動乱群像録 14
敗戦と復興で持ち直したのがうわべに過ぎないことはこの帝都でも路地に迷い込んでみればすぐ分かる。別所にもらった地図を見ながら明石はこの路地を歩きながら去年まで肩で風を切って歩いた芸州コロニーの闇市を思い出して歩いていた。後ろからついてくるのは是非との意向で部下達を代表してついてきた楓がきょろきょろと辺りを見回している。
『それなら民派の軍人の秘密裏の会合があるから……行ってみるか?』
怒鳴り散らした明石に飽き飽きしたと言うような表情でプリントアウトした地図を手渡しが別所の渋い表情が頭を掠めた。
「なんや、珍しいんか?」
街の雰囲気にかつての芸州のドヤ街を思い出してリラックスしている明石を緊張した面持ちで見上げて無言で頷く楓。だが、明石は民派の会合の場所とされた寺に向かって歩みを速めた。きな臭い世の中。通り過ぎる人々も海軍の制服を着た二人をわざとらしく無視している。
明石もかつてはそうだった。
戦争と言う天災に近い出来事で人生そのものを棒に振った気持ちで、ただ地べたを這い回るしかないなどと自分を慰めながら同じ境遇の者同士で寄り集まるのは負け犬だったかつての自分。やっかみと羨望で軍人や官僚達を持ち上げてすごしていた時代を思い出して明石は苦笑いを浮かべた。
「あそこに墓地が見えますよ」
楓がそう言う前に嗅ぎなれた線香の香りに明石は気づいていた。路地を行きかう闇屋や担ぎ屋ではない参拝客を目にするようになると、古びた本堂の伽藍が目に入る。周りのバラックと比べれば確かに瓦がきちんと並んでいる屋根は別世界の建物に見えた。だが墓には雑草が見え、塀は破れ、塔婆が散らかっているのが見える。
「荒れてますね。こんな……」
「そないな顔せんといてな。貴族相手の寺やったら別やけど今はどの寺も今はこんなもんやで」
そう言いながら明石は破れがちの塀に沿って門を目指す。門には背広の男が立っており、明石の顔を見ると黙って道をあける。
「大丈夫なんでしょうか」
楓が言うのも当然な話で、男の左胸には膨らみがあり、そこには銃が隠れているのは間違いが無かった。門をくぐると寺の荒れ方がかなり本格的なことに気づいた。襖はつぎはぎで覆われ、柱には大きく傷跡が見える。
そうして入り口には今度は陸軍の制服を着た下士官がライフルを構えて立っている。
「ご苦労さん」
そう言って明石が頭を下げると下士官は戸惑うように笑った後、奥を覗き込んだ。見慣れない陸軍士官がきびきびと歩いてくる。
「明石清海少佐ですね。それと……」
「正親町三条楓曹長であります!」
直立不動の姿勢で敬礼をする少女に微笑んだ陸軍中尉は敬礼を返す。
「靴を脱いで上がってください。あと、出来るだけ下を見ながら歩いてくださいよ。床が傷ついているので下手をすると靴下をだめにしますから」
そう言って靴を脱ぐ二人を眺める中尉。警備の下士官は二人の靴を横に片付ける。40足以上の靴が並んでいるところから見てそれなりの規模の集会であることは分かった。明石も奥に消えようとする中尉について薄暗い寺の屋根の下を歩いた。
「来たか!待っていたぞ」
満面の笑みの魚住。黒田の顔も見える。本堂には他にも海軍や陸軍の中堅士官達がスルメをつまみにして酒を飲んでいた。
「君が明石君か。話は聞いているよ」
そう上座から声をかけてきたのは写真では何度も見たことのある人物だった。
「これは醍醐少将!」
明石は身が固まるのを感じた。だが、醍醐文隆陸軍少将は明石が連れてきた楓の方に目が行くと突然立ち上がり楓の前に額づいた。先の大戦では参謀としてアフリカ方面戦線で活躍し、遼南軍の崩壊にあわなければ要衝モガディシオを陥落させたとも言われる人物である。しかし醍醐の視線が隣に立っている楓に動くと急変した。
「これは姫様!申し訳ございません!」
突然の醍醐の懺悔に硬直したままその禿かけた頭を見つめる楓。彼女は視線で明石にどうしたら良いか訪ねてくるようなそぶりを見せた。
「ああ、将軍。頭上げてくださいよ。コイツはワシの部隊の代表で来とるだけなんで」
明石がそう言っても醍醐は頭を上げようとしない。
