第六章(8)
◆
前方にぼんやりと村の明かりが見える。
夜闇に包まれた暗い森の中を、リフィクはひっそりと歩いていた。
草葉を揺らす風の音。どこからか響いてくる野生動物の遠吠え。そして虫の鳴く声。そんな音色が複雑に絡み合う。
「…………」
彼の胸中は、迷いと戸惑いで満ちあふれていた。
なぜ……? と、誰に向けてでもない言葉が頭の中に渦巻いている。
えてして探しものというやつは、必死になって探しているあいだはなかなか見つからないものだ。そして探すのをあきらめ、ふとした瞬間に、見つかることがある。
そんなセオリーを、なにもこんな時にまで適用しなくてもいいだろうに……。
なぜ今、よりによってこの時なのだろうか。
胃の痛くなる思いだった。
「……」
ふとリフィクは立ち止まり、背後を振り返る。
木々を隔てた向こう側に、キャンプの明かりがぼんやり見て取れた。
ふたつの明かりの中間の、暗闇の中。
まるでそれは自分の状況そのものだ、とリフィクは思う。
危うい状況だというのはわかっている。
もしかしたら、今すぐ戻るべきなのかもしれない。そうすれば、何事もなく済ませられる。
すでにあきらめたこと、知らなかったことと片付け、見て見ぬ振りをすればいい。
考えるまでもなく、それが最善だ。
危ない橋を渡るのはずっと避けていたではないか。
今回も、同じようにすればいい。
自分の気持ちを隠し、目をそらし、仕方ないと言い聞かせる。
慣れたことではないか。
「…………」
……しかし今だけは、それは出来そうになかった。
それをするには、目の前の明かりは強すぎる。
渇望の日々はあまりにも長すぎた。
感情は否応なく理性を振り払い、体を突き動かす。
リフィクは深いため息を吐いて、再び村へと歩き出した。
「あぶねー……バレたかと思った」
同じく暗い森の中。リフィクがなにやら振り返ったため、エリスはじっと息を殺していた。
彼が再び歩き出したのを確認して、たまっていた息を、ふうと静かに吐き出す。
多めに距離を取っていたおかげか、偶然風上だったおかげか、どうやら見つからずに済んだようだ。
「何事かと思えば、こんなことか」
とレクトが、呆れ気味に呟く。
こっそり人のあとをつけるなんて、悪趣味以外の何物でもない。それが仲間ともなればなおさらである。
「でも、気にはなるだろ?」
「ふたつの意味で?」
「…………」
そんなエリスとパルヴィーの言葉に、いまいち返答しにくいレクトだった。
……たしかに、気にならないと言えばウソになる。ふたつの意味で。
リフィクとはそれなりに長いあいだ一緒にいるつもりだが、その実、ベールに包まれている部分があるのも事実だった。
人当たりが良く、温和な性格。しかしそれでいて、自分の本音はあまり明かさない。
引っ込み思案という言葉では済まないほど、時として異様に閉鎖的な一面があるのだ。
日頃から思ってはいたが、気を遣って踏み込まないようにしていたレクトである。
しかし信頼している仲間としては、気兼ねすることなく自然体でいてほしい、とも思うのだ。
もしかしたら、そんな隠された一面が見られるかもしれない。悪趣味だとは思う一方で、無意識に興味は湧いてきてしまう。
「村に行くのかな?」
パルヴィーにしても興味ありげに、ひそひそと呟く。
リフィクの足取りは、まっすぐに例の村へと向かっている。まさかそのまま通り過ぎるだけ、ということはないだろう。
行き先が村ならば、夜の森とはいえ遭難する心配はなくなる。背後にはキャンプの明かりも見えている。
しかし――あの他者を寄せ付けない感のある小村へ? 何をしに、行くのだろう?
◆
「ようこそ」
村に足を踏み入れたリフィクを出迎えたのは、日中アリーシェと話していた、あの男性だった。
たしかブルフォードと名乗っていただろうか。
「はじめまして……リフィク・セントランです」
リフィクは遠慮がちに、ペコリと頭を下げた。
「改めて、君を歓迎しよう。お互い聞きたいことは色々あると思うが、立ち話もなんだ。私の家に来たまえ」
手提げランプを持ったブルフォードは、日中とは別人のようににこやかだった。声にも表情にも、朗らかさがにじみ出ている。
「すぐ近くだ」
と、案内するべく歩き出した。
「……あのっ」
それをリフィクが引き止める。
「なにかね?」
「その前に、ひとつだけ確かめておきたいことがあるのですが……」
はやる気持ちと、抑えようとする気持ち。それが絶妙な具合にせめぎ合っていた。
リフィクは一度深呼吸してから、その質問を口にする。
「ここが、『パーシフィル』なんですか……?」
「ああ。その通り」
ブルフォードは、穏やかな表情でうなずいてみせる。
「ここはパーシフィル。『我々』を害する者など存在しない、平和なところだ」
見覚えのある男性と共に、リフィクが村の奥へと歩いていく。
「ずいぶん態度が違いますね」
と、クレイグが率直な感想を口にした。
茂みの中。ふたりの会話は聞こえなかったが、男性の所作から、なんとなくそんな様子が見て取れた。
必要以上に村に近付くな、とまで言っていた男性である。しかし今は、まるで喜んで迎え入れているような雰囲気さえただよっていた。
「……俺たちも、村の中に入るのか?」
レクトが、恐らくエリスへ向けて確認する。
リフィクへの対応の件は置いといて、前述の警告通りならば、見つかったら大事になるだろう。
アリーシェら、他の皆にも迷惑がかかるかもしれない。
