9話 夕景の赤紙
馬車が緩やかな丘を越えると、視界がいっぺんに開けた。
窓の外に広がるのは、見渡す限りの深い緑と、整えられた広大な畑だ。
「綺麗だな……」
思わず独り言が漏れた。
高層ビルも電柱もない。排気ガスの匂いもしない。
ふと見ると、畑の隅で農夫が杖のようなものを掲げていた。
彼が何かを呟くと、何もない空間から水が溢れ出し、スプリンクラーのように均一に畑を湿らせていく。
この世界では、魔法が水道や電気と同じ「インフラ」として根付いている。
日本なら水路や配管を通してはじめて使える水を、指先ひとつで出すことができる。
ハイテクなのか原始的なのか。
魔法を使って生活をする、それがこの世界の「日常」なのだ。
昼頃、ある町に到着した。
規模は小さい。アイゼンゲートと比べると、十分の一にも満たないほどだ。村、と言ってもいいかもしれない。
しかし、人の往来は多く、活気があるように見える。
「少し馬を休ませます。おふたりは昼食を取っておいてください」
御者が馬からハーネスを外しながら言った。
帝都アルベリスまでの旅はここまで三日かかったが、もうセーリア領に入って随分経つし、四日目の今日中には到着する予定らしい。
ここまでの道中、盗賊に襲われたりと決して楽しいものではなかったが、護衛に付いてくれた騎士も強く、特に大きな問題もなく進んできた。
二日目に到着したセーリア領に入ってすぐのセーシェリシア、という噛んでしまいそうな都市はとても大きく、そこでアイゼンゲートから来ていた御者と護衛は帰り、今はセーシェリシアの人達が着いてきてくれている。
「……アイゼンゲート並に大きな都市だった割に、セーシェリシアの人は少なかったな」
僕は物資の入った箱に座り、今や慣れた硬めのパンをかじりながら呟く。
密度で言うと、アイゼンゲート付近の小さな町や、ここの方が高い気がする。
「そうね……本来はもっと活気のあるところなのだけど」
エイリーンが村の様子を眺めながら、どこか寂しげに言った。
彼女の視線の先には、街道を進んでいく大量の荷を積んだ荷馬車の列がある。積まれているのは食料ではなく、油紙に包まれた抜き身の鉄――武器や防具のようだった。
「アイゼンゲートもそうだったけど、帝都に近づくにつれてまた武器の流通が増えてる。……戦争の準備で、働き手や若者が徴兵されているのかもしれない」
なるほど、戦争になると強い軍隊を持つアイゼンゲートや帝都に人が吸い上げられている訳か。
それならその中間地点であるセーシェリシアがその供給地点になるのも不思議な話ではない。
あの農夫の魔法も、戦場では「インフラ」ではなく、『武器』になる。
あそこで見たのどかな風景も、裏を返せば戦いが身近にあることを示しているのだ。
「エイリーン様、出発しましょう」
御者の言葉で、僕たちはまた馬車に乗り込んだ。
ーー
夕日が小麦の畑を金色に染め出した頃、僕たちはアルベリスに到着した。
「…………」
思わず息を呑んだ。
アイゼンゲートと違い少し装飾の入った城壁、白を基調とした造りの綺麗な街並み。
何よりも目に付くのは、中央にそびえ立つ白亜の城だ。
「すごいでしょう?」
「……うん」
エイリーンが嬉しそうに語りかけてくる。
そうだ、あれが彼女の住む場所なのだ。
僕も一瞬あそこにいた。それから時間が経ったことやこれまであったことを考えると、とても遠い話に感じる。
テーマパークにあるあの城を何十倍も美しくした建物は、実際の城としての機能を持つわけではないだろう。
仮にそんな役割があったとしたら、それは国家滅亡の危機の時だけだ。
しかし今アルベリスでは、この美しい風景と対照的なものが都市中を忙しく動き回っている。
「アルトには、いつも通りのアルベリスを見せてあげたかったわ」
悔しそうにエイリーンが呟く。
彼女の予想通り、アルベリスは、魔境に面する最前線であるアイゼンゲートに引けを取らない物々しい格好をした人々が行き交っていた。
「やっぱり、ここで戦争の準備が行われているんだ」
「……うん。きっとここ数日で、さらに状況が進んだって事ね」
エイリーンの希望で、アルベリスに入ってからは歩いて皇宮に向かっている。
本来彼女がここを普通に歩くことは滅多に無いはずだが、道行く人々はそれに目もくれず、黙々と働いている。
皇宮に着くまでに、数人の兵士の話を聞いた。
「シルメイジア王国との最前線には、都度援軍が送られてはいますが、近いうちに練兵も十分に行った大規模な援軍が向かうとのことで、アルベリスを始め、周辺の町は大忙しでしょう」
大規模な軍隊を起こすには、やはりそれなりの時間がかかるらしい。
国の中心であるアルベリスがこの様相、それだけ戦争に注力しなければいけないということだ。
さっきの僕が皇宮を見て思った「万が一」の危機的状況は、案外遠くもない話なのかもしれない。
白い家々と忙しなく働く人々を掻き分けて進む。
ここはまだ危機的な状況ではない。
それでも、彼らは真剣な表情で働いていた。
段々と家のサイズが大きくなる。位の高い者が住んでいるのだろう。
開けた場所に出ると、他と比べ物にならないほど美しい白亜の城が、僕たちを見下ろしていた。
大きな鉄格子の門が見えると、そこにはふたつの影があった。
そのひとつが、僕たちを見て糸が切れたように崩れ落ちる。
