12 侍女と見えない影 2
揺れたベッドの天蓋カーテンを見た後で、それが今話題に挙げている人物かと確認するようにルーチェに視線を戻す。
彼女が小さく頷いたことで、私はまだ見ぬ彼に向かって静かに話しかけた。
『見えない客人は、私の対面にお座りになって下さい』
『ルーチェは、彼のお茶を用意してくれるかしら』
ルーチェにお茶の用意を頼むのに彼女に視線を向けると、その一瞬の間に彼はソファーの横で跪き頭を下げていた。
……早っ。 ベットの奥に居たのに、ここに来るまで一秒すらかかってなくないか?
神業のような早さに面食らう。目をパチパチさせながらルーチェを見ると、彼女はしおらしく頷く。
『ソ、ソファーに座って下さい』
そう声をかけると、更に彼は暗赤色の頭を上げ『はい』と返事をした後で、目に見えぬ速さでソファーに腰を下ろした。
……凄っ。人間離れしすぎだわ。どんな訓練をすればこんなに瞬時に移動出来るようになれるのかしら?
ポカンと口を開けた私に、彼は申し訳なさそうな表情を向けている。
……ドクン……ドクン。
……な、何……この生き物。暗赤色の前髪の隙間から、つぶらな瞳で私を見る彼は、ニャンコのように金色のアーモンド型の目を丸くしているではないか。それに、めちゃくちゃイケメンだ。
……ん? 今のは、丸い瞳孔が一瞬縦長になったように見えたけど?
『あら? 貴方の瞳――』
『何も聞かないで下さい。何も答えられないので』
『分かっているわ。でも、ルーチェの事は別よね。私には聞く権利があるはずよ』
(言ってはみたものの。聞く権利、あるのかな?)
足と腕を組み、ちょっと偉そうにソファーにもたれかかる。
『……はい』
(あら? 結構、素直なのね)
『貴方は見た感じ、20歳を超えているみたいだけど。毎晩、仲睦まじくしているってことは、ルーチェとの間にいつ子供が出来ても可怪しくないわよね。貴方は、ルーチェと結婚するつもりでいるの?』
『……毎晩、仲睦まじくっていう彼女の表現が良くなかったかと』
頬をポッと赤らめ彼は私から視線をずらす。
『えっ? じゃぁ、無理矢理?』
『ち、違います。毎晩、彼女を鍛えているだけです。俺より先に、ウィステリアお嬢様を護れるようになりたいと言われたので。確かに、俺一人では足りない部分もあるかと想い、彼女の提案を受け入れました』
慌てたようにそう言って、彼は頭を下げた。
『……ごめんなさい。勘違いをしてしまいました』
『いえ、彼女の言い方が良くなかったと思いますので。俺もビックリしたし――』
本当よ。私だってルーチェと彼は……とまで思ったくらいだし。それに、彼が現れてからのルーチェは、ずっとソワソワしているし。
『でも……まさか、ルーフェルムが私に影を付けていただなんて』
『いえ、違います。主がです』
『じゃぁ、ルーフェルムに聞くわ』
『えっ。聞かないで下さい』
顔面蒼白で焦ったように言葉を返す彼の瞳が揺れ動く。
その姿に、ちょっと虐めすぎちゃったかなと反省する。
『ごめんなさい。貴方の仕事の話をしてしまいましたわ。どっちみち、戦争に出征したルーフェルムとは何年も会っていないから言いようもないしね。……まぁ、ルーチェと貴方が先生と生徒って感じだと分かったわ』
『あっ、いや……』
『いや? って何?』
『彼女とは、清い交際をしていると言えばいいでしょうか……』
『へー。付き合ってはいるんだ』
『はい。彼女が成人したら主に報告し許しを得てから、ウィステリアお嬢様の承諾を得たいと考えておりました』
『真面目なのね。それで? 何の許しを得たいの? 交際?』
『結婚です』
『ふぅーん。そう。ルーチェが結婚するのに、私の承諾は必要ないわよ。彼女がしたいときにすればいいわ』
『……しかし』
『ルーチェは、私の家で雇っている侍女よ。奴隷じゃないわ。だから、誰のものでもないし彼女の人生は彼女のものよ』
いいな。ルーチェの彼は真面目で優しそうな男性で。顔もカッコいいし、スタイルも抜群だし。でも、職業が……か……。まぁ、全て揃っている人なんかいないだろうけど。
『ウィステリアお嬢様、酷いです!』
突然、横から顔を出したルーチェにビックリして心臓が止まるかと思い胸を押さえる。
『……ちょっと、私を殺す気? 心臓が痛いわ』
『ウィステリアお嬢様が死んだら胸に穴を開けて、私の心臓と交換するので大丈夫です』
おいおい、それじゃぁ二人とも死ぬわ。
『お嬢様の為に日々努力をしてきたのに……私の人生は私のものではありません。私の人生はウィステリアお嬢様に捧げたのですから』
『――はい?』
いつの間に、そんなことになっていたのかしら? 『人生を捧げた』だなんて、ルーチェはこんな女性だったかしら? かなり重い告白だわ。全く以て嬉しくない。
『ルーチェ、私には重すぎるわ』
『では、食事を5食から3食に減らします』
『はぁー、噛み合ってないわよ』
『……? 上下の全ての歯がバランス良く接触しているので、噛み合わせは良いはずです』
――だから、話が噛み合ってないんだってばー!
