第一章(4)
『モンスター』が姿を現したのは、二日後のことだった。
森にうずもれるように佇む小さな村。その入り口に三体。
薄暗い緑の皮膚は岩のようにゴツゴツとしていて、太い足にやや細い腕。頭部は薄く、異様に突き出た口とアゴから鋭利な歯がキラリと見え、ほぼ両側にまで離れた目が鋭く辺りを見渡している。
爬虫類の『ワニ』に近い風貌をした種族だと言えるだろうか。
鉄の胴鎧と兜を身につけ、腰に各々得物をぶら下げている。
見渡すかぎり、周囲に村人たちは見受けられなかった。代わりに野菜や肉など大量の食物が納められたカゴが、どうぞ持って行ってくださいと言わんばかりに置かれている。
それがこの村の住人たちの命の代価だ。村中総手でかき集めた、平穏無事な生活との引き換え券。少なくともこれを納めている限りは、『モンスター』から害をこうむることはなくなるのだろう。
とはいえ、その量はあまりにも多い。これほど大量に献上してしまったら自分たちが食べるぶんはどうなってしまうのだろうか。
いくら森に囲まれている村だとはいえ、そうそう多くは確保できないはずだ。
住民たちに元気がなかったり妙にイライラしていたのも、もしかしたら充分に物を食べられないせいなのかもしれない。
三体の『モンスター』はそんなことなど微塵も思わぬ様子で、淡々とした食物の入ったカゴへと歩み寄る。人間から見れば大きく思えるそのカゴも、『モンスター』からすれば軽々持ち運べてしまう程度のものでしかなかった。
カゴに手が触れるか触れないかという、そんな時。突然。
「おぅおぅおぅおぅ! おめぇらよぅ!」
水を打ったように静寂ただよう村に、場違いなほど威勢のいい怒鳴り声が響き渡った。
「このあたしの預かり知らねぇところで、よくも勝手気ままに横暴やらかしてくれてるなぁ! えぇ、おい!」
火を吹く勢いでタンカを切りながら、威風堂々と少女が現れる。
「だがそれも今日でおしまいよぅ! 他の誰がまかり通そうと、このエリス・エーツェルがてめぇらまとめて刺し身にしてやるぜ!!」
すなわち彼女が。
「……なんだ?」
三体の『モンスター』は一様に、呆気に取られた顔でエリスの姿を眺めていた。
まぁ、そうだろう。当然そうなる。
しかしエリスが剣を抜いた瞬間に、『モンスター』たちの眼光が鋭くなった。
得体はわからずとも意図はわかったからだ。
つまりは敵対者。自分たちに弓を引く者であるということが。
だがわかったからこそ、『モンスター』の目に生まれた緊張感が一瞬にして消え失せていた。たかが人間がなにを吠えているのか、と。
「なぁ、ジャヴァ」
『モンスター』のひとりが、エリスなどそっちのけで仲間に声をかける。まるで笑い話でも始めるように。
「人間の女ってのは、どう食うのがうまいんだったか」
「そりゃぁ、若けりゃ若いほど生がいい。それが一番だ」
話を振られた仲間は答えながら、エリスの体を舐めるように見やる。
「まぁ、こいつは脂が少なそうだから前菜にもならねぇだろうがな」
そしてゲラゲラと笑い出す三体たち。
『モンスタージョーク』というヤツなのだろうか。なにがどう面白いのかまったくわからない。
が、言葉の内容は明らかにエリスは揶揄したものだ。彼女にヒタイに青筋が浮かぶ。
「今のうちだけ笑ってろ、ワニ野郎共っ!」
言葉を完全に吐き終わらないうちに、エリスは彼らめがけて突撃していた。
「不意打ちにしましょうって言ったのに……!」
そんなエリスの独断専行を遠くから見ながら、リフィクは涙声をもらしていた。いいトシした男が出す声ではないが。
ガレキの山同然の家屋の陰から、ふたつの顔がのぞいている。それがリフィクにレクトだ。
その後ろでハーニスとリュシールが、ほとんど抱き合うような格好でつっ立っている。
「ど、どうしましょう……」
眉のハの字にしたリフィクが、誰に向けてでもなく尋ねた。
「どうもこうも。出て行くしかないでしょう、俺たちも」
答えたのはレクトだ。弱気でふにゃふにゃなリフィクとは違い、すでに覚悟を決めた目をしている。
不意打ちはもはや意味がない。ならばここはエリスの援護をするのが最善の選択ではないのだろうか。
正面から当たることになってしまうが、頭数は上回っている。勝てる要素はあるということだ。
「我々が足手まといではないと証明するチャンスのようですね」
事態に反してどこか冗談っぽく、ハーニスが口を開く。
そしてリュシールの手をそっと取り、その掌にやさしくキスをした。
「頼むよ、リュシール」
猫なで声でささやく。
当の彼女はやはり無表情のまま、彼の瞳を見つめ返していた。
三体の『モンスター』のうち、エリスの相手をしているのは一体だけであった。