よく見ると、それはエイリーンの姉であり、僕がこの世界に来て初めて出会った人物でもある、アイリスだった。
「――エイリーン様!」
もうひとつの影はこちらに向かって来てエイリーンの前で急ブレーキをかけ、強引に手を取った。
「本当に、本当に……ご無事で……」
「ヘリス……」
ヘリスと呼ばれた執事服を着た壮年の男性は、ハッとした顔をしてエイリーンの手を離す。
「……し、失礼致しました」
「大丈夫よ。私も、心配をかけてごめんなさい」
少しぎこちなく笑う二人に、僕が知らない絆を感じた気がした。
「陛下がお待ちです」
ーー
「……なるほど、本当に大変な思いをされたのでしょう」
「……ええ、そうね」
僕たちは皇宮を歩きながら、エイリーンを中心に事の顛末を話していた。
アイゼンゲートからの伝令で無事は知らされていたようだが、アルベリスの門番から到着の報を受け、居ても立ってもいられずあそこで待っていたらしい。
へリスは、僕がどこから来た人物なのか知っていた。
エイリーンがいなくなった状況で黙っていることもないと、アイリスが説明していたのだ。
「アルト殿、貴方には感謝をしなければなりません。エイリーン様を無事お連れいただき、本当にありがとうございました」
「いやいや、僕は何も……」
エイリーンの誘拐とも思えるその状況で、へリスは僕に不信感を抱いていた。
しかし、彼女が無事に帰ってきて話をしてくれたお陰で、その疑いもなくなったようだ。
「おやおや、エイリーン様ですかな?…………よくぞご無事で!」
その声は、廊下の先からゆっくりとした足取りで現れたマシウスのものだった。
彼は、エイリーンに一礼すると、僕をじっと見つめてくる。
「…………アルト殿も大変だったでしょうな。先日より逞しくなられたようにも見える。
今度こそ、ゆっくりできると良いですな」
マシウスはニタリと笑って踵を返した。
「ここが皇帝の執務室よ、お父様が待っているわ」
そう言いながらアイリスはドアを叩く。
すぐに扉が開き、そこから飛び出た影がエイリーンに重なった。
「……っ、エイリーン!」
アイリスによく似た銀髪。
皇妃――彼女らの母親だとすぐにわかった。
憔悴しきった様子で娘を抱きしめるその背中越しに、デスクに座る男が見えた。
「エイリーン……大事ないかい?」
千年以上続くフレーダット帝国の現皇帝ムンガルド・フォン・フレーダットは、柔和そうな男だった。
「大丈夫。お父様……心配かけてごめんなさい」
涙目になるエイリーンと母親を、ムンガルドはそっと抱きしめる。
金の髪は綺麗に整えられているが、煌びやかな印象は受けない。
それは、彼が放つオーラのせいだろうか。
オーラ。と言っても、ディストンの放っていたような威圧感とは違う。
包み込むような、優しい雰囲気だ。
「ここ最近、どうしても忙しくてね。久々に娘たちと会えて良かったよ。
君が連れてきてくれたのかい? ありがとう」
挨拶もそこそこに、ムンガルドはデスクに座り直す。
「……お父様、これは…………戦争の?」
エイリーンが指さしたデスクには、地図や書類が散りばめられていた。
「あぁ、そうだ。……ずっと前から準備を進めていたが、来週にはこのアルベリスに大規模な援軍が集結し、前線に出発する」
戦地に向かわない皇帝とは言えど、こういった事務仕事はこなさなければいけない。
ムンガルドの目の下には、色濃い隈が刻まれていた。
「西の国境アバトが抜かれ、今は苦戦しているけど……次の援軍はそうはいかないはずだ」
元気を繕うような、しかし確信を持った顔をしてムンガルドは続ける。
「次の援軍は総勢十万。それに、率いるのは大将帥だからね」
「ディストン侯爵が……?」
ムンガルドが挙げたのは知った名前だった。
大将帥。この国の軍事において一番権力を持っていると言ってもいい人物だ。
「アイゼンゲートでも準備がかなり進んでいるはずだ。何も聞かなかったかい?」
僕もエイリーンも首を横に振る。
アイゼンゲートが物々しい雰囲気なのは、最前線だからだと思っていた。
それも間違ってはいないだろうが、実際のところ、戦争の準備でより活発だったということだ。
「まぁ、ディストンはそう言う人だからね。……とにかく、エイリーンが無事でよかった」
家族四人が話すのを見て、へリスが僕に合図する。
団欒の場を作ろう、ということだ。
僕はその後自室を宛てがわれて、数日ぶりのベッドで就寝した。
ーー
次の日の夕方、エイリーンに手紙が届いた。
「でも、アルトも名前が書いてあるの」
何かが書いてあるのはわかったが、読めなかった。
転移で言葉は通じても読めないパターンか。
しかし、差出人はディストンらしい。
何か伝えそびれたのだろうか。だとしてもなぜ僕も一緒に?
「……読んでみるわ」
エイリーンは、セーシェリシアで新調したショートソードを器用に使って封を切り、机に置いた。
紙は二枚、その一枚は、シンプルな一文が書いてあった。
「えっ?」
エイリーンは驚いた表情でその紙を取り上げる。
「どうしたの……?」
僕の問いかけに、彼女は手紙を読み上げて答えた。
『大将帥の権限において、エイリーン・フォン・フレーダット、アルト・トキサカの両名を大将帥直下兵とする』
夕日に照らされた紙が、赤色に見えた気がした。




