王と傀儡王(シリアス/ファンタジー)
乞われ、定められるままに為した結果、それを知った後とるべき行動とは何か。
子供は親の背を見て育つと言う。
それはおそらく、一番身近にいる大人を指すという点で言えば間違いではないだろう。
生を受けて十数年の後、国土内のさる小さな町で奇病が蔓延した。
父の命により医師団が派遣されたこともあり、原因のわからないその病もすぐに収束に向かうだろうと予測されていた。けれどその見込みが甘かったことを、当人たちは身を以って知ることとなった。
最初の見込み違いはその繁殖力だった。どんな抗体にも差ほどの間をおかずに順応し、より強い脅威を伴って人々へと襲い掛かった。その速度は乾いた砂に水が染み渡るよりも尚顕著で、症例発見から壱月もたたぬうちに王都にまで魔手を伸ばした。
結果だけを言えば奇病は人口の約四分の一を飲み込んだ後、民に与えた恐怖と絶望を糧にしたかのように急速に消えていった。原因はわからず、今でも究明作業は続けられている。けれど一部では、あれは呪術師の仕業だったとか密かに開発された細菌兵器だったのだ、などと言われている。
全く以って馬鹿なことだ。それが根も葉もない噂だということは誰よりも私が知っている。
何故なら、それらの指示を出した黒幕は、この私だと言われているのだから。
奇病の猛威が振るわれた当時、私は隣国へ国交をかねた遊学に出ていた。そのために王宮まで蔓延したそれらの被害から逃れられたのは、確かに幸運だったと認めるところだ。民にとっても最後となってしまった王族が若輩過ぎるとは言え、帰国した当初は天を落とさんばかりの出迎えを受けた。
その声は期待に満ちたものであり、善政を布いた父の跡目をしっかりと継ぐように私を希望のよすがとするものでもあると、根強く自覚させる声であった。
私は寄せられる期待に応えんと、難を逃れた要人たちと政を執り行った。けれど先ず対面したのは絶対的な経験不足による障害だった。
直接向けられることこそなかったが失望の念を滲ませた空気に、私こそが自らに誰よりも苛立ちを感じたと誰が否定できようか。生まれながらに課せられた重責とは言え、それを受け入れ臨んでいくことを刷り込まれて成長した私だ。誰よりも法を識り、尊び、また遵守せんと寝る暇も削って机にしがみついた。その結果が、あの噂だ。
過ちには厳格なる罰を。善行には妥当な褒章と更なる善行の要求を。
多少厳しく思える処置も全ては国のため、ひいては民のためだと、自らへ諫言する者へも言って聞かせた。
けれど私への不満は高まり、私は生まれ育った王城を遠く見つめる身分へと追いやられた。
今、あの玉座に座る者は古来からの血に連なる者ではないが、それに大した感慨は何故か湧いてこない。私の中を占めるのは今はただ、何のために私はここにあらねばならぬのかと言う疑問ばかりだ。
国のためにあれ。己より民に重きを置いてその身を生涯に渡り捧げる者たれ、と教わってきた私には、失敗し全てを失った私を受け止める術はどこにもなかった。
この国には緑が多い。
石を敷き詰め文明の発展を露わにした町並みより、緑多い景観を祖父と父とが好んでいたための名残だ。街々の間には深い森が茂り、成長しすぎたそれらは深く懐に入り込んだものを容易くは手放さないほどだ。
そんな森の一つの懐中に私は居を据えている。
追われた身であり国内に留まることは危険なことではあったが、やはり生国には離れがたい引力を感じる。共に落ち延びたただ一人の家臣であり、知己でもある乳兄は難色を示したが、結局この居場所を私へ与えてくれた。
ここへ来て一度として人には会っていないが、生活をするのにはどうしても人に会い買い物をせねばならない。その役目も彼が担ってくれた。その彼が、一昨日から戻らない。
離れているとは言え町までは往復で一日とかからないはずだ。今までとてこんなにも帰りが遅くなったことはなかった。
何かあったのだろうか。
一抹の不安を感じた私は、彼を迎えにいくために一年と三月ぶりに人のひしめく土地へと赴くための準備を始めた。
果たしてここはどこなのかと、ここは本当に記憶の中の自国と同じ場所なのだろうかと、誰かに訊ねたくてならない。
家々はこんなにも朽ちていたか。人々はこんなにも淀んでいただろうか。
国が荒れたあの直後と言うのならわからないでもない。けれどこれは。ここはいわゆる下町と区分される地区だろう。確かにかつて受けた報告では問題の絶えない場所だったが、これほどではなかったはずだ。少なくとも私の元へ届けられた書類には排水や弔いの不備などは一度として目に入らなかった。
町の有様に愕然とし大儀そうに歩を進める私に目を向ける者はなく、呆と座り込む者か食物を獲りあう者ばかりだ。
引き摺るようにしていた足を止める。眼前には幼子を背負った少女が私を見上げて立っていた。
用心のためと目深にフードを被り影になった私の顔を、他意のなさそうなきょとんとした瞳で覗き込んでくる。顔を隠すことへ気を回すのには、今見た惨状は私には衝撃が大きすぎた。
「あんたここいらの人?」
少し掠れた高い声に、街の外から来たとだけのろのろと答える。
