23 サイコ野郎 3
「では、本題に入るけど……。ルーチェ、こうなった状況を教えてくれる?」
対面にいる見えない彼の血を拭き終わったルーチェに先に尋ねると、彼女はルーフェルムを見た後で視線を泳がす。
大丈夫だから全てを話すようにと言えば、ルーチェは頷き口を開いた。
「窓際に立ち、ウィステリアお嬢様をいつものようにお呼びすると、バードゥイン様が入室して来たのです」
ルーフェルムが部屋へ入ってくると、剣を持って入室してきた彼の姿に驚いたと話す。
「すると、ハザードが私の前に現れました。そして、バードゥイン様が彼に向かって剣を――」
(……ハザード? 見えない彼の名か)
隣に座るルーフェルムにも尋ねる。
「どうして、彼を斬りつけたの?」
「俺の前に立ちはだかった」
意味の分からない返しに私が首を傾げると、彼は話を続けた。
「大変だと、女が言った。だから、駆けつけてきたのだ。そこに、ハザードが現れただけだが」
だから何だとでもいうような表情をするルーフェルムに私は更に首を捻る。
「見えない彼……ハザードは、貴方の部下じゃなかったの?」
「そうだ。そして、俺の従兄だ」
「それなのに、斬りつけたの? 何とも思わないわけ?」
「あぁ」
(……あぁ? サイコ野郎全開だわ)
「何も聞かずに?」
「命令にも背いた」
「何の命令?」
「護衛から離れた」
「はぁ? それだけで?」
「主君の命令は絶対だろう」
そう言った後で、ルーフェルムは冷ややかな視線をハザードに向けた。
ルーフェルムがハザードに向けて放っているのは、殺気ではなく怒気のように感じるのだが。
……命令に背いたハザードは、バードゥイン公爵家の人間だ。
それならば公爵家の罰の与え方に私が口を出すことは出来ない。
ハザードが命令に背いた内容を問いただせば、彼に下した命令とは身を隠し私を護ること。ただそれだけだとルーフェルムが告げた。その後で、彼は顔を歪ませ視線を私に戻す。
「ウィラがなぜハザードを認識している?」
「何となく、彼の存在を感じていたからよ」
「嘘をつくな。その女は名前で呼ぶほど親しいらしいが……」
「嘘はついていないわ」
彼の存在を感じていた私が、彼を脅して呼び出したことをルーフェルムに話すが、それでも命令に従えない奴は要らないと首を横に振った。
……この、わからず屋!! 偏屈で、石頭で、頑固者……それと、すっとこどっこいのサイコ野郎!! そうですか、そうですかー。だったら私にも考えがあるんだから!
足を組んで前髪をかき上げながら、ルーフェルムに向かって顔を斜め30度の位置に動かす。今、手元に扇がないのが残念だ。でも、目力でカバーすれば……うん。いいだろう。
そのままルーフェルムに見下すような視線を向ければ、なんちゃって悪役令嬢の出来上がりだ。そして、ぐっと目に力を込めてから私は口を開いた。
「そう。要らないなら私が買うわ。ハザードの主は今から私ね」
「ふざけるな!」
「いくら払えばいいの? 私には、とても彼は魅力的だし価値ある存在なの。言い値で買うわ」
「ウィラ、何を言っているのか分かって言っているのか?」
「えぇ。彼を囲うって言ったのよ」
「ハザードは、命令に背いた。そんな奴を罰っするのが……殺すのが当然だ」
「えぇ。だから、聞いているのよ。罪になる彼を買い取る金額と……婚約破棄するには、いくら必要なのかって」
「なんだと?」
「彼を殺すなら、主となる私にも罰が必要でしょう。今日中に婚約破棄の書面を作るから、彼の代金を含めた金額を記入してサインしてくれるかしら。話しは終わったわ、部屋から出ていって下さい」
「……しない」
「話しは終わりました。今後、二度と会うことはないでしょう。ルーフェル……バードゥイン様、お帰り下さい」
気丈に振る舞ってはいるが、ルーフェルムがいつ剣を私に向けてくるのかと思うと震えが止まらない。彼との会話中、ずっと流れていた冷や汗で体中がびちゃびちゃだ。そもそも、サイコパスを相手に会話が成り立つのだろうか。
今までに無い、射殺すような鋭い視線が私に向けられ、怖くて目を合わすことが出来ない。
でも、私にだって譲れないものがあるのだ。どんなに怖くたって護りたいものが。
私はルーチェの主人になった時点で、彼女を幸せにしたいと思った。そして、今の彼女が描く未来にいるのがハザードだ。それなら、まとめて護るしかないでしょう。
(……早く、早く出ていって)
恐怖で額から流れ出した汗と瞳から溢れそうになる涙を見られないように、私はソファーから立ち上がると彼に背を向けた。
なかなか部屋から出て行かないルーフェルムを背にして、ルーチェにゼフォル兄様の部屋着をくすねて来るように指示を出す。
ハザードの血だらけの服を着替えさせるためだ。
ルーチェはコクリと頷き、ハザードの前から腰を上げる。
私は、ソファーの隣にあるサイドテーブルから膝掛けを取り、ハザードに掛けてから行くようにと彼女に差し出した。
「ハッ!」
ルーチェが膝掛けを受け取ると同時に驚きの声を上げ、大きく見開かれた彼女の目がゆっくり私へと向けられる。
どうしたのかと思えば、ルーチェはジェスチャーで私に何かを訴え出した。
彼女の手振りが何を伝えようとしているのか全く分からない。
そして、最後にルーチェが指を差した先へと振り返る。
(……な、なんてこと!)
