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短編集  作者: かわ
一話完結
6/28

壁の中(シリアス/ファンタジー/グロテスク)

突然四方を壁に囲まれた部屋へ連れて行かれた少女の回想と観察。

 生まれてからずっと暮らしてきた住処にこんな場所があると知ったのは、ここへつれて来られたときが初めてだった。

 私が元居た部屋はここよりもたくさんの色がが散りばめられていた。生まれたときから当たり前にあったのでその様に不満を持つことはなかったけれど、こうして何もない質素な部屋に慣れてみると、こちらの方が落ち着ける心地がした。

 この部屋の外では何が起こっているのか、時折そんなことを考えながら、けれど知ったところで私には何の関係も影響も及ぼすものではないそれへの興味は簡単にうつろった。暑くもなく、また寒くもない。防音がきいているのか漏れてくる音もない。これで光もなければここはなんと呼ばれる場所だっただろうか。幸いと言うか、光だけは溢れていてむしろ少量の闇が欲しいとすら思うほどだった。

 そういえば、ここへ来てから闇と言えるものを見たことがない。四方を真白く染められた壁に囲まれているから闇が入り込む隙間もないのだろうか。

 夜の闇さえ付け入ることがないせいか、時間の感覚も曖昧だった。ここへ来てまだ一度も食事の時間にはなっていないので、多分一日も経っていないのだろうが。

 することもなく、ただのっぺりした壁を見つめるしかない私は、普段なら思い出すことすら稀な父の姿を脳裏に描く。鮮明に思い浮かべることができないのは私の記憶力がないせいじゃない。頻繁に来るわけではない父が、いつも違う格好で、けれど共通してごちゃごちゃとした服を着てくるせいだ。そのたくさんの装飾品も一つ一つの凹凸がとても細かくて、とてもじゃないけど全部の様を覚えていられるない。暇つぶしに記憶を手繰ってそれらの細部を思い出してみようと思ったりもしたが、暇つぶしよりもつまらなかったのですぐにやめた。

 ここへ来てからいろいろなものが変わった。その一つが窓だ。元居た部屋でもやはりやることは何一つとしてなかったけれど、暇を持て余すことがなかったのはただ一つ繰りぬかれた窓があったからだ。そこから見える空の色は一瞬たりとも同じ色をしてはおらず、その忙しなさに呆れつつ、それでも目を逸らす気は起こらなかった。視線を少し下げた先には小さな石造りの建物が無数にあって、その隙間を縫うように動いていた小さなヒトガタたちの動きも忙しなくて、それを見ているのもやはり飽きなかった。だからそれを見ることのできないここでは、ただ変わりばえのない壁を見つめるしかなくて、とても退屈だった。

 けれど変わらないこともある。部屋に訪れる人が殆ど居ないことだ。殆ど、と言うか、まだ一度も訪れる人を見たことはないけれど、長時間誰の訪れもない緩慢な時間が流れることだけは以前と変わらない。

 元居た部屋に訪れてくる人とて食事を置きに来るだけでさっさと出て行ってしまっていた。その際ちらりと覗き見る表情にはいつも気持ちのよくない皴がよっていた。私はそれを見るのがとても嫌だった。父が来たときは表面はなんでもないのに、かけられる言葉や何気ない立ち居振る舞いがとても気に触ったものだ。

 私と接触のある人はこの二人が全てだった。だから人とはそういう気持ちのよくないものなのだと思っていた。それならば窓から見えるあの小さなヒトガタを見ている方がずっと気持ちがよかった。あれらは私に何をするわけでもなかったから、それがとても気に入っていた。

 けれどそうだ。私をここへ連れてきたのはあの二人ではなく、見たこともない人々だった。ヒトガタと同じような服装の者、父ほどではないが、私より余程華美な服装をした者、その入り乱れた群だった。

