不穏な影
1月25日、早朝。
織田は朝5時に目覚めると、身支度もそこそこにエントランスへ向かった。寮内の冷え込んだ空気が肌を刺す中、誰も外に出た形跡がないか靴箱を確認する。
しかし、6時になってもエントランスを通る者はいない。それでも織田は薄暗いロビーでじっと待ち続けた。
ようやく7時を回った頃、京本が寝ぼけ眼で階段を下りてきた。
「おはよう。何してんだ、こんなところで?」
「あのなぁ・・・お前、早起きして見張りをするって言ってたよな。結局、俺ひとりでやってたんだぞ」
「あ、悪い悪い。完全に熟睡してたわ」
京本は申し訳なさそうに笑みを浮かべ、軽く頭を下げる。
「まぁ、いいさ。どうせ最初からお前には期待してなかったし、どうせ山崎もまだ寝てるんだろうな」
織田は溜息を吐き、靴箱から視線を外す。その時、京本の背後から足音が近づいてくる事に気づく。顔を上げて確認すると、田中が下を向いたまま歩いてくるのが目に入る。
「お、おはよう……織田くん」
田中はどこか気まずそうに挨拶する。
「おう。これから食堂に行くのか?」
「うん……朝食を取ろうと思って」
「だったら一緒に行こうぜ」
寮の食堂へ向かうと、三人は無言で朝食をとり始めた。
この日は早朝から冷たい雨が降り続いていた。灰色の雲が空を覆い、遠くで低い雷鳴が響く中、4人はそろって学校へ登校する予定だったが・・・・。
「遠くから雷の音が聞こえる・・・。念のためパソコンの電源を切っておくか。万が一ショートしたらデータの復旧が大変だし」
山崎は独り言のようにつぶやくと、3人に先に行っててくれと言い残して寮の部屋へと引き返す。
「なんだあいつ、雷が怖いのか?相変わらず変わってるな」
京本は小さく鼻で笑いながら呟く。
「寮に雷なんて落ちるわけないのにな」
田中を薔薇のいたずら犯人だと疑い、早朝見張っていた織田はこの日少し安心していた。流石に三日連続で同じような事は起きないだろうと・・・。
しかし学校に着いた織田の顔は一瞬で凍りつく。
教室に入ると、織田の机の上にまたしても一本の赤い薔薇が置かれていた。
「なんだよこれ・・・」
「おい、いたずらにしてはやりすぎだろ。誰がこんなことしてるんだ!」
京本は教室中に響き渡る声で問いかける。しかし、生徒たちはただ不思議そうな顔をするばかりで誰ひとり答えない。
「そもそもこの薔薇って誰が教室に持ち込んだんだろうね……」
遅れて登校してきた山崎が呟きながら織田の机に近づき、無造作に薔薇を手に取ると、教室の隅にある花瓶へと戻していく。
そのとき、持田が涼しげな笑みを浮かべながら前に進み出た。
「私よ。この薔薇、家に届いたもののお裾分け。とっても華があって華麗で美しいでしょう?」
「じゃあ……お前が俺の机に置いたのか?」
「いいえ。私は置いてないわ」
持田はさらりと言い放つと、どこか見下すような視線を織田に向けた。その態度には微塵の迷いも感じられない。
「皆さん、席についてください。1時限目の授業を始めますよ」
教室の液晶掲示板が光を放ち、AI教師の無機質な声が響く。
その日、1時限目から6時限目までの授業は淡々と進んだ。
赤い薔薇のことが頭から離れず、織田はずっと周囲の視線を気にしていたが、特に変わった出来事は起こらない。
休み時間も誰かがこっそり机に触れたり、背後でひそひそ話をしたりする様子はなかった。昼休みも友人たちと普通に過ごせて、教室に戻ったときにも机の上は何も置かれていなかった。
『……今日は大丈夫そうだな』
授業が終わる頃には、織田の肩の力は少し抜けていた。放課後のチャイムが鳴り教室が明るいざわめきに包まれる中、織田は深く息をつきながら荷物をまとめる。
「今日は何もなくてよかったな」
京本が軽く声をかけると織田は小さく笑って答えた。
「ああ。本当に……助かったよ」
不安はまだ胸の奥に残っている。けれど少なくとも今日は何も起きず静かに終わってくれた。




