時(シリアス)
ブログ短編 ※前話(猶予)関連
彼はあけすけに言えば、情に薄い性質だった。
彼自身を取っても、彼の周囲を取っても、そう言えるだろうと思う。
俺と彼とは幼いころから住まいが近く、近所に同年代の子供もいなかったことから遊び相手と言えば互いしか知らなかった。
今でこそ意外と思われるが、彼はそれは内向的な性質で、当時の俺も唯一にして貧相な遊び場へ行くよりも手近な庭などで遊ぶ方を取って、ともにいる時間の大半を互いの家のどちらかかで過ごした。
彼には歳の離れた兄が一人おり、俺が彼の家へ訪ねるとときたま対面することがあった。あの人はすっきりとしすぎて近寄りがたい顔つきの割に、俺を見つけると控えめながら笑みを浮かべて構ってくれる人だった。
彼にするように俺にも応じてくれるあの人を、おれ達は違わず兄と呼んで慕っていた。
近所住まい故に日が沈み切った後まで入り浸ることも多かったが、彼の家で彼と兄以外のだれかを見たことはなかった。
そんな家の中から、突然兄が消えた。
彼の両親が別れたのだとは後から聞かされたことだが、当時の俺たちにはそんなことは理解できなかった。
彼は最初のころこそ泣きじゃくり、それが止むと哀しそうな目をして時折ここではないどこかへ意識を飛ばしているようになったが、ある日を境にそう言った色が一切かき消えた。
彼に何があったか、ついに口を割らなかった彼に、俺は追及を諦めた。
それから少しして入学した小学校は、ほんの一本の路地に邪魔されて別々の学舎へ通うこととなった。
それでも互いの一番の友人と言えば変わりはなかった。互いの通う学校やそこでできた友人の話。今思えば何がそんなに、と疑問にすら思うほど些細な差異を俺たちは楽しんでいた。
けれどやはりそれぞれ身をおく環境の差は無視できず、学年を上がるごとに顔を合わせる日に間があいて行った。それは仕方のないことだと理解していたし、全く合わなくなったわけでもないのだからとその時はあまり気に留めなかった。
彼の二度目の変化に気付いたのは、中学へ上がり、再び共に過ごす時間が増え始めた折だ。
普段は何でもなく見える眼差しに何か違う…そう、靄のようななんとも言えないものが宿ることがあり、けれどそれが現れるのはほんの一瞬で、次の瞬きで消えてしまうようなものだった。
思いすごしかと思ったのはほんの短い間だけ。けれどその僅かな間に彼自身のまとう雰囲気にも変化が現れ、気づけば彼は俺にすら滅多に本心を見せることがなくなっていた。
なぜ、どうして、何があった。そう問いただしたかったし、困惑したままでいる気もなかった俺だが、偶然漏れ聞いた彼と女性ととの告白とも懇願とも脅迫ともつかないやり取りで大まかなことを悟った。
彼はそれを受けても平然と受け流し、室の入り口で鉢合わせ倒れに対しても薄く笑うだけだった。
俺はこの時、彼にとっての俺の新たな位置づけを悟った。
彼はそれからも表面上は俺の知っている彼であり続けた。その遠まわしな拒絶は確かに俺を痛めつけたけれど、俺は彼から離れることはできなかった。
それは決して、彼のためになりたいとか、支えたいなんておキレイ感情ばかりではなかったけれど、俺は俺なりに彼とのあいだにできてしまった溝を埋めることに没頭した。彼も多分、それを許す程度には俺を受け入れてくれたのだと思う。
どちらかが無理を通して成り立たせ続けるような、短くない時間を俺たちは共に穏やかに過ごしていた。
結局それは俺がいつからか抱いてしまった感情によって破たんしてしまったけれど。
それでもおかしなことに、おれ達は互いと過ごす時間を他の誰といる時よりも多く持ち続けた。それは不思議な均衡を保ってあり続け、今も崩れることなく触れ続けている。
俺はともかく、彼がこういった関係を続けることは苦痛ではないのか聞いてみたことがある。
絶対不動のものだと思っていたものを無くし、曖昧で不確かな理不尽を突き付けられることを嫌い、けれど何も要らないと突っぱねる強さまでは持たない彼だ。その痛みは今も昔も俺の理解を超える。今でこそほんの一握りの安らぎを得たようだが、この状況は彼が望むものではないと思ったのだ。
けれど彼は笑みを刻むだけで答えようとはしなかった。代わりにくれた熱は背に回るときつく俺に巻き付いた。
あれ以来、事あるごとに小さな声で紡がれる言葉がある。いや、何もなくても眉をよせてそれを絞り出すこともしばしばだ。
彼はきっと、再び失うことを恐れているのだと思う。裡に迎え入れ、深く根を張ったそれが引き抜かれることも朽ちることは、彼でなくともひどい苦痛を感じることだろうから。
だから俺は彼を安心させるよう腕を回して返し、その背をあやすように軽く叩く。
誰かにはそれが子供をあやすようだとからかわれ、俺も同意を示すと彼は抗議するように拘束を強めた。
けれどそれは確かに幼子のそれだと、半ば確信して言える。彼には幼いころに受けた傷が大きすぎたのだ。それを癒すためのこれは、ある種の退行なのだろう。だから人目があろうと気に留めず、己のうちにこもり切る。二度と離れないように、しがみつく。
決して離さないために振りも言葉も選ばないのだ。
だって今の彼は子供なのだから、どんな残酷なことだって平気でできる。
俺にだけしがみつくのは、俺が昔から続く最後の線だからというだけだろう。それでも、過去見過ごしてできなかったことを今してやれるのなら、俺にはこの時を何よりも幸せに感じることができる。
(2009/06/16)