だからといって、この流れでは意に沿わない返事を返したら、後々面倒臭くなるだろう。頑固というか……一本気と言えばいいのか……。
『ルーチェ。嬉しいわ。でも、だからこそ早く彼とラブラブになって結婚してくれるかしら?』
『私にウィステリアお嬢様の傍を離れろと言うのでしょうか?』
『ち・が・う・わ・よ! 二人が結婚すれば、もし私が公爵家に嫁いだとしても一緒にいられるわ。彼は公爵家の人のようだから。それに、ルーチェに子供が生まれたら、私の子供と一緒に遊ばせることが出来るわ』
といっても、今のところ公爵家に嫁ぐとは限らないけどね。嫁ぎたくないし。なるべく回避したいところだけど。
『嫁いでも、侍女でいられる……』
『そうよ。それに……ルーチェは、彼が好きでしょう? ちょっと見ただけでもルーチェの気持ちが分かるわ。大丈夫、ルーチェの1番が2人いるだけよ。彼と私、どちらも大好きなのよね』
『……はい。どちらも大好きです』
よし、話は終わったわ。ルーチェの将来は、見えない彼に任せればいいわね。彼女には幸せになってもらいたいし。そんな相手がいて良かったと胸を撫で下ろすことが、こんなに早く出来ると思ってもいなかったけど。
本当なら、普通の幸せな生活を送れるような男性の方が、と思っていたのだけど。……彼女自身が選んだ相手となら幸せになれるのだろう。
しかし、ルーチェの私に対する想いがこんなに重いとは知らなかった。彼女の行動はいつも斜め上を行く。
願わくば、先の分からない私の侍女なんか続けてほしくはない。彼女は、弟妹の為に頑張って生きてきたようなものだ。その為、これからは自分の幸せも考えてほしいと想って、短期間に出来るだけ多くの知識を詰め込ませたのに。
まさか私との先の未来を考えていたとは驚きだ。これから先、何か起こったとして……彼女を巻き込みたくはないが。
……ルーチェが好きになった男がなぁー。ルーチェはイケメンが好きなのね。私もだけど……。
そう思うと、ルーチェを我が家に連れてきた私の責任も考えなくてはならない。
自分だけではなくルーチェも危険から回避できるように何か策を練らねば。
(……あっ、そうだ! あれだ!)
小説の中で一度だけ登場した武器があったことを思い出す。……ウィステリアのお腹に穴を開けたものだから思い出したくはなかった代物だ。
ただ、この武器を作るためには……私自身が無一文となる可能性がある。まぁ、命の方が大事だもの。生きてさえいれば……いや、しかし……。
生きて行くには、お金も大事なんだよねー! それならば、稼ぐしかないか――。
しかし、これにはルーチェの協力が必須になるわね。その前に、私の全財産が幾らあるのか調べてからになるかな。将来逃亡するかもしれないからと頑張って貯金してきたけど、多分全く足りない気がするわ。
前世で転生した話を何度か読んだことはあるが、全財産を使ってまで死を回避するなどこんなに用意周到な転生した人物は私以外いないだろう――。
お読み下さりありがとうございます。
誤字脱字がありましたらごめんなさい。