「醍醐さん。いつも父上が迷惑をかけています。こんな状況になったのも……」
「いえ!私の独断で未来ある若者達に危険なことをさせているんです!これは……」
「醍醐さん!」
凛と響く楓の声が本堂に響く。苦笑いを浮かべながら土下座する醍醐を見つめていた同志達はその声に呼び起こされるようにして立ち上がった。
「同志の一人じゃないですか!あくまで我々は胡州の変化を作り出すべく立ち上がったんです!」
「そうだ!家柄など無意味!」
「志を持っているんだ、歓迎するよ」
彼等はそう言って楓に握手の手を伸ばしてくる。自分の言葉が呼んだ状況だと言うのに戸惑うように明石を見つめた後、それぞれの手に握手を返す楓。
「将軍。頭を上げてください」
一通り握手が終わると、楓はまだ頭を垂れている醍醐の肩を叩いた。醍醐はゆっくりと立ち上がり上座に戻って皿の上のスルメを手に取る。
「隊長。これは?」
楓は珍しそうにスルメを眺めている。
「ああ、酒のつまみやけど……ああ、ワレはあかんで。酒のつまみやさかい」
そう言うと明石は楓からスルメを取り上げて自分の口に運ぶ。
「いいじゃないですか、酒じゃなくてスルメくらいなら」
隣の髭面の海軍大尉がそう言って笑った。どちらかと言えば酒で何とか先日のテロへの怒りを静めていると言う血の気の多い面々と比べると一回り上の年齢で落ち着きを感じる姿に明石は好意を持っていた。
「その部隊章。濃州ですか?」
楓の声に髭面の男は明石越しににんまりと笑顔を浮かべて楓を見つめた。
「ああ、濃州だが。斎藤一実大尉だ。濃州分遣艦隊でアサルト・モジュール隊の教導を担当している」
そう言って手を伸ばす斎藤。明石がゆったりと周りを見回すとリーダー格の醍醐の次ぐらいの年齢でこの場の将校達と比べると二回りは年上であることがよく分かった。
斎藤の言う濃州は胡州のアステロイドベルト開発の拠点とされるコロニー群であり、その領邦領主は先の大戦の海軍を代表するエースとされた斎藤一学中佐を擁していた。彼が戦死した後は女性の領主が立っているはずだった。
「ああ、誤解するなよ。俺も斎藤一門だが庶流だ。と言っても本当は洋子様もこの場に同席される予定だったがこのご時勢だ。俺が名代と言うわけだ」
そう言うと斎藤はどっかりと本堂の床に胡坐をかく。明石もその隣に座るが、楓は胡坐のかきかたが分からないように何度か足を組みなおした後、諦めて正座した。
「おい!誰か座布団を!」
そんな斎藤の一言で魚住がはじかれたように走り出す。その様子に笑みを浮かべながら斎藤は目の前の酒を飲み干した。
「これで全員だな」
魚住が走り出したのを見てタイミングを計るように奥の部屋から出てきた別所が立ち上がる。その様子を見て集まった士官達は醍醐の方に頭を向けた。
「同志諸君!残念なお知らせはご存知だろうが波多野卿が凶弾に倒れて一週間が経った。警察は烏丸殿に遠慮して捜査らしい捜査もせず、テロリストは野放しにされている」
この別所の言葉に多くの士官が頷く。
「こうしている間にも、烏丸殿の作った貴族制擁護、官僚擁護の法案に触れるとして多くの志を同じくする人々が囚われ、殺されている現状を我々は看過することが出来ずにこうして集まったわけだ」
その別所の言葉でこの場に上官であり一番の民派と呼ばれるようになった西園寺派の領袖である赤松がいない理由が明石にも分かった。これはクーデター計画を練るための会合であると。
見れば士官の中には陸軍のレンジャー部隊、海軍の陸戦隊や空挺部隊の部隊長の顔も見て取れて、これから話し合う内容が要人略取や施設占拠を目的とする作戦行動を目指すと言うことが読み取れた。
「これも清原将軍を討ち取れば話が済むんじゃないか!」
末席ですでにかなり酒が入って赤い顔をしている海軍陸戦隊の少佐が叫ぶ。さすがに極論だと言うように周りの士官達は冷ややかに笑った。
だが、一人楓だけは静かに頷いていた。
「おう、姫様は分かるんだな!」
そんな楓を見つけて不器用な笑顔でにじり寄ってくるその男を睨み返す楓。
