまでも自分本位なエリスである。こういうのを盗人猛々しいと言うのだろうか。
「いや、このまま帰すわけにはいかない」
そんなエリスへ、包囲網の外から言い放つ者がいた。
見覚えのある男性だ。「ブルフォードさん!」と、誰かが言うのが聞こえた。
「なんでだよ? ちょっと黙って入っただけで、大げさすぎんだろ」
それは第三者が言うべきセリフであろう。少なくとも主犯の言うことではない。
「エリス」
と背後から、レクトが引き止めるように腕をつかんだ。
「……もしリフィクさんがこの村となにかしらの親交があるとするなら……なるべく波風は立たせないほうがいい。穏便に、だ」
さすがにそう言われると、エリスとしても矛を収めるしかない。
子分の顔に泥を塗ってやるのもかわいそうだ。
「……わかったよ」
不承不承、エリスは剣を外して地面に置き、敵意と戦意がないことをアピールした。
「そんなら、たまには穏便に、話し合いで解決してやる」
という一幕を経て。エリスたちは、どこかの地下室へと放り込まれた。
地下だけあって暗く、ホコリっぽく、照明などは何もない。天井近くの通気窓らしきものから月明かりが入ってはくるが、かろうじて周りが見える程度のものだ。
地下室の中は狭く、木箱や樽にほとんどのスペースを占領されている。地下室というより、地下倉庫と呼んだほうが正しいかもしれない。
「……ダドリー、ソニエール、ジュナス、マーク、バッブ、マルコム……。あいつら元気かな……」
ザットが遠い目をしながら、そんなことを呟く。なにやらシチュエーションに思い当たるものがあったらしい。
ただただ時間が流れるのを待つしかない以上、気を紛らわせたくもなるだろう。
あれからすぐに理由も処分も聞かされずに閉じ込められたため、まったく外の状況がわからなかった。
このまま朝まで待たされるのは、さすがに勘弁してほしいところである。
「うーん」
エリスは木箱に上ってみたり、石壁をよじ登ろうとしてみたり、扉をまさぐってみたりと、あちこちせわしなく動いている。
脱出経路でも探しているのだろうか。
ちなみ剣などは、放り込まれる時に押収されてしまっていた。
「なー、ここ、『魔術』でドカッと破れないか?」
階段の先の、取っ手のついた天井の一部――すなわち地上階との扉を指差しながら、全体へ向けて質問する。
ため息まじりのパルヴィーがぞんざいに答えた。
「ドカッて破ったら、一緒にドカッて天井が落ちてくるかもね。地下だから」
ぶち込まれる時にちらりと見た限りでは、あまり頑丈そうな造りではなかった。
言葉を選ばずに言えば、ボロかったのだ。
大きな衝撃を与えようものなら、十中八九、生き埋めになってしまうだろう。
「そりゃ困るな」
エリスは腕を組み、再び「うーん」と頭をひねった。
「話し合いで解決するんじゃ、なかったのか?」
悩んでいるのか疲れているのか、抑えた口調でレクトが言う。
「するにしても、ここを出ないことには始まんねーだろ。向こうの出方を悠長になんか待ってられるか」
だから脱走するという発想もおかしい気がするが。バレたらそれこそ話し合いもできないだろう。
「はぁ……。わたしたちどうなっちゃうんだろう……」
そんなエリスに付き合い飽きたのか、さらに深いため息を吐くパルヴィーである。
「……打ち首? ハリツケ? 引き回し?」
物騒すぎる想像だ。
とはいえ、無断で村に入ったというだけで今のこの処遇である。ただで帰してもらえる、というわけにはいかないかもしれない。
「……皆さん」
と、暗い空気が充満しきった頃。しばらく押し黙っていたクレイグが重々しく口を開いた。
「気になりませんでした? さっきリフィクさんと、この村の住人が話していたこと……」
「話しって……アレか」
エリスは盗み聞いた内容を思い出す。
あいさつから始まり銀影騎士団のことや旅の目的などが語られ、そしてその後のちょっとした雑談の最中に、見付かってしまったのだ。
内容的には別段変わったところはなかったように思う。ありふれた世間話みたいなものだ。
しいていうならリフィクとこの村にどういう関係があるのか、というところは気になるが。
もっともそれは本人にでも聞けばいいことだろう。
「なんかおかしいとこあったか?」
ただし、さすがに話のすべてを聞いていたわけではない。ところどころ聞こえなかった部分もある。
もしかしたらエリスがたまたま聞き逃してしまった部分になにか気になるところでもあったのだろうか?
