35 凄腕の魔術師 5
チェンスターが魔術を行使して発動させた風魔法は獣道に近い道を作り出し、そこから鍾乳洞の入口へは約1時間ほどで到着することが出来た。
先頭を歩いていたチェンスターが、洞窟の前でピタリと足を止め私を見る。
「このままでは、中に入れないぞ」
さすが魔術師だと感心する。
「目では見えないのに、よく分かりましたね。入口を魔術で封鎖しているのですわ」
「複雑な紋が描かれているようだが、どうやってこれを解くんだ」
ウースロ山の鉱業権の羊皮紙を広げると鍾乳洞の入口の岩にある突起にピタリとくっつける。
すると、今まで羊皮紙に描かれていなかった魔術紋が浮かび上がり、入口に立ちはだかる文字の壁が目で捉えられるようになった。
「ちょっと待て、魔術紋が回転しだした。これって、今では失われつつある魔術だぞ」
浮かび上がった魔術紋が生きているかのように渦を巻き出すと、新しく手に入れた玩具を見て子供が目を輝かせるように、チェンスターは興奮して目を見開く。
そして、鍾乳洞の入口を塞いでいる魔術で作られた文字の壁が渦に吸い込まれだすと、最後の文字がなくなるまで食い入るように見ていた。
「では、ランタンの用意をしましょう」
ルーチェにランタンに魔結石を入れるように伝えると、リュックの中から取り出したランタンに魔結石をはめ込む。
隣でラグナード様も大きなリュックからランタンを取り出した。
「せっかく魔術師様がいらっしゃるので、ランタンの明かりを広範囲に広げていただくのはどうでしょうか」
そうラグナード様が提案すると、チェンスターは不快な顔をし、チッと舌打ちをする。
「まぁ! それは良い考えね」
「はいはい。今すぐ描きますよ」
「ありがとう」
「これも仕事ですから。報酬をたんまりいただきます」
面倒臭いと言いたげな態度をするも、チェンスターはルーチェのランタンを預かると、更に魔結石を催促した。
ランタンにぎっちり魔結石を入れ、光魔法の文字を書き足したというスクロールをランタンの下に敷く。
その後で、更に彼が魔術紋に魔力を流すと、ランタンから大量の光が溢れ出した。
「これって、どうなっているの?」
ランタンの下に敷いたスクロールの紋が消えているのを見て、私は小さく声を漏らす。
すると、私の声を拾ったチェンスターがランタンをひっくり返す。
「ランタンの底の裏側に魔術紋を移動させただけだ」
「凄いわ! そんなことも出来るのね! それなら、移動させなくても同じ紋を複写すればいいんじゃない?」
「はぁー? 複写だと? それは無理だな。魔術は、一つのものを二つには出来ない。それが出来るんだったら魔結石をたくさん増やすんだがな」
私を小馬鹿にしたような表情で見ると、チェンスターは紋が消えたスクロールの紙を仕舞う。
その後で、チェンスターはランタンを片手に持ち洞窟内へ入る。
すると、ランタンの光は隅々まで届き始めた。鍾乳洞の中にいるのに、太陽の下にいるのかと見間違えるほど全てが見通せるようになった。
「素晴らしいな」
赤茶色の瞳をキラキラと輝かせ上から下までぐるりと見回し、ラグナード様は感動したとチェンスターに手を差し出した。
チェンスターも応えるようにその手を握ると、ラグナード様は空いている方の手を重ねブンブン振り回す。
どんだけ感動したんだ? ジルベンタ商会の採掘現場で、チェンスターを雇いたいと思っているのは確かだろう。しかし、彼を雇うなら魔結石の現場でない限り働かないだろうが。
そんな2人を横目にルーチェとハザードを連れてスタスタと中へ歩み始めると、いつの間にか遠ざかった私達を2人が追いかけてきたのは、しばらく経ってからだった。
ひんやりとした洞窟内は肌寒く、リュックから上衣を出さなければ風邪を引く温度だ。
時折上からピチャッと落ちてくる雫は、顔に当たるとかなり冷たいし、足場も濡れていて滑らないように気をつけながら進む。
「それにしても、何もないわね。ハザード、あとどれくらい歩くのかしら?」
「まだ先です」
顔を巡らせ私を見るハザードの表情が申し訳なさそうに見える。つまり、この表情から察するに魔結石がある場所までは、まだまだ先が長いのだろう。
ハザードが魔結石のある場所を知っているのには理由がある。
その昔、竜は宝石などの綺羅びやかなものをいつも傍に置き愛でる習性があったと聞く。宝石を探し当てる能力があるのだと、いくつかの本で読んだ記憶もあった。
その為、ハザードにはジルベンタ商会に偵察に行ってもらった際に本で読んだ記憶を思い出したことで、彼にウースロ山の鉱業権の羊皮紙を預け魔結石のある場所も探索してもらっていたのだ。
「おつらいようでしたら抱えて行きます」
「ありがとう。でも、今のところ全然余裕よ」
日頃、体力作りをしている私にはまだまだ体力に十分な余裕がある。
「ハザード。ウィステリア様をその辺にいるような普通の令嬢と一緒にしないで下さい」
ルーチェは意気揚々として、「ですよね」と満面の笑みを私に向ける。が、ルーチェの目には私はどう映っているのだろう。私のことをどんな令嬢だと思っているのだろうか?