残りの二体は少し距離を置き、余興でも楽しむかのように戦闘を眺めている。
エリスを完全に見くびっている証拠だ。舐めて、侮り、遊び、見下している。
逆を言えば絶好の勝機ではあるものの、エリスはあと一歩のところで攻め切れていなかった。
体格からしてひと回りもふた回りも大きな相手だ。客観的に見ても、やはりその優劣はいかんともしがたいものがあった。
『モンスター』が掲げた大斧が、エリスの頭上から振り下ろされる。
それを危ういところで外側へ避け、
「オーバーフレアっ!」
得意技による反撃をうち放った。握る剣から炎が吹き上がり、そのまま相手へ向かって斬りつける。
しかしなにやら異様な気配を察知したのか、『モンスター』は巨体に似合わぬスピードで後方へと跳びずさった。
炎の剣はなにもない空間のみを斬り裂く。
「……惜しい」
エリスは獣のように獰猛な表情で、歯を見せつけて笑った。今のが当たれば勝っていた……そういう自信に満ちあふれた顔だった。
「妙なマネを……」
そんな気概が伝わったのか、対峙していた『モンスター』が警戒心を高めて顔を歪ませる。
彼のみならず、傍観を決め込んでいた仲間たちも顔色を変えていた。エリスを対する認識を改めたのだ。
ただの人間ではなく、厄介なことをする人間であると。
対峙していた『モンスター』が仲間に目配せをする。
それを受け取った仲間たちは武器を構え、エリスを取り囲むべくのっしのっしと歩き出した。
「やっとわかってきたみたいだな、ワニ野郎共。このエリス・エーツェルが一筋縄じゃぁいかねぇ相手だってことが」
エリスは我が意を得たり、と笑った。自分を見くびっていた奴らを本気にさせてやったのだ。見返してやった。自分自身の力で。腕ずくで。
「お調子者で大口叩きだということはよくわかったよ」
正面に立つ『モンスター』が、まだまだ余裕をありあまらせた口調で吐き捨てた。
「遊びはこれくらいにしておこう。そろそろ引き上げ時だからな。ボスがオレたちの帰りを心配しちゃいけねぇ」
「下っぱの使いっ走りが、偉そうなことぬかしてんじゃねぇよ」
もはや条件反射的に言い返したエリスを、『モンスター』たちはあからさまに目の色を変えてにらみつけた。
図星だったのかもしれない。本人たちも気にしている痛いところを突いてしまったのかもしれない。
だがそんなことをかまうエリス・エーツェルではなかった。
「やるならとっととやろうぜ。四の五の言ってねぇで。問答無用ってヤツだ。あたしの好きな言葉をよ」
登場するなり口上と大見得を切っていたのは誰だったかはさておき。
言葉が終わった時、ちょうどエリスを囲む陣形が完成していた。彼女を中心に正三角形を描くように『モンスター』が立つ。
このまま同時に攻撃されたらひとたまりもないだろう。わかりやすい窮地である。
しかしそんな状況に置かれても、エリスに悲観的な表情は浮かんでいなかった。逆に胸は高鳴り、口元は不敵な笑みを形作っている。
その様子に、『モンスター』は不可思議なものを感じていた。得体の知れないものに直面してしまった時のような感覚が、頭のどこかに芽生えている。
それはエリスに飲まれてしまったということだ。無意識的ななにかが。
「やれるもんならな!」
エリスが自分の力を誇示するように舌なめずりをした、その時。
視界の端で、黒い風が吹いた。
次の瞬間、左の後方から奇怪な悲鳴が響く。
弾かれるように振り向くと、エリスを包囲していた『モンスター』の一体からまるで噴水のように紫色の血が噴き上がっていた。
「ジャヴァ!?」
残りの『モンスター』のどちらかが、仲間の名を叫ぶ。恐らく血にまみれた仲間の名前を。
ジャヴァと呼ばれた『モンスター』は、首筋を一文字に斬り裂かれていた。刀身が黒いロングソードによって。
『モンスター』の前で腕を振り上げその剣を握っているのは、黒く長い髪に黒い衣服を身につけた、黒ずくめの女だった。
リュシール。彼女である。
彼女は体をひねり、トドメの一撃を叩き込んだ。ロングソードがまるで野菜を切るように、『ジャヴァ』の頭を斬り飛ばす。
頭部は紫の尾を引きながら放物線を描き、体は立つ力を失い崩れるように地面に倒れた。
仲間の『モンスター』が、今度こそ呆気に取られて固まっていた。
唖然。あまりに予想外の事態に、脳が働きを止めてしまったのだ。
そこへ、狙いすました矢が放たれる。レクトが射ったものだ。それは風を切り、エリスの正面に立つ『モンスター』の顔面を的確に貫いた。
うめき声がかき鳴らされる。
「オーバーフレアぁぁっ!」
そのスキを見逃さず、エリスが攻め立てた。
炎の剣でひと太刀。『モンスター』の胴を鎧ごとかっさばき、火だるまにさせる。