26 サイコ野郎 6
院長先生に促され院内に入るとカモミールの香りがふんわりと漂ってくる。
お土産に持ってきたパンと焼き菓子を渡した後で、目の前にカップが置かれるとルーチェの好きなハーブティーが淹れられていた。
今日は、ルーチェが来ることになっていたため、彼女のために用意して待っていたのだろう。子供達が朝早くから畑で摘んで来たというハーブのお茶は優しい味がした。
最近の孤児院の様子を聞いた後で、院内で不足しているものなどを尋ねる。毎回季節の変わり目になると、入り用なものが多くなるからだ。
「このところ、日中の気温が温かくなり夜との温度差で風邪を引く子供達がちらほら出てきました」
「それなら、寝具を1枚多く掛けるより、寝衣を1枚多く着せてみたらどうでしょうか。それなら、寝ている時に掛けている寝具を蹴り飛ばしても保温出来るかと」
「なるほど。確かに言われて見れば。今夜からそうして見ます」
「服が足りないようなら、寸法を教えて下さい。後日、風邪に効く薬草をルーチェに届けさせますので、服も一緒に持たせますわ」
石鹸とタオル、薬草に服と糸……。
先生達からの要望の次に、子供達に必要なものを聞く。
「では、お兄さんやお姉さんの番ね。どう? 小さな子達が使うチョークは足りているかしら?」
「はい。先日、ルーチェ姉様が届けて下さいました」
「そう。大きな子供達が使う紙や筆は? まだあるのかしら?」
「か、紙が少なくなりました」
「遠慮せずに言いなさい。紙だけでいいのかしら?」
「ウィステリア様。あの、インクも……いいですか?」
「もちろんよ。それと、インクね」
小さい子供には黒板を使って絵や文字を書かせているが、成長するに連れ筆を使い紙に文字を書かせている。確かに、紙とインクは孤児院の子供達が欲しいと言いづらいのも分かる。かなり高価な品だからだ。しかし、文字を書くことが出来れば、職種の選択枠がかなり広がる。彼らが、将来このラジェリット領で働くことにより領地が発展することを考えると、我が領地への投資だと思えばけして高くはないだろう。
「もう終わりかしら?」
そう子供達に問うと、大きな子供達の隙間からひょっこり小さな男の子が前に出てきた。
「ウィティリャさま。ぼく……ぼく……」
もじもじする男の子の言葉の続きをニコリと微笑んで待つ。
「ぼく、けんが……けんがほちいでちゅ」
「玩具はたくさんあるでしょう」
やっと勇気を出して私に言葉を発した子供を、先生が直ぐ様抱きかかえて外へ連れ出そうとする。
「待って下さい。その子とわたくしは、まだ話しの途中ですわ」
私の声に先生がたじろぎ、小さな男の子を腕から下ろした。
「それで、貴方は玩具の剣が欲しいのね?」
そう尋ねると、大きく首を左右に振る。そして、ルーフェルムに向かって腕を振り上げると彼を指差した。
「きちに、きちになにたいでちゅ」
小さいながらも、ルーフェルムを真剣な目で真っ直ぐに見ている。
「お前は、俺にはなれないぞ」
(……ちがう。アンタじゃなくて騎士だから)
「そう。大きくなったら騎士になりたいのね」
「うん!」
大きな声で返事をすると、首をコクコクと振って満面の笑みを浮かべる。
騎士か……。男の子なら騎士という職業に憧れるのも当然だ。女である私には思いもしなかった夢だ。しかし、どうするか。騎士職か……私には全然分からない分野だわ。騎士の家系の人を父様から紹介してもらい、ノウハウを伝授してもらってから考えるしかないようだ。
思いもよらなかった、その子の将来の夢について考えていると、ルーフェルムが私の顔を覗き込んだ。
「な! 突然、何でしょうか」
「ハザードがいるだろう」
「ハザードですか?」
「数人の後釜も育てているし」
「……後釜?」
「子供の面倒見もいい」
「……面倒見もいい?」
「その辺の奴らよりかなり強い」
「……かなり強い」
「ウィラの護衛騎士だし、適任だろう」
(……ん? ちょっと待って? 護衛騎士?)
彼は王家の影を退ける程の実力がある。確かに、見えない所から私を護ってくれている。
身の熟しも軽やかで、身に纏う装飾のない黒い衣服。そして、足音を立てる事もなければ、気配を感じさせる事もない。これが……護衛騎士と言えるだろうか。
(……ちがーう! 騎士じゃない! 強いて言えば、暗殺者よ!)
「騙されるところだったわ」
「僕も騎士になりたい!」
「ぼ、俺も騎士になる!」
私の呟きが子供達の大きな声にかき消され、次々と男の子達が騎士になりたいと手を挙げる。
「わ、分かったわ。騎士を育ててくれる先生を、なるべく早く探してみるわ」
子供達の歓声の中で苦笑いをしていると、私に新たな疑問が湧く。
もしかして、ハザードは……ルーチェを後釜として育ててるの? いや、それは無いわね。あんなにラブラブなのだから。でも、最近のルーチェは人間離れしてきてるような……。きっと、気のせいね。絶対、私の思い過ごしよね……そうよね。
孤児院の庭にある大木の下で子供達に絵本を読み聞かせていると、広い芝生の上でルーフェルムが子供達の中心に立ち、何やら話をしている様子が伺える。
彼の顔は無表情ではあるが、子供達は笑顔で話しかけている。いつ豹変するかと思うと気が気じゃない。
「もう。ウィステリアお姉ちゃんったら、ルーフェルムお兄ちゃんばっかり見てないで、次の絵本を読んで」
(いやいや、だって剣が無くても拳があると思うと)
「こら、ウィステリア様にそんなことを言ってはいけません。好きな人には自然と目が向いてしまうものなのよ」
(自然とじゃなくて、意識して見てるのよ)
「いいなー。ウィステリアお姉ちゃんは、両想いでラブラブね」
(ラブラブじゃなくて、ハラハラなの!)
好きな人? 両想い? どこをどう見たら? 子供って好奇心から物事を見るからそう見えるのだろうか。
「そうよね。ルーフェルムお兄ちゃんは来たときからずっと、ウィステリア様から目を離さなかったもの」
(なぬ? 見間違えてますわよ)
「そうそう! ずっと、優しい目でウィステリアお姉ちゃんを見つめていたし。いーなー、私もあんな美しい神様と両想いになりたい」
(……ルーフェルムの目が優しいだなんて、やはり孤児院の皆は危機感ゼロだったのね)
……でも、確かに美しい人だとは思う。
「あれでサイコ野郎じゃなければなー」
呟いた私の言葉に、子供達が意味が分からないと首を捻る。
その様子に、「秘密よ!」と人差し指を口の前で立てて微笑んだ後で、私は手に持つ絵本を閉じた――。




