動乱群像録 15
清原和人は拳銃を手にしながらひたすら走り続けていた。
バラックの立ち並ぶ闇市。帝都でも少し郊外に行けば先の大戦の爆撃で更地になったところが数知れず広がっていた。そしてそこには破壊されて居住不能になったコロニーの住人達の難民キャンプばかりが目に付く。そんな貧しい街には用は無いのだが、基地へ向かう途中で武装した集団に囲まれ逃げ出し、このような場所へと追い詰められていた。視察に同行したSPや彼の従卒はすでに彼等テロリスト達の銃弾でこの世から立ち去っていた。
『波多野さんのことばかり考えいているからこうなるのかね』
つい自虐的な考えが回ってきて息を切らしながらも口元に笑みが浮かぶのを感じていた。
すでに事態は暴力の応酬へと向かっている。それは以前の正親町三条邸の会談の時にはすでに自覚していた話だった。事実、下町探訪を趣味としている西園寺基義は帝都の自宅から一歩も出ず、その邸宅の付近には私服の西園寺派の軍人や警察官が張り付いてハリネズミのように武装しているのは知っていた。
元から下級貴族の出、保科家春と言う酔狂な政治家に拾われなければ良くても少佐になれれば奇跡だったろう。そしてそれならばぎらぎらした視線で帽子を失い、ひざに転んだ時の泥がたっぷりとついた准将の制服を着たまま難民達から白い目で見られながら逃げ惑う今の自分は無かった。
『追え!逃がすな!国賊め!』
清原を襲った西園寺派の過激分子と思われる海軍の制服の士官達の声が遠くに響く。
『今……死ぬわけにはいかんのだ。今は……』
米屋のトタン屋根の脇を抜けて倉庫と呼ぶには粗末過ぎる建物の脇でようやく人目から離れることができて安心したように清原は柱を背に座り込んだ。
『探せ!時間が無いぞ!』
相変わらず市場の雑音に混じって響く襲撃者の激。清原は手にした銃の薬室に弾が入っていないことに気づいてスライドを引いて弾を装填した。
『もはや保科卿の死は時間の問題だ。こちらも波多野首相暗殺を見るように過激な分子の制御は不可能だ……どうなるんだこの国は……』
自分や彼の主の烏丸頼盛が始めたはずの西園寺派との政争は二人の思惑から外れた次元へと移ってしまった。そしてその争いはどちらかが斃れるまで続くことも、憲兵隊の到着を知らせるサイレンを聞いて声を潜めた西園寺シンパの襲撃者達を見るまでも無く分かっていたことだった。
「清原将軍!ご無事でしたか」
憲兵隊の下士官が小銃を手にしながら倉庫の隅の穴から身を乗り出して声をかけてきた。
「ああ、なんとかな」
そう言うと一代貴族とは言えいつもの貴族であると言う自覚が立ち上がる自分に生気を与えてくれるのを清原は感じていた。そして一息つくと周りを眺めながら立ち上がった。
額から流れる血。それをぬぐうと自分が難民達から冷たい目で見られていることを改めて実感した。そしてすぐに擦り剥いた膝から流れる血で汚れているズボンを払うといつもの自分を取り戻していた。
「没収だ!この区域での食品の売買は禁止されているはずだ!応援を呼べ!摘発するぞ」
大通りから救護に来た憲兵隊の隊長らしき男が手のサーベルを引き抜いて闇屋に群がる市民達を威圧している。彼の部下達は背に山のような食料を背負った帝都から来た市民らしき男女から荷物を没収していた。
「あれは何とかならんのか?彼等も食うために必死なんだ……それに……」
「いえ、例外は認められません。すべて没収し焼却処分にします!」
清原が肩を貸してくれた下士官に声をかけたがその返答は残酷なものだった。
『どうせ焼却処分といいつつ横流しをするのだろうな……だがそれでも秩序は守られなければならないんだ。汚れていたとしても……たとえその手が泥にまみれていてもこの国には強力な秩序が必要なんだ……』
次々と闇市の物品を応酬する憲兵隊の手際を見ながら清原はそう思って唇を強く噛んだ。