22 サイコ野郎 2
「邪魔だから出てって!」
そう言ってルーフェルムを睨むと、彼は眉間にシワを寄せた。
初めてそんな言葉を浴びせられたのだろう。彼は一瞬、何も言葉を返すことができず、戸惑ったようだ。
「なに?」
次に発したルーフェルムの言葉にイライラする。彼の一言一動が苛立つ。
一度汚い言葉を発したこで、どうにでもなれという思いが芽生えれば、次々と自身の想いがそのまま口から飛び出ていく。
「……どっかいってよ……顔も見たくない……この、サイコ野郎!」
「な、どっかいけだと?」
「そうよ、さっさ行きなさいよ!」
「……買い物に行くんだろう?」
この状況の中、何事もなかったかのように首を傾げそう尋ねてきたルーフェルムに、更に怒りがこみ上げる。
「買い物なんて行けるわけないでしょ! こんな事して、許さないから!」
「……ウィラ」
「ウィラなんて呼ばないで! あんたなんか大っ嫌いよ!」
「はっ? 嫌い?」
どうせ殺されるなら、黙って殺されるよりよっぽどいい。そう思うと。更に口が出る。
「見えない彼が死んだら、ルーフェルムを一生許さないから! 私が死んだ後も永遠に、ずっと呪ってやる!」
そう言った後で見えない彼をソファーへとルーチェと運び、訓練中にルーチェが運び込んだ寝具カバーの替えを彼のお腹に押し当てた。
「ルーチェ、早く主治医を……」
「は、はい。直ぐに呼んできます」
「待て、呼ばなくていい」
二人の会話の後に、冷淡な表情を向けながらルーフェルムが口を挟んだ。
「まだいたの? ……ルーチェ、早く呼んできて!」
「呼ばなくても……治る」
「ふざけないで。こんなに出血しているのよ。傷を塞がないと血が止まらないわ」
私が浴室を出てきてから、見えない彼は声も出さずにずっと耐えている。相当な痛みだろうに、うめき声さえ出さずにだ。
ルーフェルムが剣から手を離し、見えない彼のお腹に当てた寝具カバーを取り払うと、狼狽える私の手首を掴む。
「何するのよ!」
手に拳を作り、力を入れて振り払おうとするが、ルーフェルムの力が強くてびくともしない。
「手を開け」
「離してよ!」
「こいつを助けたいなら、手を開け」
そう言われ、意味が分からなかったが、強張って硬くなった手をどうにか開いた。
私が開いた手を、ルーフェルムが見えない彼のお腹に押し当てる。
すると、見えない彼がそこで初めて口を開いた。
「だ、駄目です。……ウィステリア様、止めてください。……ルーフェルム様、止めて下さい」
「黙れ」
「黙りません。……お願いします。止めて下さい」
「ウィラ、こいつを治したいと……傷が治るようにと祈れ」
「だ、駄目……です。止めて……下さい」
口から血を流し、か細い声でそう告げる彼は、今にも大量出血で瞼が閉じそうだ。
「何なのよ?」
「説明は後だ。治したいなら、傷が治るようにとそれだけを考えろ」
そう言われ、それで治るならと私は彼の傷が早く治るようにと、良くなるようにとそれだけを祈った。……祈り続けた。
その間ルーフェルムは一言も喋らずだ。私もじっと見えない彼の傷が塞がることだけを考えていた。
静かな部屋には、ルーチェの啜り泣く声だけが響き渡った――。
ルーフェルムが、私の手を引き見えない彼の腹部から手を離すと私は瞼を開いた。
時間にすると10分程度しか経っていなかったようだが、長い間そうして時間を費やしていたような感覚に陥る。
傷のあった場所を確認すれば、どうやら出血は止まっているようだが真っ赤に染まった場所からは傷の具合が確認できない。
見えない彼の顔へと視線をずらせば、真っ青な顔や首から汗が流れている。汗をかくほど痛みを堪えているのだろう。
先ほどまで、ずっと言葉を発する事をしなかったのに……どうして、見えない彼は何度も『止めて下さい』と言ったのだろう。そう思うと、私はルーフェルムへと視線をずらした。
「全く意味の無いことを……。もう気が済みましたか? 直ぐ、医師に処置を頼みます」
掴まれた手首はまだびくともしない。
「もう医師は必要ない」
「そんな訳ないじゃない――」
「奴を見てみろ」
(目を閉じて……い、息をしていない?)
