10話 若き宣誓
酷い夢を見た。
ある兵士の夢だ。
彼は無謀にも敵将に突進して、無残に散った。
背中に残る冷たい感覚が、あの槍のものか自分の汗かわからない。
「……気持ち悪い」
窓を開けて、戦時中であるにも関わらず綺麗に整えられた庭を眺める。
あれが今起こっていることなのか、そもそも現実に起きているのか、皇宮で過ごす僕にはまだわからない。
それでも、戦いが近づいてきていることを夢が僕に知らせてきていた。
ディストンの手紙が届いてから、二日たった。
手紙の内容は、要点にするとふたつだ。
まず、僕たちを徴兵する。数日後に帝都に到着するので、詳細はその時に話す。
そして、その準備をしておくように。
あとは世間話のようなものだった。
「準備って言ってもなぁ……」
正直僕にとっては何をしていいのかわからない。
エイリーンも戦争は初めてだ。
そもそも、フレーダット帝国が建国されて以降、国同士の争いは起きていないのだから、初めての者ばかりだろう。
そんな中、数少ない戦闘経験の豊富な人物が、今日帝都アルベリスに到着する。
ディストン・フォン・ホーマン
魔界との境界を守るアイゼンゲートの主であり、数々の魔族や魔物との戦いを潜り抜けてきた歴戦の将である。
成人する頃には「大将帥」を譲り受け、長年その座についている。
大将帥という称号は、ホーマン家が代々継いでいる称号ではあるが、家長になれば必ず手に入る称号ではないらしい。
相応しい実力や実績のない場合は、欠番になることもあるようだ。
そもそも、特殊かつ臨時的なものであるため、こうした有事でもない限り、大将帥として活躍する場はない。
しかし、今回はその形だけであった役目を遂に果たす時が来た訳だ。
「アルト様、お時間でございます」
ドア越しに使用人の声が聞こえ、僕は正装の上着に腕を通した。
ーー
アイゼンゲートよりも荘厳な広間。
華美な所はあれど、嫌らしい感じはしない。
それは、その中心に座る男がそうさせるのかもしれない。
少し高くなった所に座るムンガルドに、先日執務室で見せた優しい父親の姿はなく、千年続く国の主としての逞しい姿があった。
そこを起点にふたつに分かれて有力貴族などが整列している。
もう間もなくディストンがここに到着し、改めて直接皇帝から戦うための勅令が下される、ということらしい。
本来、僕がこのような場所にいるのは場違いだろうが、当事者のひとりのため帯同を許された。
許されたと言っても、エイリーン達皇族とは違って末席も末席。端っこで縮こまっている。
彼女らはと言うと、皇帝の脇で立っている。
エイリーンは騎士用の正装、アイリスはドレスに身を包んでいる。
ふたりとも、普段見る姿とは全く違う凛々しい姿だ。
流石に圧巻というか、これまた異世界に来たことを実感する。
「陛下、大将帥殿が到着されました」
「いいよ。入らせて」
騎士団員の合図で前に見た鎧姿の者が数人入ってくる。
部屋の真ん中、ムンガルドの前で彼らは膝をついた。
「……兜は取らないのかい?」
本来皇帝であるムンガルドの前で兜を取らないことは失礼にも程があることだが、彼に怒りの表情はない。
「失礼しました。陛下の御前にも関わらず」
「…………?」
先頭の男の声に、数人が疑問の表情を浮かべた。
僕もおかしいと思った。
声が、違う。
「……父上より、こうするように言付かっておりましたので」
兜を取り顔を上げたのは、ディストンではなかった。
深い赤髪に変わりはないが、父親のそれよりも鮮烈な色、意思の強いエメラルドグリーンの瞳。
「サラディン・フォン・ホーマン、帝国を救うため、アイゼンゲートより馳せ参じました」
その青年は、堂々と言い放った。
想定と違う人物に、謁見の間に集まる人々は動揺の色を隠せない。
「……ディストンのやることはいつも突拍子もないな…………もちろん、説明はあるんだろうね?」
ムンガルドは苦笑しながらサラディンに問いかける。
「はい。もちろんです」
と言って、サラディンは懐から紙を取り出し、読み上げた。
「ムンガルド陛下、並びにその場にいる諸侯の方々、私ではなく、息子が現れたことにさぞ驚かれたであろう。
しかし、これは冗談ではない。
我が息子、サラディンの才は、既に私を凌駕している。この戦場に必要なのは、過去の勲章ではなく、研ぎ澄まされた鋭い刃だ」
ハキハキと、明るく聞き取りやすい声だった。
「ゆえに私は、家督と共に『大将帥』の全権を息子に譲ることをここに宣言する」
全く臆するような様子を見せずに読み切ったサラディンは、ゆっくりと顔を上げた。
「ぶ、無礼な!……陛下の意向もなくそんなこと――」
貴族のうち誰かが叫んだのを、ムンガルドが制止する。
「…………そうか、ディストンがそう言うなら間違いないだろう。それでサラディン……君は、できるのかい?」
ふっと笑いながら、しかし後半、ムンガルドは空気を変えた。
その優しい表情からは想像もできない声の重さだった。
「恐れながら、私は、ホーマン家次期当主としてアイゼンゲートで研鑽を積んでまいりました。
そして今、ホーマン家当主として、陛下に宣誓させていただきます」
誰かが生唾を飲む音が聞こえた。
