【超短編】悪役令嬢の末路
シャンデリアの光が、磨きあげられた床に溶けて揺れている。
私、セシリア・オーバーンは、その光のなかを進んでいく。
すれ違う令嬢たちが、ふいに口をつぐむ。通り過ぎたあとから睨みつけられ、なかには、わざと足を出してわたしを転ばせようとする者までいた。
こんなことが、ここ最近ずっと、わたしの身に起きている。
広間の奥に、ある男の姿を見つけた。エドガー・ロンブリル、伯爵家の跡継ぎ。
人の輪の中心にいて、けれど退屈そうに、庭へ続くガラス扉のほうへと一人で歩いていく。
「……いまなら」
わたしは、勇気を出してそのあとを追った。
温室の空気は、夜気を吸って冷たかった。
ガラスの天井の向こうの月光が私たちだけを照らす。その中で奥の噴水が、水音を立てている。
エドガー様は、その縁に手をかけて、こちらを振り返った。
「セシリア嬢。こんなところで一体?」
「追ってきてしまいました。申し訳ございません。でも、どうしても、二人きりでお話ししたかったのです。あの子の目のないところで」
「あの子とはリーナ嬢のことですか?」
エドガー様の問いに私は小さく頷いた。そして、周りを気にするように見渡した。
「ええ、あなたもご存じですね。いつも取り巻きを従えて、皆を見下している、あの方です」
首を振って、誰もいないことを確認したわたしはそう続けた。
「リーナは、わたしのすべてを奪っていきました。今のわたしにできるのは、舞踏会の片隅でひっそりと立ち尽くすほかありません」
「そうですか」
「それだけではありません。かつて、わたしの婚約者も同然だったあなた様まで……。エドガー様、リーナが何を吹き込んだのかは存じません。ですが、どうかお気をつけください。あなた様は、彼女に騙されているのです!」
エドガー様の表情は、月明かりのなかでも判然としなかった。
しかし、近頃の彼がリーナへ向ける眼差しを知っている。だからこそ、これしきの訴えでその心が揺らぐはずもないと、わたしは痛いほど理解していた。
わたしは続けた。
「わたしにまつわる悪い噂は、すべてリーナが流したものです。わたしが彼女を虐げているなどという話も、最初に言い出したのはリーナでした。言葉はよろしくありませんが、彼女は『悪役令嬢』そのものです!」
「セシリア嬢――」
「お願いです、エドガー様。どうか目を覚ましてください! わたしたちの婚約は、そんなに軽いものだったのですか? あの日交わした約束は、すべて偽りだったのでしょうか!」
わたしはエドガー様へ一歩近づいた。
気づけば、頬を伝う涙は止まらなくなっていた。みっともないことなど構っていられない。子どものように泣きじゃくりながら地面に膝をつき、わたしは彼の衣の裾へと縋りついた。
わたしにできることは、もうこれしかなかった。
ただ、信じてほしかっただけ。
しかし、そのときだった。
ガラス戸が開き、一人の令嬢が温室へ足を踏み入れる。エドガー様の視線は、たちまちその姿に吸い寄せられた。
「リーナ嬢……」
リーナの背後には、いつもの取り巻きの令嬢たちもいた。
彼女たちは地面に膝をつくわたしを見下ろし、まるで汚らわしいものでも見るかのように眉をひそめている。
そんなことよりも、わたしの胸を締めつけたのは、エドガー様の眼差しだった。
彼は、ただリーナだけを見つめていた。
その姿を見れば分かる。もう、わたしの言葉など届きはしないのだと。
きっとエドガー様を説得することはできない。それでも、わたしは諦めきれなかった。
脳裏によみがえったのは、あの日の出来事だった。
5日前——リーナに呼び出され、この温室で対峙した日のこと。
あの日、彼女はわたしの指を傷つけた。
そして、それは——
「ちょうど、その噴水の縁でした」
「……」
「リーナは、わたしを突き飛ばしたのです。あと少し足を滑らせていたら、大怪我をしていたかもしれません」
誰も信じてはくれなかった。
わたしが何を訴えても、誰一人として耳を貸してくれなかった。
それでも——。
「皆様が信じてくださらなくても構いません。ですが、せめてエドガー様にだけは知っていてほしかったのです。これが、紛れもない事実なのだと——」
手を、伸ばした。
だが、エドガー様は、静かにその手を引いた。そして、長いあいだ黙ってから、言った。
「セシリア嬢——君は一体、誰の話をしてるんだ?」
……え。
「取り巻きも、噂も、君が言うような事実は、何ひとつないんだ。それにリーナ嬢の背後にいる彼女らは取り巻きじゃなくて、リーナ嬢の近衛騎士だ。5日前にリーナ嬢は何者かの襲撃によって怪我を負ったからだ」
噴水の水音が、やけに大きく聞こえた。
「5日前って……わ、わたしがやったと言いたいんですか!?」
思わず声が裏返る。
「たしかにあの日、わたしはあそこにいました! けれど襲いかかってきたのはリーナの方です!」
「——それは違う」
エドガーは、噴水の縁から手を離し、立ちあがった。
「その縁で手を切ったのも、突き飛ばされたのも、リーナのほうだ。布を巻いたのは、この僕だ。あの晩、君が笑いながら出ていった、すぐあとに」
その目は、もうわたしを見ていない。ガラスの廊下にいたリーナ嬢のほうへ向けられている。
「それに――」
エドガーは小さく息をついた。
「僕は、最初から彼女の婚約者だ」
「え……?」
「奪われるも何も、僕が君の婚約者だったことは……一度もないんだ」
いつのまにか、ガラス扉の向こうに、いくつもの人集りができていた。その先頭に、うつむいた小さな女。右手に、白い布を巻いている。
「不思議だっただろう」
エドガーが言う。
「なぜ皆が君を避けるのか。なぜ舞踏会で、君の隣だけ誰も立たないのか」
違う。
それは――。
あの子が。
「リーナのせいじゃない」
わたしの心を見透かしたように、エドガーは続けた。
「誰かに仕組まれたわけでもない。
……この半年、皆ずっと見てきたんだ。君が彼女に何をしてきたかを」
エドガーは、そこで一度だけ、言葉を切った。
「だから、君は一人なんだよ、セシリア嬢。ずっと前から」
そう言われて、胸の奥に澱のように溜まっていたものが、すうっと晴れていくのを感じた。
——ああ。
そういうことだったのか。
どれほど足掻いても。
どれほど誰かを憎んでも。
どれほど自分は悪くないと言い聞かせても。
この事実は変わらなかった。
わたしは最初から――
悪役令嬢でしか、生きられなかったのだと。
乙女ゲーの悪役令嬢視点のお話でした。
悪役令嬢もまた、悪役になりたくてなったわけではない。そんな解釈で書いてみました。
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