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動乱群像録 30

「御大将……どないしはりました?」 

 明石はじっと碁盤を覗き込んで動かない司令官の赤松忠満を見つめてそう言っていた。あまり上下の隔てを面白く思わない西園寺派の将校らしく、赤松も時間ができるとこうして艦内を見て周ることが多かった。そして碁の腕前が同じくらいの明石とはこうして囲碁を楽しむこともあった。

「ああ、あかんな……気になることは色々あるけど……なあ」 

「貴子様のこととかですか?」 

 隣で観戦していた楓の言葉に思わず頭を掻くのがいかにも赤松らしかった。緻密な戦況分析で艦を動かして輸送艦隊を逃がすことを得意とした猛将のもう一つの顔、恐妻家としての赤松がそこにいた。

「通信ですよ」 

 帽子と共に置いた端末が震えているのを楓が指差す。赤松は碁盤を見つめたままそのスイッチを入れた。

『司令……帝都から通信ですが』 

「帝都?もう清原はんが制圧しとるやろ?どこのアホが……」 

『言いにくいのですが奥様からです』 

 通信兵の言葉に思わず顔をしかめる赤松。仕方なく明石は碁盤を横にずらした。

『あなた。その様子だと遊んでいましたね』 

 冷たい氷のような表情に赤松は思わず苦笑した。その様子はあまりに滑稽で明石も楓も静かに上官の観察を始めることにした。

「これも仕事のうちや。部下の気持ちも分からん指揮官についてく兵隊なんぞどこにもおらんわ」 

『言い訳はそれくらいにして……恭子さんがまた倒れたそうですわ』 

 貴子の一言に赤松の表情が揺らぐ。緻密な計算機のような戦術家の突然の豹変に明石は少しばかり驚きを覚えた。安東恭子。赤松の妹であり、先の大戦で兄二人と母を失った赤松の唯一の親類なのは艦隊でも有名な話だった。

「そうか……ありがとうな」 

『何かあったらまた連絡させてもらうわね』 

「ええて……アイツも武家の娘や。自分のことは自分でするもんや」 

 そう言いつつ赤松の表情はこわばっているのを明石は見逃さなかった。

『それではこれから要さんが西園寺卿を迎えに行くそうなので切りますわ』 

「ああ……」 

 表情を変えずに戦地に赴く夫の通信を切る貴子。明石は静かに碁石をつかんでいる赤松に目をやった。

「ええんですか?帝都……すでに清原はんが制圧済み。場合によっては……」 

 明石の言葉に一度天を向き涙をこらえる。赤松の時に見せる直情的なところがまともな経歴を持っていない明石には好感が持てるところだった。

「そないなこと貴様が気にせんでええんや。それよりついに動いたな……」 

 そう言うと赤松は立ち上がる。その瞬時に締まった表情に明石と楓は表情を変えた。彼らばかりでなく、このパイロット控え室にいる全員が一つの意思にまとまったように赤松を見つめる。

「ワシはブリッジに上がる。タコ、パイロットを集めてや」 

「は!」 

 赤松の一言にすぐさま敬礼して明石は部屋を飛び出した。従卒扱いの楓も彼の後に続く。

「魚住中佐は確か仮眠中です。黒田少佐は……」 

「全員叩き起こしたれ!グダグダ言うたら外におっぽり出す言うてな」 

 その明石の言葉ににこりと笑うとそのまま士官の個室へと走る楓。明石はそのままハンガーへと駆けつける。

「いよいよか!」 

 ハンガーに向かう廊下の待合室には別所がコーヒーを飲んでいた。それを見て立ち止まった明石は大きく頷く。周りのつなぎやパイロットスーツを着た将兵達も大きく頷きあう。

「いよいよ出番だな……言ったろ?死ぬにはまだ早いってな」 

 巨漢の明石の肩を別所が大きく叩く。だがようやくここに来て明石はことの重大さを感じて足が震えるのを感じていた。

「これで勝たなあ……」 

「逆賊だな。士官クラスは全員斬首か切腹か……」 

 そう言って笑う別所を憎らしげに見下ろしながら飛び起きてきたらしい魚住と黒田を振り返る明石だった。

 そんなやり取りの中、戦艦『播磨』に待機しているパイロットや技術兵達がハンガーに集まる。誰もが覚悟を決めたような表情を浮かべる中で明石達の妙に慣れた感じの言動は奇異に見られているようで、敬礼をしながらも不審そうな表情が明石の目に付いた。

