34 凄腕の魔術師 4
途中、裏ギルドでチェンスターを拾うと、青白い顔をして私を睨むかのような表情で馬車に乗り込んで来た様子に首を捻る。
「どうしたの? 顔色は良くないし、冷や汗までかいているわよ? 具合が悪いの?」
「ち、近づくな」
心配して対面に腰を下ろしたチェンスターに声を掛けると、彼は顔を歪ませた。
「なによ! 心配しているのに」
「心配だと? この状況を作っておいてか?」
「この状況って? 何のこと?」
何のことだが分からず首を傾げると、彼は小さな声で呟く。
「婚約者を連れてくるなんて聞いてない」
「はい? 婚約者? 連れてきていないわよ」
「……しらばっくれるな。獣人なら竜人くらい直ぐに見分けられる。チッ……来るんじゃなかった」
……竜人?
「それって、……窓からこっちを見ている彼のことかしら?」
「そうだ」
あぁ、ネックレスの石の効果は至近距離だと期待できないって言っていたわね。そんなに絶望的な声で返事をするなんて。なんだかんだ言っていたけど、やっぱり本当にヒエラルキーが存在しているってことなのね。
「彼は婚約者ではないわ。私の護衛よ」
「護衛だと?」
「えぇ。彼なら大丈夫よ。紹介するわ」
「ち、ちょっと待て……」
車窓を開けるとハザードにチェンスターを紹介する。鋭い眼光を向けているのは本能だろうか。ハザードの牽制している様子が伺える。
「ハザード。彼は、獣人のチェンスターよ。魔術師であり錬金術師でもあるの。仲良くしてくれるかしら?」
窓越しからそうお願いするとハザードはコクリと頷いた後で、チェンスターに視線を向けた。
「ウィステリア様の護衛を務めるハザードだ」
「私は、ウィステリア様のお手伝いをさせていただきますチェンスターと申します。ハザード様、今日はよろしくお願い致します」
……チェンスター。どうして私ではなくて、護衛に敬語なの? というより、笑いを通り越して引くわ。席から腰を上げたと思ったら、床に膝を付けて挨拶をするなんて。
……ハザードに対してここまでするのなら、ルーフェルムに会ったらどうなるのだろう。
チェンスターは、すでに青ざめていた顔からさらに血の気が引き、生気を失った目をしている。
「チェンスターとやら、あまりウィステリア様に近づくな。主君は、鼻が利く」
「はい。仰せの通りにいたします」
……ハザード。そのチェンスターを射殺すような視線は要らないのよ。高圧的な態度を見せるだなんて初めてみたわ。イケメンが凄む姿も美しいけど、そのルーフェルムに似た威圧感は好きじゃないわ。
車窓のカーテンを引き、ハザードの視界から私たちを遮る。
「お、おい! ウィステリア! 何してんだ! 殺されたらお前のせいだからな」
「なにビビってんのよ! ハザードは私の護衛よ! ご・え・い! 仲良くって言ったのに、なに跪いてんのよ!」
「んなこと言ったって、絶対強者が目の前にいたんだぞ! 人間には分からないと思うが、俺らはすくみ上がって自然と体は死を回避するように動くんだよ」
口を尖らせ、体が勝手に動くのだと膝をパンパンと叩きながら恥ずかしそうに立ち上がる。
「彼らの威圧感は人間でも分かるわよ」
「俺らには、威圧じゃなくて偉圧って感じなんだがな」
そう言って、チェンスターは薄笑いし対面に座り直した。
出だしからこれじゃ。というか、今日一日ずっとこんなんじゃチェンスターは怯みっぱなしで仕事にならないじゃない。
その前に、一日持ちそうにないか。
それなら、そうならないようにハザードに頼むしかないわね。
「ねぇ。確かにハザードは獣人にとっては強者の種族になるのだろうけど、彼はとても優しい人なのよ。だから、強者の友人が出来たと思って仲良くしてくれる?」
「……優しい? マジでそう思ってんのか? そうしたくても、頭で理解するのと本能は別だ」
「ふーん。それなら本能をどうにかすればいいのよね。分かったわ。じゃぁ、カーテンを開けるわね」
「ち、ちょっと待て……」
カーテンを開けると、頬を染めているハザードがこちらを見ている。
「ハザード。あのね、お願いが――」
