終章 静かな朝
春。
AIデジタル高等学校の校庭では淡い桜の花びらが静かに舞っていた。騒動から数週間――学校はようやく、表面上の平穏を取り戻したかのようにも見えた。
だが、その裏では多くの別れと変化があった。
不祥事の責任を取る形で田中校長は引責辞任。職員室の件を巡って非難を浴びた武田教師と上沼保健師もそれぞれ退職を余儀なくされた。その混乱の中で唯一、磯部教頭だけが一歩引いた位置で冷静に立ち回り、結果的にゾーン社からの信頼を集め、その後任として磯部教頭が新たに校長へ就任した。
校長室の机に一人残った磯部は、誰もいない部屋で静かにため息をついた。デスクの引き出しを開けると、中には一枚の古びたUSBと数枚の写真が並んでいる。
それは、職員室にある自分のパソコンからAI教師の内部データへアクセスし、保存されていた映像ログを抜き出して印刷したものだった。
もともと彼はAI教師を開発したゾーン社の技術責任者として、この学校の導入プロジェクトを主導していた。そのため、誰にも知られず監視機能へ直接アクセスする権限を握っていたのだ。
「まったく……あの二人も不用心だ」
小さく呟くと、写真の束を封筒に戻し鍵をかける。
「AI教師のせいにしておけば、誰も疑わない。人間の愚かさを一番よく知っているのは、結局人間自身だからな・・・」
静まり返った校長室に磯部の独り言だけが響いていた。
一方、生徒の京本悟は不法侵入の件で退学処分。田中守と持田由美もこれまでの一連の嫌がらせが発覚し、同様に退学が決定した。広瀬凛は自らの意思で退学届を提出し、山崎海斗は別の高等学校への転校を命じられた。
騒動を起こした六人の中で残されたのは織田悠馬ただ一人だった。
寮の部屋に戻ると、机の上に一通の封筒が置かれていた。
差出人は山崎海斗。
『やぁ、こんにちは。ハッカーを目指して僕は別の学校で挑戦することにしたよ。でも、君と過ごした日々は無駄じゃなかったし、あの夜の出来事は僕の人生で一番輝いていたと思う。また、どこかで』
織田は小さく笑い、封筒を机の引き出しにしまった。
翌朝、いつものように制服に袖を通し寮を出た。校門の前には広瀬が立っていた。
「広瀬・・・」
「あなた、これからどうするの?」
「俺は、その・・・もう少しここで学ぶつもりだけど・・・」
「そう。それなら大丈夫ね。あなたはきっとAI教師なんかに負けないわ」
広瀬は少しだけ微笑んでうなずいた。
「広瀬・・・。ありがとう」
二人の間を春風が吹き抜け、校門の外の桜が静かに舞った。
新学期を目前に控え、織田は人気のない教室にふらっと足を踏み入れた。机の列は静まり返り、壁際にあるAI教師のモニターは電源を落としたまま。あの無機質な声はもう聞こえない。
廊下を歩きながら職員室の前で立ち止まる。扉の向こうでは磯部教頭・・・いや、新校長となった磯部校長が窓際のブラインドを整え、ゆっくりと外を見ていた。
「失礼します」
織田が声をかけると、磯部は顔を上げて穏やかに微笑んだ。
「おや、織田くん。もう帰るのかね?」
「はい。……なんだか少し寂しくなりましたね」
「そうだね。多くの人が去ってしまった。だが、それぞれが自分の道を選んだのだよ」磯部は静かにうなずく。「この学校も一区切りだ。ゾーン社の開発したAI教師の不具合はすべて報告済みだよ。彼らが責任をもってシステムの修正を進めている。再開する頃にはもっと生徒に寄り添えるAI教師になるだろう」
織田はその言葉に耳を傾けながら窓の外を見た。桜の枝越しに夕陽が差し込む。金色の光が職員室の床を照らし、埃がゆらゆらと舞っている。
「この学校はこれから二年目を迎える。君たち二年生には新しいAI教師が導入される予定だ。だがそれも結局扱うのは人間だ。AIが正しく動くかどうかは君たち次第だよ」
「……だとしたらもう一度信じてみます。人も、AI教師も」
織田は少し考えてから微笑んだ。
「そうか・・・お疲れさま、織田くん」
磯部は穏やかに息を吐き、ふと柔らかく微笑んだ。
その言葉に織田は深く頭を下げた。暖かい陽の光が二人の影を長く伸ばし、職員室の奥まで届く。外では春風が静かにブラインドを揺らしている。その音はまるで、新しい始まりを告げる鐘の音のようだった。




