37 セルビッツェ国立学院 2
「ウィステリア様。おはようございます」
「おはようございます。今朝は早い時間に登校して下さりありがとうございます」
教室の扉を開くと先に挨拶をしてくれたのは、ふんわりとした雰囲気のセイリーン・フィゴット様で伯爵家の一人娘である。学院卒業後に彼女は婿を取り家を継ぐのだという。
そして、しっかり者のキビキビとした性格のアンローズ・ソンプレント様は子爵家の次女で、彼女の嫁ぐ予定である男爵家の家業の為に国立学院に入学したのだとか。
20人弱のクラスメイトの中で女学生は私達の3人だけで、二人はこの春王立学院を卒業されてから国立学院へ入学した3歳年上のお姉様方なのだ。
今日は、クラス役員となったアンローズ様の手伝いで早い時間から学院に登校し、配布する資料をまとめにきた。
「では、私は資料を封書に入れていきますわね」
「私は封をすればよろしいかしら?」
皆が登校してくるまでに終わらせようと急いで作業をしていると、教室の扉が勢いよく開かれた――。
入室してきたのは、朝から元気な二人の助っ人だ。
「おはよう。手伝いに来たよ」
「あっ、もう始めてたのか」
真面目な性格で、いつも穏やかな伯爵家次男のアガルレック・スィセトラ様と、活発で明るい侯爵家の三男であるダーバスカル・ヴァゼモルド様だ。
将来は王宮の研究塔で働きたいのだという彼らは、全ての魔術の授業を専攻してる。
それなのに、なんで商業のクラスにいるのかと聞けば、彼らは本音と建前だと言っていた。……どちらが本音でどちらが建前なのかは、気にならないから聞いてもいないけど。
ダーバスカル様は入学式が終わると同時に、『あの有名人の婚約者だよね? どうして、国立学院に来たんだ?』などと興味津々に声を掛けてきたおバカさん。皆の前で、なんて不躾なんだと思ったわ。
今、それ聞いっちゃう? ……こんなに学生がいる中で、場の雰囲気を汲み取らんかーい!
このときは怒ったわ。久しぶりに、カァーっと血が昇ったっていう感じ。頬なんかヒクヒクだったらさほどじゃないけど、ピクピクと動くもんだから手で隠すしかなかったし。
本当ならば、売られた喧嘩だから買ってあげたかったのよね。でも、前世と今の年齢を足して考えてみたら、大人が子供相手にムキになるのは良くないかなーって。それに、それを聞いてしまった学生さんたちの蒼白になった顔色を見たら、私の怒熱まで冷ましてくれて。人の目って、かなり大事でしょう。だから、それはそれはグッと我慢したわ。そして、考えなしに口に出してしまったと彼は何度も謝ってきたので、私は寛大な心で許してあげることにしたのよね。
それからというもの、よく私に話しかけてくる。
そんなこともあって、今ではクラスの中でも気兼ねなく話すことができる数少ない友人のひとりになっている。ズケズケとものを言うところを変える気はないみたいだけど……。
「なー、ウィステリア。俺らみたいに王立学院を卒業してから国立にくればよかったんじゃねー」
「そうなのだけど。先に、18歳で王立学院を卒業して半年後に婚姻式って決まっていたのよ」
「ふーん。まぁ、相手が筆頭公爵家じゃ婚姻を延ばして欲しいとは言えないか」
腕を組んで、うんうんと頷いているダーバスカル様にそう言われ、私は首を横に振る。
「言ったわ。でも、婚約者の彼が、ね。それに、家同士の話だから仕方がないわ」
「……そう言えば、二番目の兄貴から聞いた話では、バードゥイン公爵家の令息って、めちゃくちゃ恐ろしいっていってたな。うちの兄貴も先の戦いで一時期出征していたんだ」
「そう。一時期って何年くらい?」
「一年近くだったかな」
「ルーフェルムは、10歳から約7年近く出征していたのよ。神経が可怪しくなっても仕方がないじゃない。学院で集団行動とか出来るのかしら? って、心配なんだけど」
そう思った通りに口に出したところ、ダーバスカル様から思いもよらない言葉を返される。
「なんだ。恋愛してんじゃん」
「……恋愛? 何言ってんの。そんなんじゃないわよ。3年後、私は公爵家に嫁ぐのよ。そのときに、社会性に欠けている旦那様と結婚するとなると大変な思いをするのは誰だと思う?」
「あー。そっちの心配か」
子供の頃から7年間も戦場で生活をし、その環境で成長するしかなかったルーフェルムの気持ちを理解することは出来ないだろうし。それ以前に、普通の貴族令息令嬢として生活してきた私たちが、理解しようと思うことすらしないのは、今のダーバスカルとの会話で言わずとも分かる。
たぶん、前世の記憶がなければ、私だってルーフェルムのことを知ろうも思わなかっただろうから。
そう思うと、なんだか心がモヤモヤする。
誰もがルーフェルムの生い立ちを考えることもせず、彼の人間らしいところを省いて噂ばかり信じて……。
確かに彼はサイコ野郎だけど……。でも、彼だって話せば分かってくれる人だし、柔らかな表情だって見せてくれるときもある。
今の話から恋愛に繋げるなんて。と思いつつ返事は返したけれど。
でも、なんで私はルーフェルムを庇うようなことを言ったんだろう?