「なんや……みな葬式みたいやで」 

 声をかけてみるが緊張した雰囲気は変わらない。そっと視線を落としてみれば楓も少し緊張したような表情で明石を見上げている。

「明石隊長は気にならないんですか?」 

 楓の言葉が震えていた。明石はそこでようやく自分が緊張していないことに気が付いた。

「今回は生還できるかもしれんやろ?死にに行く訳や無い。勝ちに行くんじゃ」 

 そう言って楓の長い黒髪をなでる。いつもなら猛然と講義してくるはずの楓の表情がまだ硬かった。明石は周りを見回し、安全第一と書かれた壁面の隣につるされた白い額を指差した。白い額にはあまり上手とは言えない筆文字で『至誠』とだけ書かれていた。

「ええか、ワシ等軍人はあそこにあるように誠に至る道を探すだけや。他の事は政治家さんにおまかせ。ワシ等のできることはただ誠で敵に当たること。それだけ考えておいたらええねん」 

 明石のその言葉に楓も赤松直筆の額に目をやる。その様子を別所達はニヤニヤしながら眺めていた。

「こうしてみると親子じゃねえか」 

 そんな魚住の軽口も軽く笑って無視する二人。別所はそれを微笑みながら見ながら集まり始めた兵卒達をまとめようとハンガーの中央に向かう。

「全員整列!これから赤松司令からの訓示がある!」 

 別所の張り上げた言葉にあちこちで固まっていた兵士達がそれぞれの部隊ごとに並び始めた。明石や魚住、黒田達もその部下達の顔を見つけては呼び寄せる。次第に兵士の群れは列となり、先頭に明石、魚住、黒田らのアサルト・モジュール部隊の隊長や整備班長、技術部長などの士官が部下達をまとめて並ばせる。

「それではしばし待て!」 

 別所のその言葉にハンガーは沈黙した。そしてそれを図っていたように彼の背中に大きく広がったモニターには赤松の姿が浮かび上がった。

『総員に告げる!』 

 赤松の珍しい標準語アクセントの演説に全員がモニターに目を向けた。鋭く光る眼光。いつもの上下の隔ての無い気さくな指揮官の面影はそこには無い。明石もじっとモニターを見つめ続けていた。

『清原准将貴下の部隊が現在帝都を占拠して我々の後方に進軍してきていることは諸君も承知していることと思う。いや、今回の作戦が立案された時点で彼等がそれをもくろんでいたのは私も君達と同じく承知していることだった』 

 静かに周りを見回した明石の目には頷く兵達の姿が見えた。

『彼等は貴族制こそが胡州を胡州たらしめていると言う。だがそうだろうか?胡州に生きる人々の中で貴族の称号を持つのは1パーセントに満たない。代々職業軍人や管理職を優先的にあてがわれる武家と合わせても5パーセントを超えるかどうかと言うところだ。それだけの人物が胡州を胡州たらしめているのか?私ははなはだ疑問だ』 

 その言葉に頷く隊員達。彼等も多くは武家の出身だが、平民出の隊員も多い。上流貴族の出でありながら隣に立つ嵯峨楓も赤松の言葉に頷いていた。

『胡州を胡州たらしめている1パーセントの人々の為に軍を動かす。これは正義と言えるだろうか?これが誠と言えるだろうか?少なくとも私はそうは思わない。また、そうして政権を力で奪取することが正義だとはとても信じることができる話ではない』 

 赤松はそういった後、静かに手元にあったコップから水を飲む。いつもならこう言う時には茶々を入れる魚住もただまっすぐとモニターを見つめて赤松の次の言葉を待ち続けていた。

『彼等が1パーセント、多く見て6パーセントの人々の為に軍を動かすなら我々は残りの九十四パーセントの人々の為に軍を動かす!幸い濃州に関することだが、越州軍は攻略を断念して補給のため動けずにいる。ここで我々が決起部隊へと矛先を向けても濃州の安全は確保できる状況にある。つまり我々の敵は唯一つ。清原氏の私兵だけだ』 

 誰もが黙っていた。だが明石も兵達がこの瞬間を覚悟し、待ち構えてこの艦隊の出撃に加わっていることをこのわずかな瞬間で理解した。

『清原氏の手勢は弱くは無い。君等と同じ胡州軍の厳しい訓練を乗り越えた猛者達だ。ただ、それは相手とて同じことだ。我々をそうやすやすと挟み撃ちにして殲滅できるとは思っていないだろう。だが、彼等の大義はわずか6パーセントの人々の大義だ。それに対して我々の大義は九十四パーセントの大義。義は我等にある!そのことはこれから決戦に挑み、それに勝利するまで忘れないでいてもらいたい』 

 そう言って静かに赤松は敬礼をした。ハンガーの兵士達はモニターに向けて敬礼をする。明石もいつの間にかそんな兵達に合わせて敬礼をしていた。


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