「はい、この場で酒を飲みすぎて正気を失うような同志の発言は無視した方が良いことは分かります」
はっきりと言い切った楓の言葉に同志達は拍手と笑いを送る。陸戦隊の少佐は頭を抱えてそのまま席に戻った。
「実際我々が動くか、それとも彼等が動くかは情勢によるわけですが、波多野卿の無念を晴らすためにもそれぞれが同志を募り、策を練り、機会をうかがうべき時であると……」
別所がそこまで言ったとき、杯が砕ける音が響いた。
それは明石の隣の斎藤と言う海軍大尉が床に杯をたたきつけた音だった。
「君達は馬鹿か?」
その一言に場は一挙に緊張した。明石も魚住や黒田の顔に殺気が走るのを見て身構える。
「馬鹿?馬鹿とは聞き捨てなりませんなあ!」
海軍大尉の階級章の男が立ち上がる。それを見ても斎藤はうろたえずに座ったままで彼を見つめる。
「今現在、この胡州をめぐる状況をどうお考えなのか皆さんにお聞かせ願いたい!」
一瞬盛り上がった怒りが急に衰え始めた。黙って周りを眺める明石の目にもその言葉が血気にはやる者たちに十分な打撃を与えるに足る言葉だとわかった。そんな明石を見つけた斎藤は言葉を続けた。
「確かに一撃で倒せる相手ならいざ知らず、今事を起こせば間違いなく胡州の植民コロニーをめぐった大騒乱になることは確実だ。そうなれば先の大戦の傷が癒えないこの国は地球や同盟諸国に切り取られることにもなりかねない。事実、遼南の東海州は嵯峨殿に切り取られたではないか!」
東海州の事象が効果的にこの場の将校達に冷や水を浴びせた。第三惑星の崑崙大陸東部の飛び地である東海州は胡州貴族に列する花山院家の領邦であったが、遼南皇帝ムジャンタ・ラスコー、胡州名嵯峨惟基の姦計により切り取られ遼南帝国領にされたのは否定のしようがない事実だった。
「ゲルパルトの独立戦争をめぐり、地球と対立関係にある我が胡州で内乱が起きる。それを待っているのはなにも地球圏の列強ばかりではないということをお忘れいただいては困る」
そう言うと斎藤は手にした一升瓶に口をつける。
「では、斎藤さんはどうこれからの道のりを考えるおつもりですかな」
そんな醍醐の言葉に場の将校達の視線は斎藤に向いた。隣でスルメを口にくわえていた楓が斎藤を見ているのに気づいた明石も自然と隣の中年士官を見つめた。
「なに、時代は我々に風が吹いていますよ。東和も遼南も大麗もこの国の民主化を望み、国民もそれを望んでいる。腐った貴族制は自然に崩れる。それまで国を支えていれば自然と時は満ちるものだ」
そこまでいうと再び斎藤は一升瓶を傾ける。だが青年将校達は納得する様子は無く鋭い視線を斎藤に浴びせている。
「根拠は?どこにそんな根拠がある!」
「弱腰ですなあ!濃州はいつこんなに弱腰になられたのか!」
「老人の出る幕ではない!」
叫ぶのはどれも明石より年下。先の大戦を経験したことがないであろう若い士官達だった。さすがに彼等の勢いについていくことは出来ずに魚住も苦笑いを浮かべながら場を眺めていた。
斎藤は黙って酒を飲み続ける。そこに楓が自分に渡されていた杯を斎藤に渡した。
「おう、姫様。いかがお考えですか?」
静かな斎藤の一言。それを聞くと急に青年士官達は黙り込んだ。
「そうですね。波多野様を暗殺計画を策定したと自首してきた陸軍将校は完全黙秘していますがすでに烏丸一派であることは分かっていますから。我々が動けば私怨としか国民は見てくれないでしょう。さらに政治に暴力を持ち込んだことで官派の信用は国際的には低下しています。ここは耐えてみせるのが得策だと思います」
冷静な楓の言葉に場が静まる。青年士官達は小声でささやき会った。
そんな中、明石は醍醐に視線を向けていた。平然と自分を慕う若者達の議論を聞き入っていた殿上人は何も言葉を吐くつもりは無いというように黙り込んでいる。そしてその隣では別所が満足げに楓の言葉に頷いていた。
「ワシは……難しいことをいうつもりは無い」
たまらずに明石は自然と口を開いていた。
「ただ……」
周りの空気がピンと張りつめて明石の言葉を待っていた。その空気に呑まれて一瞬言葉を躊躇するがすぐに明石は気を落ち着けた。