「そりゃ入るだろ」
しかしエリスは、まったく迷いなくそう答えた。
「ようやく面白くなってきたところじゃねぇか」
心配はどこへ行ったのやら、スリルを楽しむようにそろりそろりと茂みから出る。
そんな彼女ら一行を見つめる瞳があることには、誰も気付かなかった。
さすがに夜間のためか、外に人影はない。
しかし家の窓からは多くの顔がのぞき、歩くリフィクの姿を眺めていた。
「……」
「明日の朝にでも改めてあいさつするといい」
感慨半分戸惑い半分といったリフィクへ、ブルフォードが笑いかける。
「皆、喜ぶよ」
「はぁ……」
ブルフォードの家には、他に四人の男性が待っていた。
大きな暖炉があるリビング。長方形のテーブルへ、リフィクとブルフォードも腰を下ろす。
待っていた男性たちは、全員ブルフォードと同年代ほどだ。おおよそ五十か六十。一様に微笑みを浮かべて、リフィクの来訪を受け入れた。
ブルフォードの紹介によると、彼を含めたこの五人で、いわゆる村長職を受け持っているらしい。つまりそれぞれが村人たちの顔役ということなのだろう。
さらにキッチンから、中年の女性が人数分のお茶を運んでくる。彼の妻とのことだ。
その全員がテーブルについたところで、ブルフォードが「さて」と話を切り出した。
「リフィク君。なによりもまず、君に聞いておかなければならないことがある」
にこやかだった表情が一転、厳粛な色を帯びる。
「はい」
リフィクは、そのつもりです、と相づちを打った。
「あの人間たちは何者なのか。何を目的にここへ来たのか。そして君が何故、奴らと行動を共にしているのかを」
「……彼らは『銀影騎士団』。秘密裏に『モンスター』と戦っている方々です。そして今は、『モンスターキング』を倒すために旅をしています」
リフィクの声に続き、複数人のざわざわという声が響いてきた。
「ルル・リラルドを目指している途中、ということか。それは……うむ。ならば人間たちに我々の事は知られていないのだな?」
「そのはずです」
窓の隙間から漏れる話し声。
エリス、ザット、クレイグは、そんな窓の下にぴったりと張りつき、中の会話を盗み聞きしていた。
「さすがにそれは、行儀が悪すぎる」
と、レクトは窓から数歩離れた壁際に立っている。
パルヴィーも同じ立ち位置ではあるが、三人に混ざりたくてしょうがない、という表情をありありと浮かべていた。
「知り合いか……?」
エリスが、虫の鳴くような声で呟く。
村人側の態度には、なにやら親しげな雰囲気があった。少なくとも、日中の時のようなよそ者扱いではない。
「……なんだか、妙な感じのする会話ですね」
と、クレイグ。
自然と声が耳に入ってくるレクトも、ひそかに同じことを感じていた。
「それにしても……『パーシフィル』は、こんなところにあったんですね」
ひと通りの経緯を説明し終えて、リフィクはふっと肩の力を抜く。
そしてお茶を頂き、なんの気なしに窓の外を眺めた。
夜なので当然なにも見えなかったが。
「何年も探していたんですが。ここに来れたのも、成り行きというか、偶然で…」
「それも、仕方がないな」
ブルフォードが小さく笑い声をこぼす。
「目の前に『キング』の住処があるため、まず人間は近寄らない。そして『モンスター』にしても、そちらの存在が大きすぎて我々など眼中には入らない。隠れ住むには絶好の土地だ」
灯台下暗し、というやつだろうか。
まさか『モンスターキング』のお膝元にあるとは……リフィクは思いつきもしなかった。
「だが……絶好すぎるのも考え物だ。結果的に『同胞』たちにも、この村の存在を隠してしまっていることになるからな」
ブルフォードは無念そうに声の調子を落とす。
「そうですね……」
と、そんな当事者であるリフィクもうなずいてみせた。
「とはいえ、『奴ら』にも居場所がバレてしまっては我々の安寧が失われることになる。歯がゆいばかりだ。だからリフィク君、君のような来訪者は、心から歓迎するよ」
生きあえいでいる仲間たちに手を差し伸べることも出来ずに、ただただ見つけてくれるのを待つしかない。そして他の者には見つからないよう、祈るしかない。
ここの住人たちは、そんな日々を送っているのだろう。
どちらにしろ苦しみのある暮らしだ、とリフィクは思う。
自分たちには、そういう『平和』しかないのだろうか。
今の世界では、それしか許されないのだろうか。
ただ普通に暮らしていたいだけなのに。
「皆で協力すれば、君の家もすぐに作れる。それまでは、この家で寝泊まりするといい」
ブルフォードは、口調を上げ直してそう言った。
他の男性たちと共に、あの場所がいい、素材は、間取りは、などと楽しそうに話し出す。
少し気が引けたものの、リフィクは思い切って「その件なんですが」と切り出した。
「まだちょっと悩んでいて……」
「悩む?」
と全員が、まったく予想外、という顔をする。
「暮らしたいからこそ、ここを探していたのだろう?」
「それは、そうなんですけど……」
リフィクが言いよどんだ、そんな時。
「動くな!!」
外のほうから、怒鳴るような一喝が響いてきた。
明らかにただごとではない声である。
「……なんだ?」
ブルフォードを始めとしてリフィクも、様子をうかがいに窓際へと歩み寄った。
「…………!?」
異変の原因はすぐさま判明する。
窓のすぐ外――
見知った後ろ姿が目に飛び込み、リフィクは目まいを起こしたように頭が真っ白になった。