第2話 気づけば黒雲
――黒雲の下で見えるもの――
気づけば、日本の空には、いつも黒雲がかかっていた。
嵐そのものではない。
崩壊とか、停滞とか、不安とか、迷いとか。
そういうものが「まだ形になるまえ」に
そっと空の色を変え始める、その“縁目”の名前だった。
人は黒雲を忘れ、また思い出し、
気がつけば、その下を生きてきた。
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■ 黒船の黒雲
最初の黒雲は、黒船のかたちをしていた。
海の向こうからゆっくりと近づいてきて、
日本は扉を開けざるを得なくなった。
あの日を境に、
この国の地図には、誰も知らなかった“もう一つの線”がひかれた。
時代は音をたてて揺れ、
黒雲はそっと空を渡っていった。
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■ 煙の船の黒雲
二つめの黒雲は、煙をまとった船だった。
焼けた街にひろがる白い湯気、
軒先に置かれたラジオの新しい声。
国の音は、一旦消えた。
その静けさの中で、
人々は道をひとつずつ拾い集めるように、
新しい国のかたちを探して歩いた。
焦げた風の奥には、
まだ名前のつかない雲が、薄くたゆたっていた。
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■ しぼんだ風の黒雲
三つめの黒雲は、しぼんだ風のかたちだった。
戦後に吹きはじめた追い風は、
長いあいだ日本を押しつづけてきた。
工場の煙突は光り、
街にはネオンがあふれ、
働けば働くほど数字は前へ進んだ。
だがその風が、ある日ふっと弱まった。
ガソリンスタンドにできた長い列。
電卓の数字がかすかに揺れる音。
その向こうで、
小さな黒雲が空の端にそっと濃さを増していった。
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■ 名のない雲
そして四つめの黒雲。
いま頭上にあるのは、名前のない雲だ。
形もなく、境目もなく、
ひとことで呼べる色を持たない雲。
人口の影がひろがり、
社会の仕組みは静かにきしみ、
世界の速さに追いつこうとして、
足もとは時々ふらりと揺れる。
未来の気配は遠くでゆらぎ、
いくつもの影が重なって、
この雲には名前がつけられなくなった。
でも、黒雲が空をすべて覆う日はない。
雲の切れ間には光もあって、
その光をどう使うのかは、
いつだって人の手にゆだねられている。
気づけば今日も、日本はその下を歩いている。
黒船のころも、煙のころも、しぼんだ風のころも、
そしていまの名のない雲の下でも。
空を見上げながら、
知らない明日へ静かに向かっていく。
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■ あとがき
黒雲は「不安の象徴」ではなく、
時代の変わり目にそっと現れる“気配”です。
黒船も、灰色の空も、しぼんだ風も、
すべては次の時代へ向かうための
“静かな前触れ”なのかもしれません。
あなたの頭上の雲は、
今どんな色をしているでしょうか。