 そこまで思い出し、これはよい暇つぶしになると思って細部までを思い出してみようと、嬉々としてその時の様を思い浮かべた。彼らは、そう。彼らは最初、私を見て驚いていた。扉が突然大きく開かれた瞬間は私も驚いた。見知らぬ誰かの登場に驚いたわけではない。階段を踏む複数の足音が聞こえていたので誰かがここへ来ようとしているのは悟っていた。その複数が扉を開ける瞬前まで纏っていた気持ちの悪い雰囲気が、私を見止めた瞬間に純粋な驚きにとって変わられてしまったことに驚いたのだ。私は初めて気持ちのよくない感情以外のものを私に見せてくれた、長い赤い鉄の塊を手にした彼らを一目で気に入って、にこりと笑みを浮かべて迎えた。

 それから…ええと、何があったのだかよく思い出せないが。…そう、見慣れた石壁が作る、見慣れない狭い通路を通ってどういう理由かはわからないままここへ入れられたのだ。そして今に繋がる。

 窓のない部屋に早々に慣れ、目の前の壁だけを只管に見つめる。それだけの単調な時間。けれど、最初に見ていたのは壁ではなかった気がする。部屋も、光ではなくて、いまや懐かしさを覚える闇に満たされていたような。

 そうだ。初めは一人、闇の中で手探りで見つけた小さな寝台に蹲っていた。その時はそれまで感じたことがなかった色々な感覚がとても辛くて、ずっと膝を抱えて蹲っていた。けれど、ある時気づけばその感覚が一切なくなっていて、同時に部屋に光が溢れていたのだ。そのことにとても安堵して、ようやく今まで見えなかった部屋の全貌を見回すことができた。そこで初めて一人だと思っていたこの部屋に、私以外の存在を見つけた。

 彼女は私と同じような服装をして同じ寝台の上に横になっていた。背の高さや髪の色も似ていた。けれど体つきは私よりも大分貧相なものだった。棒のように細い手首や尖った顎は私に似ていなくもないが、私のほうがやはり肉付きが良かった。彼女は目を閉じて眠っているようで、私は彼女の目が開くのを今か今かと楽しみにして彼女を見つめ続けた。人は好きではないと思っていたが、扉を開けた彼らのように気持ちのよくない感情以外を向けてくれる相手が居るのなら、人をそれほど嫌いだとは思わなかった。彼女がどちらの反応をするか少々の不安はよぎったが、一度覚えた期待と言う感覚がそれを軽々と凌駕した。

 私は彼女の動きを一つとして見落とすまいとじっと見つめた。硬く閉じた瞼も、かさかさの唇も、元々細かった手首がもっと細くなって行く様もただただ見守って目覚めの瞬間を待ち続けた。

 しかし期待した瞬間はなかなか訪れず、悲しい夢でも見ているのか彼女は全身で泣き出した。緩やか過ぎる泣き方に私は慌てて彼女の頬を撫でた。でもその手は彼女に拒絶され、触れることすら許してもらえなかった。仕方なく、いつしか枯れ枝のようになってしまった彼女の手を頬の代わりに撫でようとすれば、触れる寸前にぐにゃりと形を変えてしまって、もはやそれを手と言っていいのかもわからなくなってしまった。私は更に慌てたが、肉の涙を流す彼女に為す術もなかった。それでもどうにかしようとあれこれしてみたが、全て彼女には拒絶されてしまった。もしかして見ているのは悲しい夢ではなくて、とても楽しい夢で、だから邪魔をするなと言われているのだろうか。途方に暮れていると、やがて彼女は泣くのをやめて代わりにとても細くてかたい殻を被っていた。

 そこまで私に触られるのは嫌だったのだろうかと思うと、とても悲しかった。だからこれ以上嫌がられないために彼女が自然に目を覚ますまで、何者からも彼女の眠りを妨げられないように守り続けた。

 とても長い時間が過ぎた気がする。けれど食事を運んでくるはず人は来ないから、まだ一日も経っていないのだろう。今日はとても一日が長く感じる。ここへ来て色々なことが変わったけれど、一日の長さも変わってしまったのだろうか。

 私は今までにないほど強く明日が来るのを待ち焦がれた。朝になればきっと彼女も目を覚ましてくれるのに、いつまで経っても一日が終わらない。

 一人じゃない独りは、とても永い。







(2007/6/26)

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