27 王都の菓子店へ 1
孤児院を出て馬車に乗ると、昼食時間の馬車移動となったことで料理長から作ってもらったサンドイッチを取り出した。
「お好きなものをどうぞ。飲み物もありますわ」
「では、ウィラの隣に移ってもいいか?」
「……え? えぇ」
対面に座るルーフェルムにサンドイッチを勧めただけなのに座席を移動したいと言われ、『何言ってんのコイツ』という表情を全開で見せてしまう。
まずいと思ったときには既に遅く、彼は表情を変えることはなかったが、眉尻が若干下がったような気がした。
彼には温かさや安心感が必要なのに、私がこんなんでどうすんの! 優しく接っしなきゃいけないのに、私ってば最低だわ。
「並んで食べると狭くなってしまいますが、それでもよろしければどうぞお座り下さい」
「あぁ。食事をしながらの進路方向を考えると、狭くてもそちらの方がいい」
なるほど、言われて見れば食べながら後ろに進むと気持ち悪くなるかもしれないわね。
「そうですね。気がつかずごめんなさい。隣にどうぞ」
「すまない」
隣の席にきた彼がサンドイッチを籠から取り出す。
「そちらは鶏のオーブン焼き甘辛ソース掛けのサンドイッチですわ。シャキシャキのお野菜もたくさん挟まれているので、こちらをお使い下さい」
はみ出た野菜やソースが落ちても服が汚れないように、彼の膝の上にナプキンを広げる。そんな私の行動にサンドイッチを持ちながら固まっているようだが。その後でカップに注いだお茶を差し出すと、手に持ったばかりのサンドイッチは既に手から離れ口の中へ運ばれたようだ。
「まぁ、一瞬で……。よく噛んで下さいね。パンは喉に引っかかりやすいんですよ。はい、お茶をどうぞ」
モグモグと口を動かす彼にカップを渡すと、一瞬口角が上がったかのように見えた。このサンドイッチは私の大好物だから、美味しくて顔が緩むのがわかるわ。そんな彼の様子を見て、自然と笑みが溢れた。
自分に注いだお茶を一口飲めば乾いた喉にシトラスの爽やかな香りが広がる。
やっと一息つけ、「ふぅ」と息を吐くと、続けて隣からも、息を吐き出す音が聞こえる。
見上げてみれば、私を見下ろす彼の視線と重なった。じっと私を見ている彼から視線を逸らすと、彼はカップを口から離し静かに話しかけてきた。
「聞きたい事がある」
「聞きたいことですか? なんでしょう?」
「王立学院へは最終学年の1年間だけ通うと言っていたな」
「えぇ。そうですが」
「聞き間違えていなければ、先の2年間はセルビッツェ国立学院へ通うと聞いたと思うのだが」
「えぇ。そうですわ。……あら? ルーフェルムに話していなかったかしら?」
「あぁ」
「まぁ。ごめんなさい。以前、お送りした手紙に書いたと思っていましたが、お伝えするのを忘れてしまっていたのかしら」
……実際は、教える気もなかったから忘れた訳ではなく書いてないんだけど。
ガウスザルド国では、ほとんどの貴族の令息令嬢達が王立学院を卒業する。それは、この国の貴族体制に理由があるのだろう。
爵位を継ぐ場合は王立学院を卒業していなければならないし、もちろん高位貴族への婿入りや嫁入りの際にもだ。下位貴族であればそこまでは気にしなくて済むだろうが。
しかし、高位貴族ともなれば配偶者が王立学院を卒業していなかった場合、貴族家同士の結び付きを失うほど重要になってくるのだ。
そういった事から、私もバードゥイン公爵家に嫁ぐ為に王立学院を卒業しなければならない。それと、侯爵家の令嬢であるがために王立学院を卒業していないとなると我がラジェリット侯爵家に対して非難の目が向けられ、貴族間の問題で二重苦、三重苦と困難が重なっていくことになる。
「国立学院の入学式が5日後になるので、私は4日後にセルビッツェ領地へ移動する予定です。セルビッツェへは馬車で2時間程度の移動になるので、週末には王都のタウンハウスへと戻るつもりです」
「なぜ国立学院に行く」
「学びたい事があるからです。王立学院では、貴族としての学びが主ですが。国立学院では、多岐にわたる知識が学べるのです。資産を上手に運用していくために、たくさんの事を学びたいと思いましたの」
……死を回避するために小説通り王立学院に3年間通いたくなかったこともある。だけど、魔結石で一儲けするためには今の私じゃ無知すぎるのだ。幸せになる、そして生き抜いていくのに必要な知識と人脈を得る。そのために私は国立学院へ2年間通うと決めた。
「では、私も国立へ転入しよう」
「な、なぜですか? ルーフェルムはずっと戦場にいたのですから、王立学院で学ぶことが必須です。次期公爵となるには王立学院を卒業しなければならないのですよ! わたくしが公爵家へ嫁ぐ前に、次期公爵として貴族達を言い負かす程の知識と教養を身につけて下さい」
「知識と教養なら既に身につけているが?」
(……はぁ? 今まで何年も戦場にいたのに何いってんの?)
