第3話 気づけば遊び ──見えるものと見えないもの。そのあいだに隠れた“余白”を描く章。
――見える遊びと、見えない遊び。
そのあいだに眠っていたものに、人はずっと気づいていなかった。
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1
人の遊びには、いつの時代にも
“目に見えるもの” と “目に見えないもの” がある。
見える遊びは、形を持っている。
子どもの頃の手遊びや道具、ゲームの画面、
行列のざわめきにさえ、遊びの匂いがある。
けれど、人はずっと前から、
形を持たない遊びも始めていた。
それは「間」と呼ばれる静けさの中にあったり、
動きと動きの隙間でふっと息づいたり、
建物や仕組みの余白の中に潜む、小さな脈動だったりする。
見えない遊びは、誰にも説明できない。
しかし確かに、人の世界をそっと押し広げてきた。
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2
社会にもまた、
見えるものと、見えない余白がある。
制度や仕組みの堅い表面とは別に、
その奥には “すきま” があり、
人と人の距離の取り方や、
予定の外にふくらむ静かな時間が息づいている。
そのすきまは、単なるゆるみではない。
未来の動きをためておくための、
“目には見えない小さな溜まり” だった。
人はそれを無駄と呼ぶことがある。
だが本当は、
新しい価値が芽を出す場所こそ、
いつもそのすきまだった。
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3
人が減り、役割が薄れ、
仕事の音がゆっくり霞んでいく時代が来ても、
人間そのものの力が消えるわけではない。
むしろ、表の役割が小さくなるほど、
奥に眠っていたものが
静かに息を吹き返しはじめる。
人はずっと昔から、
それを知っていたはずだ。
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■ 結び
仕事の音が細くなるとき、
そっと動き始めるのは、
いつも遊びだった。
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■ あとがき
“遊び” という言葉は、
いつも子どものものや娯楽のもののように扱われてきた。
けれど、その奥にあるのはもっと静かで、もっと深いもの。
形のある遊び。
形のない遊び。
社会にある余白。
あなた自身の中にある小さな揺れ。
それらがふと重なったとき、
未来を動かす小さな芽が、静かに息をする。
この文章は、その“芽が動き始める気配”を
ただそっと見つめた小さな記録です。




