32 凄腕の魔術師 2
獣人だというチェンスターは、竜人のテリトリー内に侵入しているとサラリと告げるが、竜人であるハザードが見えない場所から私を護衛している。かといって、ハザードは裏ギルド内には入らないように外で護衛しているはずだけど。
「こ、此処に居ることがバレたらどうなるの?」
「たぶん瞬殺されるかも?」
「そ、そんな……」
それに近い光景を目にしたばかりの私の脳内に、ルーフェルムがチェンスターを前に剣を振り下ろす映像が浮かび上がる。
しかし、次の瞬間。ゴクリと息を飲み込む私の前で、チェンスターは笑い転げるかのように声を響かせた。
「ハハッ……ハハハ……、冗談さ」
ふざけんな! なにが冗談だって? ルーフェルムがこの場にいたら獣人じゃなくても、もう既に死体になってるわよ。
心配したのに……よりによって、こんな人とこれから仕事仲間になるしかないとは。
その後、チェンスターの話をきけば、獣人は自分より強い者に従う傾向にある為、竜人のテリトリーに入らないようにしているのだとか。
豹は肉食獣でありそれなりに強者としてのプライドがあるから、へし折られたら傷つくのだといってチェンスターが苦笑いをする。
その後で、胸元からゴールドのペンダンを取り出すと、ペンダントトップを私に見えるように前に出した。
「獣人だと認識されない魔道具だ。錬金術で作り魔術も施している。俺が作った素晴らしい一品だ」
その魔道具を装着していれば、至近距離に近づかなければ獣人だと認識されることがないらしい。彼は外国を渡り歩く事が多く、いつも身に着けているのだと言いながら大事そうにまた胸元へと仕舞った。
その話を聞いて、私の視界が開ける。
ふふっ……なんて素敵な情報なのでしょう。と、いうことはだよ。獣人が強い者に従う傾向にあるのなら、私はその強い者を従わせているも同然ではないか! ハザードって、役に立ちまくりだわ!
チェンスターは、自分から弱みをペラペラと話したのだ。ならば、今後の展開に期待してほしいといったところである。
私はぐっと片手で握りこぶしを作ると、チェンスターに笑顔を向けて心の中でほくそ笑んだ。
物思いに耽り過ぎたようで、気がつけばチェンスターはくだらない話を続けている。
そんな事よりも、先ほどの話が気になる。
チェンスターは、『普通の人間なら……ウィステリアの婚約者は……』そう言っていたのだが、ダルシュは知っていた訳だ。
「ちょっと待って」
「ん? なんだ? 世の中を知らな過ぎるお嬢ちゃんは、何が聞きたいのかな? 授業料は高いぞ。その代わり、分かるように何でも話してやるぞ」
話についていけない私に、ダルシュはそう言って首を傾げる。
「私の婚約者が、普通の人間ではないってことだけど」
「し、知らなかったのか?」
「違くて、私だって知ったばかりなの! それなのに、ダルシュは前から知っていた口振りで話すから……」
「あぁ、知っていたぞ。誰もが知らない事だとしても俺は情報屋だ」
確かに、彼は裏ギルド長でもあり裏ギルドの裏組織の人間だ。更に個人でも商売しているとなれば、色々なことを知っているはず。
彼はこの先の人生でも、絶対に私に必要な人物になると思う。
「それと、チェンスターは獣人だと言ったけど。獣人がこの世界に居ること自体、知りませんでした」
「このフォールヴァン大陸全体の国が他の大陸や島々と交際をしていないからな。フォールヴァン大陸以外の人達は、この大陸を竜の島って呼んでいる――」
そう呼ばれるようになったのは、ガウスザルド国が建国されたころの大昔まで話が遡るのだとダルシュが言う。
昨日、ハザードが教えてくれた話とはまた違った、童話続きの内容みたいだ。
ダルシュが言うには、竜をフォールヴァン大陸に縛りつけた初代国王のせいで、この大陸以外の陸地は天災や疫病により人々が激減してしまったのだという。今では、この大陸と同じような生活水準まで上がってきているらしいが。
「チェンスターが言ったように、このフォールヴァン大陸に来たがる奴はそうそういない。なぜなら、世界を守護していた竜をこの大陸に閉じ込めてしまったようなもんだからな。竜の加護を突然失くした人々から憎まれているんだ。お嬢ちゃんは、考えたことがあるか? この大陸以外の地に行ってみたいとか、勉強してみたいとか――」
「考えたこともなかったわ」
……他国に逃げることは考えていたけど、言われて見れば大陸の外へとは考えなかった。
……ダルシュにそう聞かれて考えて見れば、他の大陸のことなんて聞いたことも考えてみたこともないな。
「だろう? 可笑しいと思わないか? なぜ考えたこともなかったのか。そう教育されていたわけだ。貴族は皆、王立学院を卒業しなくてはならない……なぜなんだろうな?」
……ということは、この国に洗脳されていたってことかしら?
