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第2話

 成り行きとはいえ、男性についてビジネスホテルの中に入って行く。男性は慣れたようにエレベーターに乗ると、すぐに十五階のボタンを押す。

 両手でトートバッグを抱きしめるように持ち、無言で歩く男性の後に続いてエレベーターに乗る。エレベーターの扉が閉まるとようやく男性は話しかけてきたのだった。


「先に言っておきますが、私は出張でこの県に来ています。普段は他県に住んでいまして」

「はあ……。そうなんですか……」

「仕事が終わって、ホテルに帰る途中、あの橋を通ったら、今にも橋から飛び降りそうな貴女が居たので声を掛けました。ここに連れて来たのも、あのまま貴女を帰したら、また死にそうだったからです。それ以外の他意はありません」


 もしかして、犯罪に巻き込む気はないと宣言しているのだろうか。後から訴えられたり、問題になったりしないように。

 それを聞く前に、エレベーターは十五階に到着したので、私は男性に続いて、エレベーターを降りたのだった。


 男性が部屋の鍵を開けると、壁際のスイッチを押して照明を点ける。

 男性の後に続きながら入り口近くの左側の暗い部屋を覗くと、浴室になっているようで、ユニットバスとトイレ、洗面台があった。洗面台に取り付けられた鏡には、みずぼらしい格好をした私の姿が映っており、自然と目を逸らしてしまう。

 奥の部屋に行くと、室内はベッドと書き物机、テレビ、電気ポットやカップ、アメニティ類があるだけのよくある部屋だった。


「どこか適当に座って下さい」


 男性に勧められるが、ベッドの上には脱ぎ捨てられた服があり、書き物机と書き物机に備え付けの椅子の上には書類が広げられたままだった。どこにも座る場所がなく、私は所在なげに立ち尽くしてしまう。

 すると、私の様子に気づいた男性が、ベッドに置いていた服をテレビの前に置いていたスーツケースの上に適当に置いて、場所を作ってくれた。

 私がベッドの端に腰掛けると、男性は湯気が立った濃い緑色の液体が入ったカップを渡してくる。


「緑茶です。これで身体を温めて下さい」

「ありがとうございます……」


 私は息を吹きかけるが、中に何か入っているのでは無いかと思い、カップの中身をじっと見つめる。そんな私の意図するところに気づいたのか、カップに口を付けていた男性は「緑茶の粉末以外、何も入れていません」と断言したのだった。

 恐る恐るカップに口を付けて一口飲む、確かに中身は普段飲み慣れた緑茶であり、ようやく私は一息吐けたのだった。


「そろそろ事情を伺ってもいいですか。何故、あんな危ない真似をしたのか」

「それは……」

「申し遅れましたが、私はこういう者です」


 男性はカップを置くと、上着の内側に手を入れる。鈍く銀色に光るやや年季の入った名刺入れを開けると、中から一枚名刺を取り出した。

 そのまま名刺を渡そうとするが、カップで両手が塞がっている私を見かねたのか、私の膝の上にそっと名刺を置いてくれたのだった。


「弁護士さん……」

「弁護士の若佐楓(わかさかえで)と言います」


 名刺には名前の他に事務所名と事務所の住所、主に担当している業務分野が書かれていた。名刺に書かれた事務所の住所によると、男性――若佐先生は隣県にある弁護士事務所に所属しているらしい。主に担当している業務分野の欄には、交通事故と書かれていた。

 若佐先生は椅子の上に乗っている書類をどかすと、椅子を持って、ベッドに近づいてくる。


「温かいものを口にして少しは気分が落ち着いたでしょう。そろそろ事情を話して下さい。まあ、無理にとは言いませんが……」


 名刺から顔を上げると、若佐先生は銀縁眼鏡の位置を直していた。改めて蛍光灯の明るい室内で見ると、皺一つない黒のスーツも、よく整えられた黒の短髪も、いかにも弁護士といった姿であった。

 切れ長の黒目も、目に掛かる長い睫毛も魅力的であり、端正な顔立ちをしていた。会社にいたら、さぞかし女子に持て囃された事だろう。

 そんな事を考えていると、若佐先生はじっと私を見つめてきた。一瞬だけ心臓が高鳴るが、すぐに静かになる。


「わ、分かりました。話します。つまらなかったり、気分が悪くなったりするような話かもしれませんが……」

「それを決めるのは貴女ではなく私です。……貴女は気にせず、自分の事情を話して下さい」


 ピシャリと言い切った若佐先生に、私は臆しそうになるが何度も頷く。


「きっかけは、今年の夏あたりから。私、四月に今の会社に入社したばかりなんです。それで今の職場に配属になって……」



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