「全て聞こえてました」
「えっ!」
「チェンスターと、仲良く出来ます。俺は、優し……優しいので」
拳で口を隠すようにして、そう言ってハザードが目を逸らす。あらまあ、ハザードったらどうしたの? つんけん君がカーテンを開けたら可愛らしい君に早変わりって? では、もう一回。
そして、もう一度カーテンを閉めて3秒待つ。1・2・3、『シャー』。
「どうしてルーチェの顔に早変わりしてるのよ」
カーテンを開くと、今度は窓から中を覗き見るルーチェの顔に変わっていた。
魔法のカーテンならばと思ったけど、ハザードだから面白かったのに。ルーチェの百面相は見慣れているから今さら見てもつまらないんですけど。
そう思いながらルーチェを見ると、クスクスと笑って回答を述べる。
「窓が開けっ放しで、全部丸聞こえですよ。ウィステリア様に褒められて嬉しいみたいです。ハザードの照れる姿って、可愛らしいでしょう」
なんだ。魔法のカーテンじゃなかったのね。残念。そう言われて見れば、カーテンしか閉めてなかったわ。だからといって、ハザードを褒めた覚えはない。ただ、優しいと言ったのだってチェンスターを安心させる為にいっただけなんだけど。まぁ、いいか。
「ハザード、ありがとう。貴方の威圧感がなくなればチェンスターの本能が危険と感じなくなると思うの」
「既に、制御しました」
チェンスターに視線を戻すと、ルーチェが明るく声を挟んだことで少しは落ち着きを取り戻したらしい。でも、まだちょっと表情は険しいし顔色は良くないが。
チェンスターはギギギと首を動かし、どうにかハザードに視線を向け不自然に微笑んだ。
若干、頬が引き攣っているは仕方がないけど、これからも会う機会は何度もあるんだから早く慣れてもらわなくちゃならない。
これで少しもマシになったのかな? まぁ、今日一日持ってくれれば今はそれでいいんだけどっ。
その後は何事もなく、ジルベンタ商会のラグナード様と合流してから3時間以上掛けてウロース山へやってきた。
木々の間を縫うようにして作られた山道をガタゴトと馬車が音を立てて登りだす。
車窓から見えるのは、背の高い木々が作り出した若葉色で覆われた空だ。
その下の空間は、薄っすら暗い。そのため、葉の隙間から降り注ぐ日差しによって、所々がスポットライトで照らされているかのように美しい光景が広がっていた。
「馬車で移動出来るのはここまでみたいですね」
馬車が停車するとラグナード様がそう言って、窓の外と地図を交互に見る。
山道はどうもここで終わっているようだ。
「ここからどのくらい歩くんだ?」
「地図を見れば、距離的にはさほどですね。ただ、草が邪魔をしているようなので思いの外時間がかかるかも知れません」
チェンスターの問いにラグナード様がそう答えると、馬車の外に顔を出した私にルーチェの後ろにいるハザードが呟いた。
『木の枝を飛び移って進めば直ぐ着くます』
いや、ハザード以外には無理でしょう……。あれ? もしかしたら獣人のチェンスターも飛び移れるのかしら? あとで聞いてみよー。
しかし、そんな無駄な時間をくうなら、全員が一緒に進めるように道を作ってもらった方が早いわね。
「チェンスター。スクロールで風を操り草木を薙ぎ倒して道を作って下されば早く着くのですが」
「分かったよ。人使いが荒いな」
馬車を降りると、胸元から取り出した簡易的なスクロールに彼はサラサラっと文字を書き足し、それに魔力を注いだ。
渦を巻く風の球体が目の前に現れると、「パキッ、ポキッ」と、木が折れる音をさせながら草を倒し、ザザザーと前方へ伸びて行く。
「さ、さすがだわ」
「まあな」
球体が進んだ後に、人が一人通れるくらいの真っ直ぐ伸びた道が出来る。
ルーチェが拍手をすると、ラグナード様が「ヒュー」と口笛を鳴らす。
こんな大々的な魔法が見れるだなんて、彼は凄い魔術師だったのだと改めて感心する。
呆けていた私は、「行くぞ!」とチェンスターの声で引き戻されると、出来たばかりの道とは言い難い道に足を踏み入れたのだった――。




