4話 薄明の迷い子
アルトは見た目だけではなく、能力的にも、英雄になりうる人物ではなかった。
正常でいられるはずもなかった。
ここしばらく縋っていたものに手を離される感覚だった。
この後どうすればいいのか、分からなかった。
頭が真っ白になって、プツンと切れた。
気づくといつの間にか知らない場所に来ていた。
また少しの間気を失っていたようで、頭が痛い。空気に押しつぶされるようだ。
起きると不安げな表情のアルトと目が合った。
「……大丈夫?」
「ええ……ごめんなさい。私、気が動転して……」
「そんなこと……」
押し黙るアルト。
否定できないほどには酷い有様だったのだろう。
「そんなことより、ここは……?」
アルトが首を回す。
見ると、辺りは木や草が生い茂っていた。森だ。
でも、
「エイリーンの世界ではこんな木が普通なの?」
「いや……こんなの、見た事ない」
アルトの問いかけに答えながら空を見つめる。
空、と言ったが上を見ると視界の全てを巨大な木々が覆っていて青い空は見えず、昼か夜かも定かではない。
「でも、何故か辺りはよく見えるね。空気も美味しい気がする」
「空気が美味しい……? 見えるのは……マナかしら」
樹木がうっすらと光っているお陰か視界は良好だ。
これがマナによるものというのは直感だけど、目に映るほどの濃いマナが漂っているなら、この押しつぶされるような感覚にも説明がつく。
アルトが意に介していないのは、やはり魔力に対する適性がないからだろうか。
「ここはどこなんだろう?」
「…………」
心当たりはない。
正直、ここに来るまでの記憶も曖昧だ。
すっぽり抜けているのか、何もなかったのか。どんな経緯でここに来たのか、わからない。
「エイリーン? だい――」
アルトの声に重なるようにして、木々の隙間から「異物」が混じった。
風が葉を揺らす音でも、虫の羽音でもない。
湿った空気を震わせて届いたのは、低く、下卑た笑いを含んだ男たちの話し声だった。
「……っ!」
私は反射的に、アルトの腕を掴んで手元に引き寄せた。
「え、なに――」
驚きに目を見開く彼の口を手のひらで封じ、空いた手で肩を抱きすくめるようにして、巨大なシダの葉が作る濃い陰の中へと沈み込む。
アルトの身体が強張るのが分かったが、今は構っていられない。
「……しっ、静かに」
耳元で囁くと、アルトは何かを察して口を真一文字に結んだ。
息を殺して耳を澄ませると、十数メートル先から、こちらの緊張など露ほども知らない呑気な会話が聞こえてきた。
「……おい、こんな何にもねぇ場所にいつまでいなきゃなんねえんだよ」
「ガタガタ言うな。異常がなければそれで終わりだ。下っ端には下っ端の仕事があるんだよ」
「ってもよぉ……魔物や魔獣ならまだしも、人のいるような場所じゃねえだろ……」
男は四人。くたびれた革鎧を付けている以外は統一感のない服装だ。
特に警戒もせず歩いている。が、腰にはそれぞれ剣やダガーをぶら下げている。
「逃げた方が……」
「落ち着いて。……やり過ごすのよ」
落ち着いたと思ったアルトだが、動揺の色が見て取れる。
武装した者を見ることも初めてなのかもしれない。
じっとしているつもりかもしれないが、ジリジリと後ろに下がっている。
パキっと音がした。
「――おいっ! 誰だ!!」
それはアルトが枝を踏み折った音だった。
男たちは瞬時に剣を構え、警戒態勢に入る。
「……ゆっくり、ゆっくり下がって」
「…………」
一瞬の動転の後、逆に落ち着いたのか、無言で頷いてアルトはそっと動いた。
「そこだろ? いるのは分かってる」
一発で場所が割れてしまったらしい。茂み越しに魔道具らしい腕輪をしたリーダーらしき男と目が合っている。
避けては通れなそうだ。
「……分かった、いるわ。だから武器を下ろして」
両手を上げながら茂みの陰から出る。
「なんだよ、マジで人がいるなんてな」
「っても、こいつは違うぜ? 上玉だがよぉ」
「ヤツら以外は殺せとの指令だ。一人ではなさそうだが、まずはこいつだ。殺るぞ」
腕輪の男の言葉で、三人は私を中心に半円を描くように広がった。
剣が二人、両手剣が一人、ダガーが一人。分かってはいたが、逃がしてはくれないらしい。
「易々と殺せると思ったら大間違いよ」
