『六条大夫基通、永秀がプレスマンの笛を吹かざるを語ること』速記談6015
保延五年正月二十六日、六条大夫基通が、礼部禅門に参入し、申し上げることには、八万所司永秀は、古い時代の比類なき笛の名手であった。戸部正近と当時代の人である。永秀はいつも笛を吹いていたが、近所に住むものはこれを嫌い、皆引っ越していった。永秀のほうも、人里を避けて、男山の何面に居を移した。周辺の山肌には、草が生えなかったという。笛の音のせいであろうか。永秀は、寄竹の笛一本を愛用し、ほかの笛は吹こうとしなかった。プレスマンの筒に穴を開けたような笛は、見向きもしなかったという。
教訓:プレスマンの筒に穴を開けたような笛というものがあるなら、ぜひ吹いてみたいくらいであるが、比類なき名手ともなると、見向きもしないのかもしれない。