「おかしいところというよりも……言葉遣いが妙だったんです」
答えたクレイグに、「言葉遣い?」とザットが首をかしげた。
「わたしはあんまり気にならなかったけど」
パルヴィーにしても同様のようである。
「……」
その横でレクトは、無言だった。
「彼らの会話の中で何度か『人間たち』という言葉が使われてました。でもそれは、とても他人行儀というか……。なんだか引っかかる響きがあったんです」
たしかにそんなことは言っていたような、とエリスは記憶を探る。
「まるで、自分たちを含んでいないような。まったく違う存在のような。そんな違和感のある響きが」
クレイグの言わんとするものが、核心に近付く。
「その理由は何かとずっと考えていたんですが……ようやく、わかった気がしました」
「推測で言うことじゃない」
それをさえぎるように、レクトが口を開いた。
否定するような鋭い一言。「いや、もし合っているなら大事だ」とクレイグは首を振る。
「君も気付いているんだろう?」
という問いには、レクトはまたしても無言だった。
「なんだよ。早く言えよ」
足踏みしているふたりに、エリスがたまらずせきたてる。
クレイグは「恐らくですが」と前置いてから、慎重に切り出した。
「……彼らが、『モンスターリゼンブル』の可能性があるのではないかと」
◆
「やはり、死んでもらうしかない」
ブルフォードの冷酷な言葉に、リフィクはサッと顔を青ざめさせた。
場所は同じく彼の自宅内。リビングに集まる住民の数は、しかし先ほどの四倍ほども増えていた。
住民たちが険しい顔を突き合わせて話しているのは、捕らえた例の『人間たち』の処遇についてである。
様々な提案が協議なされた末、ブルフォードがその結論を出したのだ。
他の住民たちも、おおよそ納得、といった様子だった。
「待ってください!」
しかしリフィクは、断固反対の姿勢を取る。
「なにもそこまでしなくても……! そんな悪いことはしていないはずです」
しかしリフィクへ向けられた視線は、冷ややかなものだった。
何を言っているんだ? 本気か? 新参者が、余計な口を挟むな。
そんな色合いが言外に表れていた。
「リフィク君」
ブルフォードが、穏やかに諭すように答える。
「奴らは、無断で村に入り込んだ。そして我々の会話を盗み聞いていた。それが悪いことではないのか?」
「それは……。でも、死んでもらうとか、そんなほどでは……!」
「通常ならば、その通りだ。だが会話の内容から、『我々のこと』を勘ぐられている可能性もある。それにあの五人だけではない。銀影騎士団とやらの存在もある」
そこまで言及したところで、リフィクの表情に陰りが落ちた。
「そちらに伝わるようなことでもあれば……わかるだろう?」
爆薬の導火線に火がついたかもしれない、という状況だ。万が一爆発させるよりは、いっそ導火線を切ってしまったほうが安全である。
その理屈は正しい。
正しいが、だ。
「わかりますけど……でも」
リフィクとしても引き下がるわけにはいかない。
「君は愛着を感じてそう言っているのかもしれないが、奴らは所詮人間だ。我々とは違う。我々のことなど、同じ生き物としても見ていない連中だ」
「…………」
しかし、それには反論できなかった。
そんなことはない、と言いたい。だが、そう言えないだけの現実も知ってしまっている。
もし事態が最悪な方向へ転べば、ここに暮らす大勢の同胞たちを危険な目に遭わせてしまう。
それは出来ない。だからと言ってエリスやレクトたちを見殺しにすることも、出来るわけがなかった。
――どうすればいいのだろうか。
リフィクの頭の中は、深い暗雲へと包まれていく。
「皆を守るためには、必要なことだ。わかってほしい」
「……しかし、彼らが戻らなければ、アリーシェさん……銀影騎士団の方々が、不審に思って探しにくるのでは……?」
「ここは森の中だ。それもかなりの奥地にある。そんなところを、夜に出歩いていれば、なにがあってもおかしくはない」
ブルフォードは「リフィク君」と、再度言い聞かすように彼の顔を見た。
「『この近辺には、獰猛な野生動物が多い。我々としてもその被害に常日頃から悩まされている』……そういうことだ」
「…………!」
リフィクの主張に賛同する者は、誰もいなかった。
事態はもう引き返せないところまで来てしまっている。
しかしリフィクは、それに抗った。
なにか打つ手があるはず……。犠牲も危険性もなく、すべてを丸く収められる、打開策、妙案が。必ず。
あきらめることは考えず、ただそれだけを懸命に考え続けた。