以前も裏ギルドへ向かう中で『普通の令嬢ならば……』と言われたが。
令嬢のなかには、騎士団に入る方もいるのに。そういった令嬢と比べれば……ちょっとした体力作りしかしていない私なんか取るに足りないんだけど。
しゅんとした私の様子にルーチェは眉尻を下げ、「普通の令嬢じゃないんですから、ね!」と柔らかな微笑みを浮かべた。
……今のは、追い打ちをかけたわけじゃないよね。……たぶん、励ましたかったんだよね。……きっと、そうに違いない。
どのくらい歩いただろうか。何もなさすぎて、ずっと同じ場所を歩いている感覚に囚われる。
チェンスターとラグナード様が明るく採掘の話をしているのが救いだ。
そんな中、珍しい宝石を採掘したことがあるというチェンスターの話が気になった。
「……誰かに譲るつもりもなかったので、どこに保管しようか悩んだ挙げ句、首にぶら下げることにしたんです」
チェンスターは、首にジャラジャラと着けられているネックレスの中から一つを選び首元のチェーンを引っ張り出すと、ヘッドにぶら下がっている石をラグナード様に見せている。
「ほう、それはなんという石なんですか? 私も初めて見ました」
ここからでは赤一色にしか見えないが、どうも金色の模様が入っているらしい。ラグナード様が透明度が高く美しい石だと絶賛しているが。
チェンスターの言葉を忘れないうちに、私も会話に加わった。
「2人の話を聞いていて、気づいたのですが。私はすっかり忘れていました……どうしましょう」
「忘れていたって、何をだ?」
不思議そうな表情を浮かべチェンスターが首を傾げる。
「それが……魔結石を採掘した後の保管場所よ」
皆の視線が一気に私に集中する。誰もが信じられないものを見たと言いたげだ。
「できれば、この国以外の場所に移動したいわね。チェンスターの知っている、いい保管場所ってない?」
そう問うと、チェンスターはしばらく腕を組んで何やら考え始めた。
ラグナード様は眉間に皺を寄せながら、他国での保管が難しいことを語る。
「魔結石は、国の財産になる。独特で採掘された場所の記憶を有しているんだ。宝石とは異なり、そのものだけが持っている特別な性質や特徴がある為に他国へ移動するとなると、すぐ足がつく。今のところ大陸では、他国に移動できる手段は売買された場合のみに限られている」
「それならば、他の大陸へ移動できないかしら?」
「……他の大陸って?」
私の言葉にラグナード様が顔を歪ませる。
その表情に思い出されたのは、『可笑しいと思わないか? なぜ考えたこともなかったのか。そう教育されていたわけだ』ダルシュの言葉だ。
「えっと……。このフォールヴァン大陸……以外の……場所なら……どうかなと」
「フォールヴァン大陸以外の……大陸……か……」
なんか、凄く考え込ませちゃったみたい。
訳がわからないと言いたげな表情の後でピタリと歩みを止めると、ラグナード様はその場で固まった。
「保管場所は、後から考えようぜ。どれだけ採掘できるのかもまだ分からないんだ。まだ、わ・か・ら・な・い」
チェンスターは、ラグナード様をチラリと見てから私に目配せで合図する。
……わからないんだもの、そりゃ困惑するわよね。それに、大陸のことだけではない。ラグナード様はチェンスターがこの大陸以外の場所からやってきたことも知らないのに、ましてや獣人の存在も知らないはずだ。ちょっと口が滑っちゃったかも。
考え込んでいるラグナード様の肩を叩きながらチェンスターが話を逸らしてくれているのはありがたい。
私にとっては何でもないようなことなのだが、この大陸の住人にしてみれば……と考えると、もう少し慎重に言葉を選んで話さなくてはならないと反省する。
だんだん寒さが増してくると、洞窟内の様子がやっと変わってきた。何もなかった視界に、ようやく変化が現れた。
ちらほらと洞窟の壁にキラリと光を放つ苔のようなものが見えはじめると、足を進めて行く度に数が多くなっていく。
「あの場所から先一帯にあります」
ハザードがそう言って前方を指差す。
「真っ黒い石が沢山あるけど、魔結石は青い色をして……」
「ハザード殿。先に走っていってもいいでしょうか」
そう言葉を返すと同時に、チェンスターがハザードに尋ねた声で私の言葉がかき消された。
ハザードは顔を顰めると一瞬殺気を放ったが、私が目を向けていることで気持ちを落ち着かせたようだ。
ハザードの視線にコクリと頷くと、彼もチェンスターに頷いて見せる。
「チェンスターは、どうして護衛のハザード様が主人だとでもいうような振る舞いをされているのですか?」
ラグナード様が走り出したチェンスターを見ながら首を捻る。
「「絶対強者だから」」
その返答に、ルーチェと私は同時に声をはもらせた――。