「それでも、最低1年間は王立学院に通って下さい」
……国立学院にこられたら私の計画が水の泡となる。私は国立学院で、何かあったときのために逃走を後押ししてくれる人達も見つけなきゃならないのに。ルーフェルムには、知られたくない人脈を作りたいのだ。
でも、国立学院でルーフェルムが商業を学ぶ姿を想像しようとしても、それすら出来ない。それより、彼が接客とかあり得ないでしょ。客が逃げていく? いや、その前に客は来ないわね。……などと想い、横目で私を見下ろす彼を見てクスッと笑みが溢れる。
そんな私の様子に一瞬目を丸めた彼は、国立学院へ転入するのを諦めたのだろう。何事もなかったかのようにサンドイッチに手を伸ばすと、空になったカップを差し出しお茶のお代わりを要求した。
車窓から外を覗くと、煉瓦の建物が建ち並ぶ風景が見える。すれ違う馬車の台数も次第に多くなり王都の商店街に着いたことが分かる。
小さな下げ込み窓からルーフェルムが御者に指示を出すと、馬車は数分後に『サンタムール』と書かれた看板のある店の扉前で停車した。
邸を出発したときには、孤児院を訪問するだけに留めようとしたのだが、思いの外子供達の面倒を見てくれていたご褒美として当初予定していたチョコレート店に行くことにしたのだ。
高級感が漂う珍しい真っ黒な建物の外扉が開かれると、店内から溢れ出るふわりとした甘い香りが鼻腔をくすぐる。
幸せな気分で大きく香りを吸い込む私の手がルーフェルムに掴まれると、彼は私の手を自身の腕に絡めた。
彼を見上げれば、いつものように冷たい視線を扉に向けているが、耳が赤く染まっている。どうやら、菓子店に入るのが恥ずかしいようだ。
「ルーフェルム。行きましょう」
彼の腕を引くように店内へと入室すれば、私たちを微笑みながら迎え入れる店員の表情が一瞬で蒼白になる。
「いらっしゃ……い……ませ」
それを合図にしたかのように、次々と店内にいる従業員やお客様たちがこちらに視線を向ける。
私とルーフェルムの登場に、ざわついていた店の中は一瞬で静まり返った。
店主らしき人が奥から私たちの前まで出てくると、冷や汗をかきながら引きつった笑顔で頭を下げる。
「バードゥイン公子様。ラジェリット公女様。ようこそお越し下さいました。本日はご来店下さり誠にありがとうございます。ご連絡をいただければ商品を直ぐにお屋敷までお届けさせていただきましたが。直ぐに奥の部屋をご用意させて頂きます」
これには驚いた。……凄い。よく顔を見ただけで私たちだと分かったわね? さすが王都一の菓子店だわ。ルーフェルムは筆頭公爵家の長男だから何となく分かるが、私まで把握されているだなんて――。
感心してにこやかに笑みを浮かべれば、店主らしき人が今にも倒れそうで私は首を捻る。もしやと思い隣に立つルーフェルムを見上げると、店内に向けてマイナス273度の視線を向けていた―――。




