校長室
6月、AIデジタル高等学校の校長室に、一人の男が足を踏み入れた。
田中信弘校長(58歳)。前職の大手IT企業、ゾーン社で極秘に進められていたAI教師プロジェクトの発起人であり、今回新しくAI学校の校長に任命された。会社を退職し、開校から二ヶ月後の6月にようやくこの校長室に足を踏み入れることとなった。
学校設立前、田中は驚くほど豪華な校長室を手配していた。部屋はまるで美術館のような、天井から吊るされたシャンデリアが部屋全体を優雅に照らしている。エレガントな机と椅子が配置され、壁には芸術品の絵画が並ぶ。そのすべてが、贅沢な資金力を投入しているこの学校の象徴であり、田中の理念を反映していた。
机の上には最新型のパソコンが鎮座し、校長のあらゆる作業がここで行われる。AI教師を開発したゾーン社への連絡も、この部屋から発信されることになっていた。
「磯部教頭。こちらへ来て進捗状況を説明してください」
田中校長は冷静な声で指示を出す。教頭は深く頭を下げ、即座に報告を始めた。
「はい。現在のところ、開校してから何一つ問題なくスムーズに運営を行っております」
「そうですか。AI学校で起きた事柄は些細なことでも書き留め、必ずレポートで報告するように。分かりましたね?」
「畏まりました。そのように致します」
教頭は緊張した面持ちで答える。これまでも教頭は開校した当初からレポートを書いてパソコンから校長の元へデータを送信していた。普段からチェックに厳しい校長は勿論認識しているはずだが、改めて念を押されたことで教頭の背筋も引きしまる。
校長室を後にした教頭は、ほっとしたのか、椅子に腰を下ろし、ぬるくなったコーヒーをゆっくりと啜った。緊張がほどけ、少しだけリラックスした表情を見せる。
「どうしたんですか、教頭。額に汗かいてますよ」
隣のデスクから、体育の武田教師が声を掛けてきた。笑みを浮かべながら、教頭の様子を気にかけている。
「いやぁ、何年経っても田中校長の前だと緊張しますよ」
教頭は苦笑しながら答えた。それも無理はない。前職のゾーン社で、二人は直属の上司と部下の関係にあったからだ。
元々、AIデジタル高等学校の設立を考案したのは磯部教頭であった。その革新的なアイデアを田中信弘に伝えたところ、田中はその構想を絶賛し「素晴らしいアイデアだ」と高く評価した。田中はすぐにこのプロジェクトの実現に向けて計画を取りまとめ、政府が推進していたAIデジタル特区制度の対象となるように、具体的な動きを取り始めた。
彼の説明を受けた有志の会に属する国会議員たちは、その構想の先進性と重要性を理解し、AI学校が特区に選ばれることを後押しした。これにより、ゾーン社は政府から莫大な補助金を得ることに成功し、AIデジタル高等学校の開校へと至る。田中はその功績により校長に任命され、部下である磯部もそのまま教頭職を務めることが決まった。
そして、AI高等学校には毎年政府から教育・研究支援として、莫大な資金が予算を通して提供されることが約束された。その唯一の条件は、学校運営を着実に行い、大きなトラブルを起こさないこと・・・。
このプロジェクトにおける目玉事業が、研究所の総力を挙げて開発された最先端プログラムである『超知能』を搭載したAI教師であった。このAI教師の導入は、ゾーン社にとって決して失敗を許されない大事業であり、その成否が企業の未来を左右するほどの重要性を担っていた。
順風満帆に見えたAI教師プロジェクトだったが、開校から2ヶ月が過ぎたころ、1年B組の教室で不思議な出来事が起きてしまう。
授業の出席確認には生徒の机に設置されたパソコンを使い、チェックマークをクリックすることで出席の可否が確認されるシステムが導入されていたが、ある日のこと、京本が授業が始まる前に隣の席の生徒に出席確認を頼んだ時にそれは起こる。
「悪い、寮に忘れ物したから今から取りに戻る。もうすぐ授業が始まるから、代わりに俺のパソコンでチェックしといて」
京本はそう言って、パソコンの電源を入れると、出席番号を入力して授業専用のブラウザ画面を開いた。
「うん、わかった。授業始まったらチェックマークにクリックしとくから急げよ」
「サンキュー、じゃ行ってくる」
京本は駆け足で教室を出て、寮へと向かった。その間にチャイムが鳴り、授業が始まると、パソコン画面には出席確認の可否項目が表示された。隣の席の生徒は身を乗り出し、京本のパソコンからチェックマークを代わりに付ける。
その瞬間、教室中にAI教師の冷たい声が響き渡った。
「京本くんはこの授業に出席していません。別の生徒がチェックすることは違反行為です」
普段は淡々とした声のAI教師が、何故かこの時は少し不機嫌そうな声質に聞こえた。教室の空気が一瞬で張りつめ、誰もがその言葉に驚く。
しばらくして京本が寮から戻ってきた。手に持っていた青い布袋には体操服、細長い水筒、プリントが入ったクリアファイルがしっかりと収められている。
「え?チェックされてねぇじゃねぇか」
席に着くと京本はパソコンの画面を確認し、隣の席の生徒に向かって言った。
「バレてる……。教師に」
隣の生徒は小さな声でAI教師を指さした。
「はぁ?どうなってるんだ」
京本は驚きながらも、出席枠に自分でチェックを入れた。すると、すぐに反映され、画面に出席時間を測る秒数が表示された。
「やっちまったぁ……。遅刻扱いだ、これ。どうなってるんだよ、約束しただろ」
隣の生徒は困った顔をしながら「言われた通りにチェックしたけど、反映されなかったし、AI教師からも叱られたんだから」と答える。
「マジかよ、バレてんのか俺らの行動?」
一連の出来事を見ていた他の生徒たちも、不思議に思い始める。教室には人間の教師はいない。監視カメラもついていない。それにも関わらず、AI教師には不正がすぐに見抜かれていた。
その時、再びAI教師の声が響く。
「後ろの席の方で雑談が聞こえます。京本くんの声ですね。授業中に私語は厳禁です。もし続けるのであれば、成績に反映されるので気を付けてください」
教室は一瞬で静まり返り、それ以降粛々と授業が進められた。




