痴話喧嘩(ほのぼの)
ブログ短編
「だーれだ」
突然脇から生えてきた腕に両目を塞がれても俺は決して慌てない。
自身では、隣室から出てきた所から気配を消していたつもりなのだろうが、扉が開く際の空気が流れまでは隠せない。
それ以前になにやらガタンゴトンドカンと騒いでいたのがいきなり止んだとなれば、耳を澄ましたくなるのが人間だろう。それゆえ扉が軋む微かな音だってしかとこの耳に届いていた。
…まあ、言ってしまうとこいつの努力は端から無駄な努力だったということだ。
そんなかわいそうな奴だろうと、俺と書物との間を裂くとなれば容赦はしない。
俺は未だに能天気に誰何を求めてくる奴の手の甲を爪の先でこっぴどくねじってやる。抓るなんて生温い。捻じ切ってやる気概で、殺れ。
と、思惑通りにけたたましい奇声を上げつつ両目から手を引かせた奴は、俺の背後でゴロゴロのたうちまわっている。
「うう、酷いサヨリちゃん…っ俺よりそんな老本を取るっていうのねオヨヨヨヨ」
「…その老本ってのはどういう表現だ」
わざわざ口でオヨヨなんて泣き真似をしたことについては突っ込んでやらない。
そんな覚めた反応が不満だったのか、新木は口を尖らせる。
「だって折角今日なのに」
「何が」
「ちょっとカミサマこいつ薄情に作りすぎじゃないのー!?」
「だから何がと訊いている」
勝手にフェードアウトしていく新木に焦れて先を促せば、キッと言う擬音がぴったりの様で俺を睨み見る。
「今日、本当にわかんないの」
「そうだと言っている」
「俺がこんなに泣いてるのにっ?」
「それが何だと言ってるんだ」
一向に進まない会話に苛々が募る。が、
「――あの時は雨が降ってて、俺を汚いもの見るみたいな目で見てたって言っても?」
「…………」
思わず絶句すると、もう言いとぽつりと言い残して新木が立ち上がろうとする。
「っ待て」
「もういいよ。本でも何でも好きなだけ読んでて」
「待…っ!そんな積りじゃなかった!」
なんて、都合のいい言葉だろうか。
新木はそんな俺を温度のない目でひたと見つめた。
「そんな、積りじゃなかった、ん、だから…な?」
「ん」
ごめんと言えない俺に、そうやって結局折れるのはいつも新木の方だ。
いつも五月蝿く煩わしく鬱陶しく纏わり着いてくるのをどうしようもなく邪険に扱いはするも、決していなくなって欲しいとは思わなかった。
眉間の皴が定着しつつある俺に更に溝を作らせるのも、またそれら全てを平地に均すのもこいつだけなのだ。
決してそれを、悟らせることはしないけれど。
「新木」
「もういいって」
先ほどと同じ響きの言葉が、違う余韻を引いて室内に満ちた。
(2008/03/25)