鞘から引き抜いたショートソードが、鋭い金属音とともに森の空気を震わせる。
「……ヘリスの口うるさい忠告を守っておいて正解だったわね」
戦時中のため常に帯剣すべきだ。
とへリスにしつこく言われていたが、今は感謝しなければならない。
その一振りの重みが、私の右手に戦う実感を宿らせる。
「……へぇ、そのツラで抜くのか。いいね、最高だ」
両手剣を構えた男が、獲物を舐るような視線を向けてくる。
背後で息を呑むアルトの気配が、痛いほど伝わってきた。
まともに戦ったこともない彼を、こんな汚れ仕事の連中に触れさせるわけにはいかない。
一歩前に出る。彼を庇うようにして広げた左手が、わずかに震えているのを、私は右手の柄を握りしめる力に変えて抑え込んだ。
「あー……殺しちまうにはもったいねえ女だな!」
刹那、森の喧騒が遠のき、敵のわずかな重心移動さえもがスローモーションに焼き付く。
ダガー使いが後ろに回るのを確認しながら両手剣の縦振りを回避する。
両手剣がもう一周して次の攻撃が来る前に突進、両手で剣を持ち腰あたりを思いっきり叩く。
後ろ向きに倒れるのを視認する前に、振り返りながら横薙ぎに一閃。
ダガーでガードされるが、武器の質量はこちらが上だ。遠心力の力を逃がさず吹き飛ばす。
「やるねぇ!」
足元が揺れる。
敵の土魔法だ。地面が窪むが、その前に飛び出した。
左手に魔力を込める。
「――っ!?」
掌に熱が集まらない。それどころか、マナを練ろうとした瞬間に、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚が走った。
……なぜ? 魔法の構築が、霧が晴れるように霧散していく。
理由を考えている暇はない。一旦魔法はなしだ。
飛来する土弾を、紙一重でかわし、避けきれない一発を剣の腹で弾き飛ばす。
そのまま距離を詰めると、術者は「ヒッ」と声を上げながら剣で防御の構えを見せた。
態勢を一気に低くし、鎧の付いていない左脚を削ぐように斬る。
「うぐぁっ!」
悲鳴とともに剣士は膝から崩れ落ちた。
呼吸を整え、切っ先を最後の一人――腕輪の男へと向ける。
「……すごいな。三人を一蹴か」
一歩も動かず様子を窺っていた腕輪の男が、ようやく低く声を漏らした。
一人だけレベルが違う。
仲間がやられたことへの怒りはない。目の前の獲物が「想定以上の毒」を持っていたと、むしろ感心しているように見える。
「……次は、貴方の番よ」
強がって切っ先を向けるが、私の肩は激しく上下していた。
マナが、驚くほど言うことを聞かない。身体も鉛のように重い。
もし男がこのまま踏み込んできたら――そう覚悟を決めた時だった。
「……いや、やめておこう。俺の仕事は森と村の調査だ。探してるヤツも……まぁどうやら嬢ちゃんは違うらしいしな。こんな強い女と刺し違えるなんて、割に合わねえ」
男は吐き捨てるように言うと、ゆっくりと後ろに下がった。
「…………」
相手に戦意がないと分かり、僅かに剣先が下がった。
その時だった。
「グルルルっ!」
ガサッと茂みが揺れるのと同時に、何かが男の脚に噛み付く。
「――なっ! 魔獣……!?」
それは、歪に捻れた角を持つ狼の形をしていた。
体表を覆う淡い光は、森の木々と同質のマナだ。
まるで森そのものが牙を剥き、実体化したかのような錯覚に陥る。
その瞳には理性など微塵もなく、ただ飢えた光だけが宿っていた。
「クソッ! 急に現れやがって!」
突然の襲撃だった。
流石の男も、失った戦意と集中を瞬時に取り戻せず、動揺を隠せないまま剣を叩きつけている。
血を撒き散らしながら一度狼は距離をとるが、依然狼が有利な状況だ。
男の脚は噛み砕かれ、立ち上がれないでいる。
男の剣の腕はかなり立つだろう。それでも、機動力を失ってしまえば為す術もない。
「……助けるべき、よね」
再び切っ先を上げ、正眼に構える。
魔獣はこちらに気づいてはいない。目の前の瀕死の獲物をどう処理するか、そのことでいっぱいだろう。
「た、頼む! やってく――っ!?」
男の懇願は、肉の裂ける音で塗り潰された。
背後から現れた二体目の爪が、男の背中を抉るように切り裂いていた。
それに呼応するように、正面の魔獣も男に襲いかかる。
無理だ。ここから男を助ける術は私には無い。
「……アルト! 逃げよう!」