「教えられてもいなかった訳だから、獣人を知らなくても恥ずかしがることはないぞ」
ダルシュから続けて話される奇妙で不可解な内容に頭をフル回転させようにも、上手くいかない。考えてはいけないような、考えなくていいような……この違和感はなんだろうか。
「話を聞いていて色々思うところがあるのに、思考が上手く回らないのよ。ダルシュの話を聞いて、たくさんの事を知ることが出来たのに……」
「……凄いな。侯爵家の令嬢が、一瞬でここまで抜け出せたなんて奇跡じゃないか?」
そう言ってチェンスターは奇怪な眼差しを私に向ける。
「あぁ。普通じゃないとは思っていたが、お嬢ちゃんにはビックリさせられっぱなしだ」
(……はぁ? 私を何だと思っていたわけ?)
「ちょっと! 正直な思いを口に出したのに、変人を見るような目で見ないでよ」
「すまんすまん。お嬢ちゃんの依頼には全て応えるから、許してくれ」
「あっ! そうだった。まだ依頼の話も始めていなかったわ」
この2人は、私を小さな子供扱いしているような気がする。でも、なぜか嫌ではない。
しかし、彼らから聞かされる情報は家庭教師の先生たちからも一切耳にしたことがないことばかり。それ以前に、言われて見れば、だ。今日まで、疑問を持つこともなかったのは、興味がなかったからではない。考えることもなかったし、気にも留めたこともなかったのだ。
この先、小説のように殺されない未来に進むために原作と違うことを……としか考えていなかったが。小説に書かれていなかったこの大陸以外のこと獣人もそうたが、この世界にはまだまだ私の知らないことが色々あり、たぶんそれらを知っていかないと……原作から抜け出せないような気がする。
ならば、彼らから外の世界を学ばせてもらうのが一番いいだろう。既に、私自身が知らない私のことまで知っているのだし。
それに、どういう訳か彼らには警戒心をゼロにされ、すっかり心を開かされてしまっている。
でも、……ふ・ふ・ふ、私を舐めてもらっちゃー困る。まだまだ、聞きたいことがあるんだなー。これなら傭賃以上の働きが期待できそうだ。
この世界は小説の中の世界ならば、必ず私は会えるはず!
「ねぇねぇ! ダルシュ」
「なんだ?」
「この大陸の外に違う種族がいるんでしょう? それなら、エルフと妖精にも会ってみたいわ」
期待で胸を膨らませ、ダルシュに報酬を上乗せするからと頼むと、彼は眉を下げ口を開いた。
「……そうか……残念だな」
「ぷっ……ぷぷっ……………」
(いない? これだけ期待させといて?)
痛い人を見るような視線でダルシュが私を見る。その隣では、チェンスターが涙を流しお腹を抱えながら笑いを堪えていた――。