「必ずや、この帝国に降りかかる火の粉を打ち払ってみせましょう」
サラディンの声に、空気が震えた。
その震えに呼応するように誰かが始めた拍手が、徐々に広がっていく。
「よし。いいだろう。
フレーダット帝国第八十六代皇帝ムンガルド・フォン・フレーダットの名において、サラディン・フォン・ホーマンを、大将帥及び、此度の戦争における大将に任命する」
「ハッ!謹んで拝命いたします」
拍手が収まるのを待たずに、ムンガルドが声を張り、サラディンがそれに応えた。
そのやり取りを見て、さらに拍手の音が大きくなる。
「じゃあサラディン、期待しているよ」
サラディンは帝国式の礼をして、静かに、しかし力強く踵を返した。
各々が興奮した様子で話す中、僕はその場で立ち尽くしていた。
その輪に身を置いていたものの、あまりに場違いだった。
威厳を放つムンガルドに対して、まだ僕と数歳しか変わらないであろうサラディンは、堂々と、自信を持って受け答えしていた。
「アルト」
思案に沈む僕に声をかけてきたのはエイリーンだった。
「サラディンに私たちの話を聞かないと」
そうだ。
僕たちは、彼と共に戦場に行くのだ。
色々と、聞かなければいけないことがある。
「うん、行こう」
喧騒の中、僕たちは謁見の間を出て、サラディンのあとを追った。
ーー
「サラディン!」
赤髪の青年は、廊下に出てすぐそこにある中庭にいた。
「……あぁ、エイリーン殿下、それにアルト。この度はお騒がせしたことでしょう。驚いていただけましたか?」
いたずらっ子のような表情をするサラディン。
「驚いたも何も、何から聞けばいいのか……」
「おそらく気になっているであろうことを、確認しておきましょう」
頭を抱えるように呟くエイリーンに対して、サラディンは明朗快活に口を開く。
「先日父から差し上げた手紙や、先程の内容に間違いはありません。
殿下とアルトは、大将帥の権限のもと、私の指揮下に入ることになります。
……もっとも、エイリーン殿下が拒否し、皇帝からの命令であれば無理強いはできないかもしれませんが」
ここまでは手紙で知っているところだ。
「次に大将帥についてです。手紙でああは言っていましたが、残念ながら、実際父上を超えているわけがありません。
しかし、ここ最近の魔界側の動きが気になるとのことでアイゼンゲートの守りを疎かにもできない、それで私が来たのです」
サラディンは自嘲気味に話した。
少し疑問が残る言い方だと思った。
「それで、帝国が落ちるようなことがあったら、大将帥の役目を果たすとは言えないわ」
エイリーンの話はもっともだ。
今、危機が迫っている帝国を護れる存在が来ないのはどうかしている。
「そうですね……しかし私は、まだ父上に及ばないとは言いましたが、この戦において、シルメイジア王国との戦いにおいて、遅れを取るとは思っていません」
また、彼は自信のこもった表情で言い張る。
太陽の光が彼を照らし、赤い髪が燃え上がっているように見えた。
「そして、エイリーン殿下はお強い方だ。共に戦っていただきたい。」
ディストンが認めたサラディンが、エイリーンを認めている。
そう言えば、エイリーンは模擬戦でサラディンに勝利しているのだ。認めるのも当たり前か。
「それで、アルト。お前はどうする?」
サラディンのエメラルドグリーンの瞳が、再び僕を射抜く。
「手紙に名前は書いた。しかし、戦力になるとは思っていない。先日の気概を買って、一応加えている状態だ。
戦争に参加するもしないも、あとはお前の意思次第だ」
先日の想い、アイゼンゲートで馬車に乗る前の話だろう。
僕は、召喚されてから何もしていない、少なくともサラディンにとってはそう映った。
僕は、エイリーンを助けたい。そう答えた。
あれから何かができるようになったわけではない。
戦場で、何かができるとは思えない。
しかし、エイリーンは万能でも最強でもない。
あの森で彼女は一度死にかけているのだ。
「僕は……エイリーンを助けたい。……助けられるようになりたい」
サラディンは、また黙って聞いていた。
「そうか。なら励め、戦場は容赦してくれないぞ」
「……はい」
彼は、優しい。
優しいから僕に厳しくしてくれている。そんな気がした。
「それでは私は、軍議がありますので。……また詳細はお話しましょう」
「ええ。よろしく、サラディン」
サラディンは一礼し、走って去っていった。
「彼、もしかして私たちを待っていたのかしら」
「それは……たしかに、そうかも」
サラディンは軍議があるにも関わらず、中庭にいた。
僕たちが追ってくることをわかって、僕たちに伝えたいことがあって、待っていたのかもしれない。
それが、彼にとっても必要なことだったのだろうか。
「……僕、期待に応えられるように頑張るよ」
「そうね。私も…………」
エイリーンは何かを考えるように下を向いたが、すぐに僕に向き直った。
「戦う準備をしましょう」
凛とした彼女の声に、僕は力強く頷いた。
背中に残る冷たい感覚は、いつの間にか消えていた。
代わりにじわりと熱くなった胸の奥に、確かな重みを感じながら、僕はエイリーンと共に歩き出した。




