28 王都の菓子店へ 2
すっかり忘れていた。孤児院でのルーフェルムに向けられていた皆の反応で。本来ならこの雰囲気が当たり前だというのに。
店内にいる誰もが緊張している様子に、ぐるりと端から端まで店の中を見てみれば……皆、顔色が蒼白だ。
私がルーフェルムの絶対零度の視線を見てへっちゃらだと思うのは、長期に渡り戦場にいたことによる心因性疾患なのだろうと分かっているからで。けれど、周囲の人たちからして見れば、以前の私と同じでルーフェルムのこの表情に震え上がるだろうし視線が合っただけで射殺されるような気分になっているはずだ。
猛獣を前にした小動物の気持ちになるとでもいえば分かり易いだろう。本能的な反応を考えれば、これが当然な結果なのだ。
(……そういえば、バードゥイン公爵夫人が言っていたわね)
以前、ルーフェルムのお母様である公爵夫人が王宮からの帰りだと言って我が家に訪れたときのことだった。
『王城へ出向いた後には、王都で買い物をするのが好きなの。でも、息子のルーフェルムが居るときは買い物にならなくて……』
……そう言っていた。あの時、意味が分からず首を傾げたことが、今になってようやく分かったわ。今よりも子供らしい雰囲気の彼だったわけだが、見目が良すぎるところは同じで。確かに、子供の頃から人を見る瞳はこんな感じで冷酷な瞳をして見ていたような気がするわ。ルーフェルムが悪い事をしているわけではないのだが、彼に気づいた周囲の反応を見るとおちおち買い物なんが出来ないってことか。
「ルーフェルム。奥に行かなくてもいいわよね。お勧めのチョコレートを詰め合わせにしていただいたら帰りましょう」
「あぁ。ウィラがそれでいいなら」
ルーフェルムがそう言って頷くと、周囲から、カッと大きく見開かれた瞳が一斉に私へと向けられる。
(……な、なに?)
そんなに見られると、どう反応したらいいのか分からない。ここは、恥ずかしがるべき? 皆に向かってニコリと笑みを作るべき?
しかし、周囲のこの反応は彼と普通に会話が出来る私に驚いているのか、彼に対して意見を述べた事への称賛なのか。それぞれの様々な想いが語られている視線がこちらに向けられているだけのようだ。……ならば、無駄なアクションは必要ないわね。
「では、詰め合わせで3箱お願いします」
ニッコリ微笑んでそうお願いすると、隣からルーフェルムが「足りないだろう」と言って私を見下ろす。
ルーフェルムの言葉に「ヒッ」と店主らしき人が息を吸い込むと、彼はギロリと視線をずらし「30箱だ」と告げた。
「そ、そんなに必要ないわ」
「チョコレートバナナと、チョコレートフォンとかに必要ではないのか?」
「……そうでした。その為にチョコレート店に買い物に来たのだったわ」
すっかり忘れていた。最近になって私が忘れっぽい人物だったのだと分かってきた。けれども、考える事が多すぎるから仕方がないとも思う。
「では、粉末のチョコレートもお願いします」
「……固形ではなくて、菓子を作る際の粉末のチョコレートでよろしいのでしょうか?」
「えぇ、そうよ。我が家の料理長に作ってもらいたいデザートがあるのですわ」
「当店でもお作りしてお届けすることも可能ですが」
「ありがとう。でも、チョコレートが熱いままでなくてはいけないので、こちらでは無理ですわね」
「あ、熱いままのチョコレートのデザートでしょうか?」
「えぇ」
「畏まりました。それでは、チョコレートの詰め合わせを30箱と粉末のチョコレートをご用意させていただきます」
「詰め合わせは、3箱でお願いしますわ」
店主は確認するかのようにルーフェルムを恐る恐る見る。
「あぁ。それでいい」
ルーフェルムの了承した言葉に店主は胸を撫で下ろしたようだ。
