二本の赤い薔薇
翌日、織田の机の上には二本の薔薇の花が置かれていた。
「えっ……」
織田は驚き息を呑む。まるで、昨日の続きかのように置かれたその真っ赤な花に胸がざわつく。
「だ、大丈夫!私が片付けるから!」
花咲が慌てて駆け寄り、机の上の薔薇をそっと手に取ると、教室後ろの花瓶に入れ直した。
「気にすんなよ、な?」
京本が軽い口調で言うが、その表情には心配の色が浮かんでいる。
「ああ……俺は別に……」
織田がそう答えた瞬間、広瀬が声を上げた。
「誰がこんな悪質ないたずらをしてるのかしら?二日連続なんてさすがに意図的じゃない?」
広瀬は犯人を探るように教室を鋭い目つきで見回す。その視線に居心地の悪さを覚えた生徒たちが、ざわざわと囁き始める。
「そもそも学校に薔薇の花を持ち込んだのは誰なんだよ?悪趣味だよなぁ、こんなの」
京本が眉をひそめて呟く。
そのとき、不意にAI教師の冷静な声が教室中に響く。
「私です。私が花壇係の生徒に薔薇の花を置くよう指示をしました」
教室が一瞬にして静まり返る。
「薔薇の香りにはリラックス効果やストレス軽減の効果があると言われています。生徒全員が快適に学習できる環境を作るため、私の判断で行いました」
「さすがです!」
広瀬が突然明るい声で賛辞を送る。「生徒を想った素晴らしいご配慮に感謝します。でも、そのお気持ちを乱すかのような行為をする生徒がこの中にいるなんて、つくづく呆れてしまいます」
「相変わらずだな、お前……」
その言葉に、京本は苦笑いを浮かべながら小声で呟く。
「なにそれ、どういう意味?」
広瀬がギロリと睨みつける。
「もういいよ。机に何を置かれても、俺は別に気にしてないから」
織田は淡々とそう言うと、椅子を引き腰を下ろした。その瞬間――
「ズドン!」
鈍い音を立てて、織田は勢いよく後ろに倒れ込む。
「おい、どうした?」
「大丈夫?」
田中と京本が声を掛ける。
「最悪だ・・・・椅子の脚が一本壊れてる」
「ああ・・・・本当だ」
田中も小さく声を漏らし、壊れた脚の部分を指差す。
「ん?よく見ると、これ俺の椅子じゃない・・・・古くて、脚の部分がボロボロじゃんかよ」
「あら、それは美術室の椅子じゃない?美術室には模写用に古い椅子が置いてあったけれど、脆いから座るのは禁止ってAI教師さんから聞きましたけど」
持田が声を掛ける。
「マジかよ……最悪。俺、足くじいたかも。いてぇ……」
「美術室見てくるわ。お前の椅子、そこにあるかもしれないし」
京本はそう言うと、急いで教室を飛び出した。教室内がざわざわと騒がしくなる。周囲の視線が一斉に織田に集まっていた。
しばらくして京本が椅子を抱えて戻ってきた。
「お前の椅子、美術室にあったぞ」
「ありがとう。やっぱりそっちにあったんだな」
「まぁ、気にすんなよ」
京本は織田の肩をポンポンと優しく叩く。
「それでは一時限目の授業を始めます。皆さん、着席してください」
教室は一気に静けさを取り戻し、授業が粛々と進んでいく。織田は足の怪我を気にしながらも時間は淡々と過ぎていった。
昼休み。織田は食堂で食事を取るが、配慮して今朝の出来事について触れる者は誰もいなかった。それは織田自身も同じだった。教室に戻ると、複数の生徒たちが慌ただしく廊下と教室を行き来している。
「お前ら、何してるんだよ?」
京本が廊下で忙しそうに動き回る生徒たちに声をかける。
「AI教師の指示で荷物運んでるんだよ。教室に飾る備品を職員室から持ってきてる最中さ」
一人の生徒が息を切らしながら答える。
「俺は掃除用具の担当だ。新品の箒とちり取りが届いたんだってさ」
別の生徒も腕に抱えた掃除道具を見せる。
「あら、男子さんたち。お暇なら手伝ったらどうかしら?」
その様子を見ていた持田が、くすりと笑いながらそう言って、教室の壇上で淡々と生徒達に指示を出しているAI教師に目線を向ける。
「食事を終えた生徒は五時限目が始まるまで荷物運びを行ってください」
AI教師の声が教室に響く。
「マジかよ……こんな時に限って荷物運びかよ」
