甘いカレー
しいな ここみさま企画 『華麗なる短編料理企画』参加作品です。
へーこんなのあるんだ、と、一日仕事しながら考え続けて、まとまったので、サクッと書いてみました。
2000文字オーバーですが、そんなに長くはないと思います。
自分で言うのもなんですが、ちょろっと読めちゃいます。
では、本編をお楽しみ下さい。
妻が出て行ってから、もうすぐ1年になる。
私の事業の失敗で莫大な借金が生じてしまったのが、その原因だが。
もともと、夫婦仲はそれほど良好なものではなかった。
借金は、単なる最後の一押しに過ぎない。
婿養子として入籍した私の名前は妻の苗字であり、本来なら元の姓に戻さなければならないのだが。
一人娘の美代子が、妻の側ではなく私の側にいる事を選んでくれたので、彼女が成人するまでは、妻の苗字を名乗ることにしている。
いや、名乗ることを許されている、という方が自然だろう。
許されなかったことの一つとして、カレーの好みがある。
私は、学生時代からカレーは辛口、しかも辛ければ辛いほど旨いと思いながら育ってきた。
旧友は、そんな私の事を味音痴だと、よく罵られたものだ。
辛さなど、人それぞれの好みだろう。好きに食べれば良い。
そう、結婚する前は、思っていた。
妻は、カレーは甘口が良いという。実際、彼女が作るカレーは、大層甘かった。隠し味にジャムを入れるのがコツなのだと言う。
ジャム?
ありえない、絶対にありえない。
だが、私は婿養子。家でも仕事でも、彼女の意向は絶対のものだった。
幸いなことに、仕事柄、内心を隠すことには長けている。
どんなに甘いカレーであっても、思わず吐きそうになっても、美味そうに食べ続けてきた。
だが、味覚とは、正直なものだ。
とりわけ、心と体には誠実に語り掛けてくる。
私は、仕事を口実にして、妻との夕食を避けるようになっていた。
自然と会話が減り、すれ違いも増え、夫婦仲は冷えていった。
しかし、それは私の責任ではない。
妻が、妻が、あんな甘ったるいカレーを夕食に出してくるのが全ての原因なのだ。
ああ、あの甘いジャム入りのカレーを、もう二度と食べなくていいのだ。
彼女との結婚は、様々な利権や名誉や富や立場をもたらしてくれたが、冷たい人間関係を維持し続ける苦労と忍耐力、そして、甘ったるいカレーを食べ続けなければならない辛苦も、同時に突き付けてくれた。
だが、離婚して思う。
あのカレーは、はたしてそんなに美味しくなかったのだろうか?
時折、思い出すのだ。あの甘ったるいカレーの味を。
辛抱して、忍耐して、美味そうに口に運んだあのカレーは、本当に不味かったのだろうか、と。
私たちの結婚生活のように、ただ単に、どこかで何かを間違えただけなのではないか、と。
レシピ通りに作らなかっただけなのではないのか、と。
~ ・ ~
「パパ、また台所を散らかしたままで…」
娘の美代子に叱られてしまった。
私が経営を引き継いだハイスクールに、今年から入学して貰っている。特待生として同時期に入学させた娘のお守りを快く引き受けてくれて、助かっている。
「あ、いや、スマン。ナオコさんが来る前には、片づけておくから」
家政婦さんを雇っているので、家事に関しては全く問題ない。
ナオコさんは極めて優秀だ。
妻と暮らしているときにも、通ってもらえば良かったのかもしれない。
しかし、プライドの高い妻は、赤の他人が家庭をきりもみすることを絶対に許さなかっただろう。
そのくせ、本人は家事のスキルが高いとは、決していえなかったのだが。
「またカレー作ったの?」
「自信作ではないが、食べるか?」
「イヤよ。マズイもの食べたくないもの。責任もって、パパが全部食べてね」
マズイと言われて、がっかりするほどのものではない。
私はうんと辛いものを。
妻はうんと甘いものを。
気持ちのすれ違いが、味に出ている。
そう、娘に指摘された気がした。
お互いに歩み寄れれば良いのだが、味覚に関しては、そうはいかない。
それを分かってさえいれば、他にやりようがあったかもしれない…
そんなわたしの様子を知っているのかいないのか、娘は鍋にお湯を沸かし、レトルトカレーを温め始めた。
「お。おい。いくら私の作ったカレーが不味そうだからって、それはないだろう?」
「あら、ママがいつも作ってくれたカレーよ?たまに食べたくなるんだもん」
レトルト?まさか?
「隠し味にジャムを入れるのがコツよ。パパ、いつも美味しそうに食べてたでしょ?」
あ、あの味が、レトルトだと?
「あーそっか。隠し味を入れなければ、普通にインスタントだって分かるわよね」
器に装ったレトルトカレーに、スプーン一杯のジャム。
二人分の白米の上に、味見よ?と断られながら差し出されたカレー。
食べてみると、妻の作るあのカレーの、甘い甘い味がした。
新婚当時の、まだお互いを思いやっていた、あの甘い味がした。
私は、いつから、この味をキライになってしまったのだろうか。
味覚を、彼女の方に合わせるとか、出来なかったのだろうか。
いやしかし、レトルトカレー、だよな。
「ん-パパさ。ママが料理とか出来ると思ってたの?」
「思ってた」
「パパさぁ、日ごろから人間観察が大事だとか言ってるけど、奥さんの性格とか出来ること出来ない事とか、ちゃんと見てたわけ?」
なにも言い返せなかった。
「あらあらまあまあ、旦那様、カレーで御座いますか?」
家政婦のナオコさんが、来てしまった。
「お夕食は、このままカレーで宜しいですか?」
「あ、いや、その」
「ちょっと失礼しますよ?」
ナオコさんは、カレーを味見して、旦那様は辛口がお好きでしたね?と確認する。
頷く間もなく、知らない棚からカレールーを出してきて、継ぎ足した。
「味見をお願い致します」
食べてみると、好みの味だった。とても辛く、そして辛ければ辛いほど旨いのだと、確信させてくれる味だった。
「お気に召して頂けたようで、何よりで御座います。美代子さまは、奥様のカレーがお気に入りでしたね」
「そうね。そうして頂戴」
「畏まりました」
娘は、だんだんと性格が妻に似てきた気がする。
でも、今も私の側にいてくれる。
成人するその時まで、もう少し娘の成長を眺めていたい。
しかし、カレーは、カレーだけは、別に作って貰いたい。
あの甘い甘いカレーは、妻を思い出すときにだけ、その時にだけ、食べたいのだから。
(終わり)
私はカレーは辛め派。ジャワカレー辛口は、家庭料理カレー部門最強だと思っています。
妻はカレーは甘め派。ジャワカレー辛口が、家庭に出てくることはほぼありません。
ジャワの旨さを力説すると、事もあろうにこくまろとブレンドして出してきたではありませんか!
本人曰く、ルーがもったいないので水増しするんだとか。
ああ、ジャワのあの旨さが、うまみが、汚されてしまう…
いや、意外に美味かったです。
でも、でも。
純粋なジャワカレー辛口で、食べたいなぁ…