店主が商品を持って来るまでの間、テラス席で待つことを勧められたが、菓子のトッピングが陳列されている棚を二人で見ることにした。
人気の少ないブースでは、様々な商品が並べられている。その中でもドライフルーツのバリエーションが豊富で、見ているだけで楽しくなる。
「オレンジの輪切りに、ピールを細かく切ったものまであるのね」
「この緑色のは?」
「それは、キウイだわ。隣にある黄色のものはゴールドキウイですって」
「ふぅーん。では、この青色のものは? これはさすがに果物ではないだろう」
「本当に綺麗なブルーだわ。これはハーブから抽出した液体にグレープフルーツの果汁を加えて固めたもの……ヒャッ! な、何?」
説明書きを読みながら答えていると、ルーフェルムが突然私の耳を触ってきた。私の髪を耳に掛けたようだ。
隣に立つルーフェルムを睨み見れば、口角を上げている。
その珍しい表情は? 何があった? 何なんだ? 私は首を傾げた。
「突然で、驚いたわよ。声をかけてくれればいいでしょう?」
「髪の毛がつきそうだ」
彼が指差す先を目で追えば、説明書きを見るのに中腰で前のめりになっていたため、下に陳列されている商品に髪が着きそうになっている。
「あっ、本当だわ。教えてくれてありがとう」
「あぁ。もう一度、耳に触れるぞ」
(ヒャッ!)
返事をする前に、聞いたそばから耳に触れているではないか。確かに私は声をかけるようにといったけど……返事が返されるまで待てとも教えるべきだったと思う。
「こ、今度は何ですか!」
(……な、な、何してくれてんのー!)
「このピアスをプレゼントしてから何年経ったのかと思って」
「だ、だからって……」
「そう口を尖らせるな」
……全く、だったらピアスを見せてほしいって言えばいいだけでしょうに。心臓が持ちそうにないわ。でも、彼は安心感を求めているんだから触られたぐらいでよね。それならば、触られることに私が慣れればいいだけなんだし……だったらいっその事、私の方からガンガン触ればいいのよ! こうなったら、触って、触って、触りまくってやるわ!
チョコレートを携えた店員を連れ店主が戻ってくると、私たちの今の様子を見ていたのだろうか……声を掛けられずにいたようだ。
「ば、馬車までお持ちいたします」
「ありがとう。では、ルーフェルム帰りましょう」
そう言ってルーフェルムの手を握ると、彼は大きく目を見開く。
「馬車まで手を繋ぎましょう」
「あぁ」
彼が返事した瞬間、私は彼より大きく目を見開いた。
(……な、何なのよ! こんなのズルいわ!)
初めて見る彼の柔らかな微笑みに心臓が跳ね上がる。
神秘的な見目麗しい彼の顔は、一瞬で頬を桃色に染めたかと思えば甘いマスクを装着しているのだ。
(……天使……だわ――)
信じられない……美しく整い過ぎた顔が綻ぶとこんな顔になるなんて誰が想像出来ただろうか。……今回は、キュートで可愛いワンコのように目を丸くして私を見て……見続けている。
心臓が口から飛び出してきそうなのに、彼から目が離せない。
「……い、いた、痛い!」
「あっ!」
「あっ、じゃないわよ。手を握り潰す気?」
「悪かった。大丈夫か」
繋いだ手が握り潰されそうになり、やっと彼から目を離すことが出来たが。今度はキュートのワンコのまま半泣きっ面で私の手を両手で擦りだした。
「だ、大丈夫だから……帰りましょう」
「強くしないから、もう一度……」
私を見下ろしているはずの彼が上目遣いで私の手を繋ぐ。
「痛くしないでね。優しくよ」
「あぁ」
目が点になり固まったままでその場に佇んでいた店員と店主は、私たちが店の扉を開くと慌てて後ろから付いてくるのだった――。
お読み下さりありがとうございました。
誤字脱字がありましたらごめんなさい。