織田はため息をつく。
「僕、重たい物持てないけど大丈夫かなぁ」
「田中守くんと京本悟くんは保健室から洗剤液とモップを持ってきてください」
AI教師が具体的な指示を二人に出す。
「はーい!」
田中と京本は軽快な声で返事をすると、保健室へと向かった。
「織田悠馬くんは花壇に置いてある植木鉢を屋上へ運んでください」
「屋上へ?植木鉢を一人でですか?」
「はい。そのように指示しました。冬は日照時間が短いため、少しでも日の当たりが良い屋上へ置いてください」
渋々ながらも織田は花壇へ向かい、植木鉢を持ち上げる。だが、今朝の転倒で痛めた足はまだ完治しておらず、膝に力が入らない。植木鉢はまるで土の中に鉄アレイが詰まっているかのような重さだった。
「これが2本目です。気を付けてくださいね」
後ろからAI教師の声が耳に入る。何故だかこの時はいつもより小さく聞こえた。
「はい?何のことですか?」
織田が振り返って問いかけるが返事はない。不思議に感じながらも織田は痛む足をかばいながら、重たい植木鉢を抱えて階段を一段一段慎重に上がっていく。
2階と3階にはそれぞれ3つの教室が用意されているが、まだ生徒が入学しておらず、廊下には物音ひとつしない静寂が広がっていた。空気はひんやりとしており、織田の足音だけが響き渡る。
そして、屋上へと続く階段に足をかけた瞬間、織田は足元に違和感を覚えた。床が妙にヌルヌルしており、力を入れても足が安定せず嫌な予感が頭をよぎる。
「・・・・あっ、やばい!」
と声に出した瞬間、足が滑り織田は反射的に腕を顔の前に出すと、頭をかばいながら階段から転げ落ちる。
「ガシャーン!」
抱えていた植木鉢は無惨にも砕け散り、中の肥料土が宙を舞って辺りに散らばった。
「・・・・いってぇ・・・・」
織田はその場でうずくまり、しばらくの間動けなかった。全身に広がる痛みをじっと耐えながら、震える手で散らばった肥料土を掴む。何とか立ち上がると視線を床に落とす。
「なんだよ・・・・これ」
手を伸ばして階段の床を触ると、指先にヌルリとした感触が広がった。透明な液体が、まるでオイルのように階段の表面に薄く広がっている。液体は屋上へと続く階段全体にかかっていた。
「これ、わざとか?」
織田は息を荒げながら周囲を見回したが、当然のことながら誰もいない。足を痛め、さらに階段からの転倒で体を強打した織田には、植木鉢の破片を片付ける気力も残されていなかった。
力なく階段を降り、教室に戻った頃にはすでに五時限目の授業が始まっていた。
「織田悠馬君、五時限目の授業は遅刻です。早く席に着くように」
AI教師の冷静な声が響く。
「・・・・そんな。あの・・・・植木鉢を落としてしまって、屋上へ運べませんでした。ごめんなさい」
「……そうですか。分かりました。授業は始まっています。早く着席してください」
AI教師は淡々と応えるだけだった。その無機質な声に、織田はかすかな苛立ちを覚えながら席に向かう。椅子の前で一瞬立ち止まり、恐る恐る脚を確認する。壊れていないことを確かめると、慎重に腰を下ろした。
五時限目の授業が終わると、京本と田中がすぐに織田のもとへ駆け寄る。
「大丈夫、織田くん?」
田中の声には心配の色が滲んでいる。
「おい、返事しろよ。怪我の具合はどうなんだよ?」
「ああ、だいぶ痛みは引いたよ。ありがとうな。それよりさ、あとで話したいことがあるんだ。寮に戻ったら話そう」
二人は頷き、織田が帰り支度を始めるのを見守った。しかしそのとき、教室内にAI教師の声が響く。
「織田悠馬くん、放課後は残ってください」
「え……今日もですか?」
織田は戸惑いながら顔を上げる。
「広瀬さんと一緒に三階の階段で掃除を行ってください。次の被害者が出ないよう、速やかにお願いします」
「はい。分かりました。直ちに向かい、掃除が完了次第、報告いたします」
教室の後ろから広瀬が立ち上がり、スッと背筋を伸ばすと、落ち着いた声で応じる。
「よろしくお願いしますね」
AI教師は淡々と伝える。