……私も……みんなと同じように思っていたはずなのに。どうしてルーフェルムを擁護するようなことを考える?
そこまで考えて、更に瞼を閉じて考えてみた。そして、考えて、考えた出した結果。たぶんルーフェルムが婚約者だからそう思うのであって、そうでなければ考えることもなかったはず。別にルーフェルムを擁護した訳ではなく、自分の婚約者だから悪く言われるのも嫌だし、それに嫌いじゃないし……という結論が出た。
セルビッツェ国立学院に入学し月日が経つに連れ、私は学年問わず誰とでも仲良く話せるようになっていった。
クラスメイトでは3歳以上、上の学年になればそれ以上のお兄様とお姉様たちしかいないけど。
最初の頃は興味津々で遠くから見ていた先輩方も、今では遠慮することなく気軽に挨拶をしてくれるようになった。
それというのも、私が頑張った結果だ。
毎回、遠巻きに好奇の目で見られるのにはうんざりで……。まぁ、考えてみたら私は確かにそういった目で見られる対象なんだろうけど。
なぜなら、侯爵家の令嬢が王立学院ではなく国立学院に来ているだけで、偏見の目で見られても可怪しくはない。
そして、更に婚約者はバードゥイン公爵家の令息ときている。バードゥイン公爵家といったら、国を代表する軍隊を保持している筆頭公爵家だし。
公爵家に嫁ぐ予定の令嬢がセルビッツェ国立学院に入学し、商業を学んでいるだなんて。そんなふうに思いながら私を見ていたに違いない。
そして、今更思った。
これって、貴族社会的に……やばくない?
つまり、やばいのは……そう、私だ。
よくよく考えて見れば、たぶん以上のことから奇人だと……いや、狂人だと思われているだろう。私だったらそう思う……ってことは、やはり皆そう思ってるってことで……私って、やばい令嬢だった。
そこから導き出されるのは、思っているだけならまだしも、家に帰れば私を嘲笑うかのような話をするのだろう。
これはマズいー! マズすぎる!
だって、寮に入ろうとしただけでも母様のあの半眼が……。それだけでもメッチャクチャ怖かったのに……。
―――いやいやいや、これはないだろー!!
そう……このままでは、私だけでなく我が侯爵家までもがそんな目で見られ、噂の的になるのだ。つまり、我が家が大変なことになるのは、私のせいってことじゃんよ――。
我が侯爵家が貴族の間で噂になり大変なことになったとしても、母様のことだから想定内だとは思うけれど。
当の本人、そう私が……何の対策もしなくて、そのまま噂になったとバレた暁には……吊し上げの刑どころじゃないのは分かりきったこと。今度こそ母様の半眼は完全に閉じられるぅ―――詰むな。
……しかーし、そうは問屋が卸さない。
そうなる前に、気がついて良かった! たぶん、今からでも頑張れば……どうにかなるはずよ。そう、たぶんどうにか―――。
やられた分、やり返してみる? ホホホッ……じゃなくて、それなら逆に彼らを利用する? ……そう、そっち! 彼らを利用する手立てを講じる方が得策ってことよね。
母様、待ってて! ウィステリアは母様から我が身を守るため、そして我が家の明るい未来の為に頑張ります!
死ぬのも嫌だけど、せっかくの第二の人生なんだから最悪な日々を送るだけだなんて、それも嫌なんだよねー。私はもちろんのこと、家族も、友人たちも、みーんな良い方向に進んでいけたらいいと思うし。
そう気づいてから、皆からの私への偏見の目をどうにかしつつ、皆が私を盛り立ててくれるような目標を立て行動に移すことにした。たぶん、これなら大丈夫かも? ……と想いながらだけど―――。




