3 池に落ちた誕生日
私が小説の世界に転生したことに気がついたのは、この世界に生まれてすぐのときだった。
しかし、かなり衝撃的な事だったためか、その後しばらくの間は思い出されることは無かった。
そして、次に転生したことが思い出されたのは3歳の誕生日に邸の池に落ちたときだ。
池に落ちたからって……やんちゃだった訳ではない。ゼフォル兄様のせいでだ。
その日は、邸の庭園で私の誕生パーティーが催されていたのだけれど。親戚や家同士の付き合いがあるお宅を招いて開かれたパーティーは、3歳の私にはめちゃくちゃ退屈だった。
癇癪持ちの私が手足をバタバタさせて暴れる前に、ゼフォル兄様が私をあやしながら散歩へと連れ出してくれたのだが――。
花壇の上をヒラヒラと飛ぶ蝶々を見た後で池で休んでいた水鳥を見に移動すると、ゼフォル兄様が池の周囲を囲うように配置されている石の上に足をかけた。
ツルッと足を滑らせたゼフォル兄様がそのまま池の中へ倒れて、手を繋いでいた私を引きずるようにしてドボンと……二人仲良く池に落ちたってわけだ。
すると、目の前の視界が突然変わった。
急に視界が真っ暗に変わると息が苦しくなって、苦しいまま意識が遠退いた。
暗闇の中で名前を何度も呼ばれ、私は瞼を押し上げた。
そして、開かれた目に映し出されたのは近すぎる父様の顔で、ギョッとした。
「ウィステリア! ウィステリア、目を開けろ!」
「ケホッ、ゲホッ…………ゲッ!」
(……父様……ち、近い。誰の名前を呼んで……。……ん? あっ、私の名前だっ!)
そういえば、私は……転生していたのだった。二人の天使を見た後で、『ウィステリア』と呼ばれたんだ。そして私は、以前読んでいた小説の『成り上がり令嬢の奮闘』の中に転生したのだとすぐに分かった。でも、その後すごく眠くなって――。
……ウィステリアっていったら、サイコ野郎のルーフェルムと結婚して約2年後に殺された令嬢だったのよね?
どうして、そんな令嬢に転生してしまったのか。だからといって、主人公の成り上がり令嬢でも嫌だったけど。
(……街人AとかBだったら良かったのに)
そう思うも、ウィステリアに転生してしまったのだ。
ルーフェルムと結婚させられるのは、……たぶん、学院を卒業してすぐだったような? 今日が3歳の誕生日だとすると……ということは、今から15年後だわ。まだまだ時間はたっぷりある。
そんな事を頭の中で回転する記憶と共に考えていると、体が燃えるように熱くて。
父様に抱えられた腕の中でぶるぶる震える体を丸めながら、その前に死ぬかも……などと思えば、そこから私の意識がなくなった。
体が重くて目が覚めると、ふわふわのベッドに寝せられていた。
(お、重い。……死ぬ……)
重苦しかったのは、ゼフォル兄様が私のお腹の上に頭を載せて寝ていたからだ。看病しながら寝てしまったみたいだから許してあげるけど――。
直ぐに侍女が気がついて、ゼフォル兄様を起こしてくれたから良かったけど。3歳になったばかりの私はまだまだ小さく、そのままだったらまた死ぬところだった。
「熱があるから寝てなきゃ駄目だよ。お医者様からお薬を貰ったからね。先に母上を呼んでくるから、待ってて」
ゼフォル兄様が起きると、私の顔を綺麗な若草色の瞳で覗き込み、そう言って直ぐに母様を呼んできた。
「大分、熱も下がったみたいね」
「母上。ウィラの熱、下がったの?」
「えぇ。もう大丈夫よ。3日間も寝ていたから、すぐには食事ができないわね」
「奥様。厨房で、お嬢様が食べられるようにとスープとお粥を用意しております」
「そう。ありがとう。助かるわ」
「良かったね。ウィラ」
両親は大事に育ててくれているし、ゼフォル兄様は可愛がってくれている。
ウィステリアは家族にはとても愛されている。
この世界に生まれて来てから三年しか経っていなかったが、それまでの記憶も失われることなく、私の新たな人生がこの日から始まることになった。
それに、ルーフェルムと出会うまでには15年も時間ある。余裕だ!
なので、せっかくの新しい人生である侯爵家の令嬢を満喫して楽しみながら、将来の死をゆっくり回避していくことにしたのだ。
その考えは見事に打ち砕かれることとなるとは知らずに――。
小説での、ウィステリアか――。
第二王子の婚約者候補になった茶会での話にでてきたわよね。……えっ、それだけ?
そうなのだ、そこから先の話はほとんど書かれていなかった。そのため、知らなすぎる事ばかりで不測の未来のことも考えて、身の回りのことから思い出してみようとしたのだが――。
……駄目だった。ラジェリット侯爵家のことも何も書かれていなかった。
……モブ以下のウィステリアのことなんて書いてあるわけないじゃない。読んだ記憶がなくて当たり前だわ。
この邸に住んでいるのはラジェリット侯爵当主の父様と夫人の母様、それと長男のゼフォルリーグがゼフォル兄様だ。家族全員髪の色は金髪。だけど瞳の色は違くて、若草色が母様と兄様。真紅色が父様と私だ。
……えぇっとー。……それしか私が知り得る情報が何もない? えっ? うそ? 真剣に思い出しなさいよ、私! 今後の人生がかかっているんだから!
……といっても、まだ3歳児の私が、家族以外の情報を知っているはずがない。
(……これって……出だしから詰んでないか?)
それならば、もっと先の小説の話を思い出さねば! そう思うと、頭をフル回転させた。
多分、そのあとでウィステリアが登場した場面は……学院在学中のときに第二王子の婚約者であるウィステリアが拉致された事件だった。
行方不明になった次の日には無事救助されたのだけど、捕まった犯人がその場で自害してしまい彼女が拉致されていた時間に何があったのか――。
ウィステリアの証言だけでは信憑性がなかったことと、そうなったのは日頃の行いのせいだと……物静かなウィステリアは反論もできなくて王家に嫁ぐことが許されず婚約が破棄された。そして、王家は拉致されたウィステリアを気遣うこともせず体裁を保つ為に、王家と同等の地位を持つと言われているバードゥイン公爵家の令息であるルーフェルムと王命で結婚させられた。
見落としていてわ。あの王命がなければ……そもそも、あの事件がなければ……ウィステリアは死なずに済んだのに。どうやって、彼女は拉致されたのだろう。それに、犯人が自害したからって、捜査もしなかった。
小説を読んでいくうちに分かった事と言えば、成り上がり令嬢が黒幕だった事と婚約者だった第二王子が絡んでいた事。でも、多分それだけじゃない。きっと、王家も関わっていたはずだ。
だって、どう考えたって可怪しいよ。ウィステリアは悪い事をして罰を受けた訳でもないじゃん?
なのに、なんで速攻でサイコ野郎に嫁がされたの? 絶対に裏があるはずよ。
かといって、どのみち今の段階では時が来るまで対策を講じる事が出来ないってことだ。だって、まだ3歳になったばかりだし。前世で21歳で死んだから、本当なら24歳?
(……うわっ……スーパー3歳児だわ)
だからといって、何も出来ない訳でもない。来たる日に備え、良く食べ良く寝て丈夫な体を作らなきゃ。これが、一番大事よね。体が資本なんだから!
お読み下さりありがとうございます。
誤字脱字がありましたらごめんなさい。
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