状況に耐えきれなかったのか、茂みから出てきたアルトに叫んだ。
蹂躙される男を目で追っていたアルトの顔は、幽霊のように真っ白だった。
私は彼の震える手を無理やり引き、走り出す。
必死に走った。どれぐらい走ったかは分からない。
私たちが息も絶え絶えに足を止めたとき、背後を支配していたあの男の悲鳴は、もう聞こえなくなっていた。
遠く離れたせいか、あるいは、その命が尽きたせいか。
確かめる術はなく、ただ私たちの荒い呼吸音だけが、不気味なほど鮮明に森に響いていた。
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思えば、実戦は初めてだった。
思ったより上手く動けた。
魔法が使えなかった理由は分からないが、使えないなりに最適な動きで、敵を無力化できた。
でも、それと同時に、
少し場所やタイミングがズレれば、死んでいた。
そう考えた時、ついさっきまで対峙していた男の惨状が目に浮かび、胃から酸っぱいものが込み上げてくる。
「……アルト、大丈夫?」
何とか自分を落ち着かせようと声を出した。
アルトは相変わらず色の抜かれたような顔をしている。
でもきっと私も彼と同じだ。
「エイリーン……あの、男の人は……」
「…………」
私は答えず、ただ短く首を振った。
かけるべき言葉が見つからない。助けられなかったのか、助けなかったのか。その境界線は、今の私にも酷く曖昧だった。
「……僕のせいだ。僕が、あんなところで音を立てたから」
「違うわ、アルト。……顔を上げて」
震える彼の肩を、私は強引に前へ向かせた。
「後悔なら、安全な場所に辿り着いてから存分にすればいい。今は……一歩でも遠くへ動くの。いい?」
アルトは何かを言いかけ、喉の奥で言葉を飲み込むと、弱々しく頷いた。
「……そう言えばあの男、村って言ってたわね」
震える脚を叱咤しながら、私は歩き出した。
この先に村があるのなら、そこがどこであれ、今は救いになるかもしれない。
「……あいつらが残してくれた道があるわ」
さっきの男たちが通ってきたであろう、僅かに踏み固められた跡を辿る。
辺りにあの狼の気配はない。
途中、森の木々に不自然な傷跡や、誰かが野営をした跡を見つけるたびに、私は「人がいる」という希望をアルトと共有しようとした。
だが、ようやく辿り着いたその場所で、私たちの淡い期待は打ち砕かれることになる。
視界が開けた先に広がっていたのは、緑に飲み込まれつつある、村の形をした無音の骸だった。
煙の上がらない煙突、蝶番の外れた扉。
そして、石壁に刻まれた生々しい剣の傷跡や、黒く焼け焦げたまま放置された家屋の残骸。
石畳が割れ、伸びた雑草に覆い尽くされたがらんどうの広場には、かつての平和を切り裂いた暴力の余韻が、不気味に沈殿している。
そこにいたのは「助けてくれる人々」ではなく、長い歳月をかけて朽ち果てていった、かつての生活の残滓だけだった。
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「とにかく休もう」
心身ともに疲労のピークを迎えた私が何とか絞り出した言葉だった。
比較的雨風を凌げそうな家を選び、軋む扉を押し開ける。
ホコリの匂いが立ち込める室内で、私は塗装が剥げ落ち無惨にささくれた木の椅子のを一つ引き寄せ、その椅子の脆さを確かめるように、ゆっくりと、恐る恐る腰を下ろした。
「はぁ……」
謎ばかりで頭がパンクしそうだ。
この森も、あの男たちも、魔獣も、この村も。
ただ、分からないことだらけでも、やるべきことは理解している。
アルトを守らなければいけない。
短い付き合いではあるが、彼は穏やかな日常を望む優しい人だ。
それを、勝手に呼び出して、戦いに向かわせようとしていた。
戦う力も持たないまま、こんな危険な場所に連れて来てしまった。
なら、私が守らなければ。
元の場所に戻さなければ。
方法が分からなくても、とにかくアルベリスに帰って、どうにかするんだ。
そう考えていた時だった。
ズン、と足元から突き上げるような重い振動が走った。
「――っ!?」
地鳴りのような揺れに思わず椅子の背を掴んで踏ん張る。
直後、遅れてやってきた凄まじい轟音が、廃屋の硝子のない窓をガタガタと震わせた。
――ズズゥゥゥン……ッ!