「えっ? ……し……死んで――」
「寝てるだけだ。出血も止まっている」
「えっ?」
「傷口も直に塞がる」
「……どうなってるの?」
「説明する。そこに座れ」
そんな事を言われても、信じられず。ソファーに横になっている彼の口元に耳をよせる。とても小さく呼吸を繰り返している。傷口からも、もう血が流れ出ていない様子に胸を撫でおろすと、私は小さく息を吐き出した。
彼の様子を確認していた私をルーフェルムが「近すぎだ」と言ってお腹に腕を回し引っ張り離す。急に床から足が離れて驚くと、対面のソファーにポンと置かれるように座らされた。その後で、私の隣にルーフェルムが腰を下ろした。
バスローブのままで気まずい私は、一度着替えをしてから戻ってくると、ルーフェルムに隣に座るように促される。そこしか、空いている場所がないから座るけど。
どうしてこんな状況になったのだろう。
ルーフェルムの殺気や怒気は今は全く感じられなくなったが、全く分からないことだらけだ。
結果だけを考えれば、見えない彼が死んでいたら、ルーチェが死んでいたら……私は絶望し、これからの人生はルーフェルムに復讐するために生きたのだろか。
もし、そうなっていたら、ルーフェルムも罪悪感も感じられず何処ででも平気で人を殺せるような……小説の中の彼になってしまうような気がする。
今回は、そうならずに済んだけけど――。
そう思うと、ルーフェルムは見えない彼を殺さなかった。私が彼を止めることができたのよね。……信じられないわ。
ルーチェは見えない彼に付き添うようにソファーの前で床にペタリと腰を下ろし、見えない彼の血で汚れた手をタオルで拭いている。
その姿に安堵し、私はルーフェルムに視線を向けた。
彼は眉尻を下げ私をじっと見る。その瞳からは、穏やかな様子が窺える。そして、やっと冷静を取り戻した私は、ゆっくり口を開いた。
「まず先に、今の彼の状態を教えて」
「ふぅー。寝ているだけだ」
「手を当てていただけなのに……どうなっているの?」
「ウィラに、力があるからだ」
「もしかして、私は治癒魔法がつかえるとか?」
「いや、使えない」
「じゃぁ、何の力なの?」
そう言って、ルーフェルムは私の持つ力について話しだした。
彼の話を簡単にまとめると、私には細胞機能を活性化させる力があるという。今回、私が手を置き傷が癒えるように祈ったことで、見えない彼の体の細胞が傷を治す為に活発に動き出したのだという。その為、その他の体の機能は深い眠りについているらしい。
「今の話だと、貴方達限定で私の力が働くってことよね。俺達って言ったけど……。対象になる人は、どんな人なの?」
「種族みたいなもんだ……俺達の祖先は竜だ」
……竜……あっ、思い出したわ。小説でウィステリアが殺される場面で竜のことを刺客が話していたわね。でも、なぜ? 私は全く関係ないじゃない? どうして、生まれも先祖も違う私にそんな力があるの?
「どうして私に力が――」
「……俺が与えた」
「えっ? ルーフェルムに与えられた力なの? いつ、私にそんな力を与えたわけ?」
彼の話しは、私達が出会った王家主催のお茶会、小説の話から逸脱した日まで遡った。
あの日、ルーフェルムの姿を見て逃げ出そうとした私は、突然上空を指差した彼につられて空を見上げた。その隙に一瞬で手を握られ恐怖でその場に倒れた。
その後で、倒れた私に彼が力を与えたのだという。
「どうやって?」
「……それは……後で話す」
……まぁ、竜の力だなんて極秘情報なのだろうから、おいそれとは話すこともできないのだろうが。
「なら、どうして私にそんな力を与えたの?」
「力を与えたとは言ったが、主として与えたものの付属に過ぎない」
「主として与えたものとは?」
「……それも、後で話す」
全く説明になっていない。
……でも、あの日倒れた後に、脳内で勝手に小説の話が思い出された。そう、竜の子孫だという内容の――。
順に思い出せば、まずルーフェルムは、『銀の悪神』と呼ばれていた。その後に『竜の子孫』は国に必要なくなった、『竜と番えば同類』とも。……ルーフェルムは竜の子孫だった。
でも、ルーフェルムから告げられた「主として与えたもの」の記憶を思い出すことができない。小説には書かれていなかったのだろうか。
かと言って、これ以上の内容は今の私の許容範囲を超えている。困惑している今では、彼から情報を聞き出す気力もない。
それに、先ほどからルーフェルムの様子が可怪しいのは気の所為だろうか?
今のルーフェルムの様子だと、この感じは……彼も戸惑っているのではないかと思う。何となく私を見る銀色の瞳が、そう見えるのだ――。