ふうんと詰まらなさそうに鼻を鳴らした少女に、この有様は一体どうしたことか、何があったのか、何故このような荒廃が放置されているのかを訊ねる。
するとやはり鼻を鳴らし、
「あんたどこの馬鹿者よ。そんなのお偉いさんが働かないからに決まってるじゃない」
と言って私へずいと手を差し出した。
何かと思い、その手を握ってみると勢いよく叩かれて駄賃を要求された。
例によって街へ来ることがなかった私には金品を持ち歩く習慣がない。その必要も感じなかったため、駄賃となりそうな代物は全て探し人である者が所持していた。
けれど金品以外の対価なら、ここにもある。
「少女」
小さく呼びかけ、視線を合わせるために少女の前へ膝をつく。ただでさえ建物の影となった場所にいたため、下から僅かに望めていた風貌がより深い影に覆われて少女からは見えなくなっているだろう。
その二つ目の影を作り出している元を、私はゆっくりと持ち上げて取り払った。
開けた視界に先と変わらず強く、どこか皮肉気な少女の眼差しを捕らえる。
「名は?」
「代金を貰わない内はどんな質問にも答えないよ」
一瞬言われたことの意味理解しかね、ぽかんとした私はその言葉を飲み込んだ後、思わず笑みを落としてしまった。まさか名を訊くのにすら対価を要求されるとは思いもしなかった。
「それでは私の名を対価に、お前の名を教え」
「おやめ下さい」
紡ぐ言葉は後ろから近付いてきたらしい僅かな足音の主に押し返されてしまった。
その声はここまでやってきた目的である探し人のものであった。
「あなたはご自分から窮地に立たれるおつもりか」
「しかし」
「あんたの名前なんか対価になんてならないよ」
いつになく厳しい目で私を見据えていた彼の目線が少女へ移る。つられるように移した私の視界には、やはり鼻を鳴らさんばかりのややふてぶてしい少女の様が入り込む。
「もう知ってる奴の名前なんて対価になんてならないよ、元暴君」
少女が言葉を放った後、瞬きの内に彼が少女へ近付いた。
「どうされるおつもりですか」
投げかけられた問いは、果たして何に対してのものか。
今後の私の身の振りはもちろん何れ決めねばならない。いつまでもこうして森に巣食っているわけには行かない。国を出るか、ここにとどまり何らかの行動を起こすか。前者なら容易い。乱の直後は針の穴ほどの隙もなかった国境門は今はいくらかの綻びがあるだろう。元平定者としては如何ともしがたい事実だが、今ほどあからさまではないにしろ昔からそういった抜け道はあったようだ。皮肉なことにこんなことにでもならなければ、きっと私は生涯その綻びに気付くことはなかっただろう。
国境門管理は国の末端に位置するとは言え、重要な責を担っている。とどのつまりそれが綻んでいるとなれば国の中枢核それすらも縺れているという証拠だった。
そう結論付ける事実を齎した目の前に横たわる少女にちらりと視線を差し向けた。
少女は言った。
私が目にした惨状すら、程度の差はあれど私の在位中からそう変わりのない光景なのだと。それに私は反論をせずにはいられなかった。私は何より法を尊んだ。法とは民が、国が、国として成立するための最低限のルールなのだ。少なくともそれを蔑ろにしなければ国状は荒れはしまいと信じ、日々刑罰を厳命していたのだ。
しかし少女によればそれは国を荒廃へと導く手助けだったのだと、そう言い捨てられた。
下町に住む民は皆貧しい者ばかりだ。明日の罰より今日の飢えをしのぐことすら難しい者が多い。全うな方法では三日日保っても四日目は迎えられないのだという。だから民は法を犯すのだと。そうせざるを得ないのは私たち中枢に関わる者の責任だと、そう言って少女は意識を失った。
彼が私の手を振り払って少女を打ったのだ。
それから森の中へと戻り、長い時間を私は思考に費やしている。
正直に言おう。私は少女の話を信じたとしても、納得してやることは出来ない。
けれど同時に否定することも出来ない。
どうする。
でも、何も出来ない。
今の私には何の権利も権力もない。
窓辺に立ってこちらを変わらずに見つめ続ける彼を見返す。
窓の外には月がほんの少しの雲に欠けた輝きを放っている。月光を受けて先程より鮮明に見えた少女の顔色が青いのは何故か。
それは少女に抱きこまれるように眠っている幼子の顔色と少女のそれを照らし合わせれば自ずと答えが見えてくる。
私は、結局何もできはしなかったのだ。いや、しているつもりではいたが何もかもを知らなさ過ぎたのだろう。
理想も目的も何もないまま、ただ引き渡された玉座はただの椅子でしかなく決してそれに座するだけの者が王ではないのだ。それは今その座近くにある者、そして、私を見ても明らかだ。
理想だけでも道理だけでも足りない。何故なら国とは、法とは、それを望む者なくして意味はないのだろうから。
暖炉の火が消えているのを確かめ、昼間潜った戸を再び潜る。
音もなく付き従う彼を振り返って軽く口端を上げると、彼は常の上目遣いの無表情をほんの少し崩してそれに答えてくれる。
私はきっと戻ってみせよう。
私が生まれ、育ったあの土地に。けれどそれは今すぐではならないのだ。
遮る雲を流され、露わになった月光が燦々と降り注ぎ、行く手を照らす。
(2008/3/13)