視界に映るのは、私から3歩後ろに立っているルーフェルムだ。
私を見つめる彼の目には……。
な、な、なに――! なんなのこの人――! それって、涙? まさか……汗なわけないって? ……いや、マジ、それって、涙じゃんよ――。
初めて見た彼の人間らしい表情は、泣き顔だった。彼が流す涙は、更に美しさに磨きをかけるように光り輝いて見える。泣き顔さえもイケメンだなんて、羨ましい。……ちょっとつぶらな瞳は、主人に尻尾を振る犬のようで何かを懇願しているように見えるが。
騙されてはいけない。見かけはわんコでも、これは猛犬だ。
泣きたかったのは私の方なのにと思うも、彼の涙に動揺し、その辺にいるおばちゃんのようにオロオロしてしまう。
「な、どうし、あ……」
あまりのギャップに困惑し、なんて言葉をかければいいのか分からない。
突然、どうしたのよ? こんなルーフェルムを見れるとは……。そうじゃなくて、この後どうしたらいいのよ。
(……私が泣かせたのよね、多分)
どう対応すればいいのか分からず、とりあえず引き出しからハンカチを取り出し彼に差し出す。
彼の手は、差し出したハンカチを掴まず私の腕を手繰り寄せる。
「ハザードはウィラにやる……婚約破棄はしない」
私の腰に回されたルーフェルムの腕が、彼の胸に私をギュッと強く押し当てる。
(ムギュッて? なにすんのよ!)
「突然、何よ!」
「ウィラが嫌なことはしない」
(これは誰? ルーフェルムよね?)
「婚約を破棄すること? 別に嫌じゃないわ」
「我慢するな。泣かせて悪かった」
(はぁー? 泣いているのは、貴方よね?)
そう思ったが……そうだ、私も涙がちょっと溢れ出ていたのだわ。まじで殺されるかと思っていたし、怖くて死期を自ら早めたと思って。
……ん? でも、この状況では誤解させておく方がいいのかも。
それに、震えが止まっている。怖いと思う気持ちがない。何故かこの状況に安心している自分がいる。どうしてだ?
「じゃぁ、ハザードの罰はもういいの?」
「あぁ。君に任せる」
(だったら、最初から任せろや)
「婚約破棄はしないの?」
「あぁ。絶対にしない」
(サイコ野郎が、私の言う事を聞いているぅ?)
「これからは、私の言う事を聞いてくれるよね」
「………」
(このは言い方は、不味かった?)
「全てじゃないわ。お願い事を、よ」
「分かった」
(……もしかして、彼は――)
昨日の夕食の席で、私はルーフェルムの不安を少しずつ和らげようと考えたが、今の彼の私への接し方で、少々方向性を変えることにした。
変わったと思っていたルーフェルムの中には、まだ昔のままの彼もいるってことよね。それならば、以前の私が導き出した通りに――。
餌付けして、飼い慣らしてみるのもあり? というか……今の彼とのやり取りを考えてみると、既に彼は飼い慣らされ始めていたってことになるわ。
悔やまれるのは、前世でペットを飼ったこともなければ、躾の仕方の本を読んだこともないことだ。
……でも、どうにかなりそうかも?
未経験だけど――。
お読み下さりありがとうございました。
誤字脱字がありましたらごめんなさい。
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