巨大な質量がまとめて押しつぶされたような、低く、重い音が鼓膜を揺らした。
「……今の、何……?」
机の脚を握り蹲っていたアルトが顔を上げ、震える声で呟く。
私は崩れた窓枠から、音がした方角を凝視した。
遠く離れているはずの森の奥から、鳥たちが一斉に飛び立ち、不気味な静寂が再び辺りを支配していた。
「……見に行ってみるわ」
「え…………それは、危ないんじゃ……」
アルトの言い分はもっともだ。
さっきの比ではない危険があるかもしれない。
だとしても、何も分からない今の状況が進む。そんな気がした。
「……行くなら、僕も行くよ」
置いて行かれる不安と、何かへの覚悟が半々といった表情のアルトを見て、私はさっきの自分の考えを反芻した。
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湿った土を踏み、立ち並ぶ巨木をいくつも通り過ぎていく。
ようやくあの轟音の余韻が落ち着き始めた頃、私たちはその場所にたどり着いた。
木々が円状に薙ぎ倒され、ぽっかりと穴が空いたように開けた場所。
そこは、脳裏に焼き付いて離れない、先程まで対峙していた魔獣の墓場になっていた。
「誰がこんなことを……?」
数え切れない程の魔獣の骸。その全てが、まるで紙でも断つかのように横に真っ二つにされている。
切り口があまりにも統一されているそれは、一刀のもとに全てが断ち切られたという、有り得ない仕業を示唆していた。
奇襲だったとは言え、手練の男を蹂躙した魔獣だ。
一体ならともかく、この数を相手取れば、私もタダではすまないだろう。
明らかに規格外の者が、この森にいる。
「……警戒して、進みましょう。……あなたは、私が護るから」
無意識に身体が強張らせ、抜き放った剣の重みを噛み締めながら、私は歩き始める。
切り裂かれた魔獣の山を横切る際、何者かの視線が背中に突き刺さった気がして振り返るが、そこには揺れる木影があるだけだった。
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目の前にそびえ立つ石造りの塔を見上げ、私は息を呑んだ。
そこだけ、時間が止まっているようだった。
村の家々とは対照的に、恐らく人がいた時のそのままの形で、異質な威厳を放っている。
内部へ足を踏み入れると、そこには生活の匂いなど微塵もなかった。代わりに鼻を突くのは、冷たい石の匂いだ。
「……何だろう、これ」
アルトが吸い寄せられるように、その建物の中央にあった石の台に触れた。
幾何学的な紋様が刻まれたその台の中央には、かつて何かが埋まっていたような、不自然な円形の窪みがある。
これは、ただの建物じゃない。
あの村は、この塔で行われていた「何か」ために存在したのだろう。
「エイリーン? 何か分かった?」
「……いいえ。ただ、村にとって、とても重要な場所だったみたい」
階段の上も調べてみたが、そこにはただ虚空を見つめるだけの石窓があるだけだった。
何もかもが失われ、機能していない。
私は一度、抜き放っていた剣を鞘に収めた。カチリ、と静まり返った塔内に乾いた音が響く。
鞘に収めてもなお、右手の震えが止まらない。
剣を握りしめすぎていた手のひらは、赤く腫れ上がり、鈍い痛みを発していた。
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《有人視点》
隣で、エイリーンが膝に置いた自分の手を、もう片方の手でさすっているのが見えた。
僕は、何をやっているんだろう。
元いた世界では、こんな危険なんてなかった。
殺し合いも、魔獣に襲われることも、強大な存在に怯えることもない。平和な日常が、何もせずとも過ぎていった。
エイリーンに勝手に召喚されて、こんな場所に連れてこられた。
彼女を恨む気持ちは、まだ消えていない。
けれど、今僕を苛むのは、自分自身への不甲斐なさだ。
凄惨な光景を見た。命の危険を感じた。
でも違った。命を張っていたのは、彼女だけだった。
ショックを受けて、訳も分からずこんな所に来て、足手まといを連れて。
それでも彼女は、戦った。
彼女ひとりなら逃げられたのかもしれない。
それなのに、戦ってくれた。
僕は何をしていた?
腰を抜かして、彼女の後ろにしがみついていることしかできなかった。
何もできないことを言い訳にして、救世主になんかなりたくないと駄々を捏ねて。
彼女に護るといわれて、安心していたんだ。
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《エイリーン視点》
隣に座るアルトの横顔が、影に沈んで見える。
きっと、今日起こったことは、彼にとってありえないことの連続だっただろう。
それを引き起こしてしまったことに、改めて罪悪感を感じる。
かけるべき言葉が見つからないまま、私は石の階段の冷たさを肌で感じていた。
「……これから、どうしようか」
絞り出すようなアルトの声に、私は無理に口角を上げた。
「そうね……この森を出るのが一番だけど、もう今日は休みたいわね」
大丈夫よ、と言いかけて、言葉が喉に張り付いた。
風が止まった。
森のざわめきが、まるで誰かに口を塞がれたように一瞬で消え去る。
本能が、鞘に収めたばかりの剣を掴めと叫んでいた。
「――っ、アルト! 伏せて!!」
返事を待たず、私は彼の肩を突き飛ばすようにして階段の下へ転がした。
次の瞬間、凄まじい衝撃音と共に、さっきまで私たちが座っていた石の階段が巨大な何かによって吹き飛ばされていた。
砂塵が舞い上がる。
その向こうから漏れ出してきたのは、さっきの魔獣とは比べ物にならないほどの濃密な殺気だった。
「……っ、あ…………」
埃に塗れながら顔を上げたアルトが、絶句してその影を見上げている。
私は痺れる右手を無理やり動かし、再び剣を引き抜いた。
私たちはまだ、この森の本当の牙を知らなかったのだ。