「水がよどめば腐るものですよ。そんなところで魚は飼えない。この国の貴族制度、国家体制がよどんだ水のようなものだと思って皆さんはこの場に集まったのだと思う」
柄にも無く標準語を使おうとして見せるだけアクセントがいつもの関西弁に近づくのに気づきながらも明石は言葉を続けた。
「ワ……いや、私も貴族制度の恩恵を受けてきたのは事実だ。復員してからそれなりに食えたのも貴族年金のおかげ、闇屋を始める手付金もそれで出しました。でもほとんどの復員兵が金も、いや明日の食にもありつけない状況だったのは皆さんもご存知だと思う」
そこまで言って明石は言葉を止めた。周りの同志達は皆それなりの階級に生まれてきた者達である。彼等は庶民の困窮を『見た』と言うがそれがどの程度のものなのかは明石も想像が付いた。
メディアが両派のプロパガンダ機関に成り下がっていることは誰もが知っていた。そんな中で時折見かける上辺だけの民衆の困窮と同志からの根拠の無い噂話。どちらも闇屋で生きてきた明石からは噴飯モノのたわごとばかりだった。
「だったら変えれば良いじゃないですか!」
明石の沈黙を破る海軍兵学校の制服を着た少年。
「変える?明らかに足りないものだと言うのに……変えれば一皿の団子が二皿になると言うんですか?」
自分でもアクセントがかなりおかしくなっていることは知っていたが、明石は口調を変えずに関西のアクセントのまま話を続ける。
「この国を変える?大いに結構。血のつながりで能力無視で採用された役人、親から領地を引き継いでは見たものの管理も出来ない領主、地盤を引き継いだことだけでいつまでも大臣の椅子にしがみつく政治家。それらのはしごをいっぺんに外す?さぞ爽快だとは思いますよ」
開き直ってそう言いきる明石。同志達はとげとげしい視線を彼に向けた。
「だが本当にそれで変わるんですか?国家の持つ最大の暴力機関である軍を動かす。それで変えられるというが本当ですか?」
そう言って明石は手にしたコップの中になみなみと注がれた清酒を一気に飲み下す。そして明石の視線はこの席の主である醍醐の方に向かった。
「それなら明石君は座して死を待つつもりなのかな」
ぽつりと醍醐がつぶやくと座の青年士官達は大きく頷いてそのまま棘のある視線を明石に向けた。
「守旧派を打倒するって言うと綺麗なもんだ。だがそこで血が流れること。その中には我々が救いたいと思う人の血も混じることになる覚悟を君達はしているのかね」
斎藤が明石の言葉を引き継ぐ。そして彼の言葉で熱狂の中にあった青年士官達の心が冷やされていくのを明石は見つめていた。
「それが内戦と言うものだ」
そう言ってにこりと笑った斎藤は楓が注いだ酒の入ったコップを傾けた。
内戦と言う言葉。
それは場の雰囲気を変えるには決定的な言葉だった。血気盛んな将校たちも斎藤と明石の迫力の前に押し黙った。醍醐もまた上座で黙って酒をすすっている。
「内戦とか……そんなことは私達は……」
「じゃあ何がしたいんだ?テロか?政変か?格好は良いが力で捻じ曲げた現実はいつか跳ね返ってくるものだよ」
明石がたたみ掛けると言葉を発した眼鏡の海軍技術将校は押し黙る。
「状況を把握する。若いのには難しいのかね……」
杯を干した醍醐はそう言うと前のめりになって明石達ににじり寄った。
「確かにもう内戦は避けられないな。辺境コロニーじゃ小競り合いも始まってる。陸軍省にも事件報告が山のようにある。斎藤君。君の濃州も越州の城達とやっているじゃないか」
醍醐の言葉に思わず視線を落とし頭を掻く斎藤を見て明石は改めて国の現状を思い返した。
すでにいくつかのコロニーでは中央に軍籍を返還して帰郷、私財を投じて自警団を結成する動きがあるという噂は聞いていた。
「お嬢様は少し状況を楽観しているのは事実ですけどね。ただ俺達も黙ってみているほど甘ちゃんじゃないですよ」
斎藤はそう言って楓が差し出す酒瓶に杯を差し出す。酒が静かに注がれる。辺境コロニーの情報は下士官クラスには秘匿されていた情報だった。場が小声でのささやきあいに包まれ、緊張感が同志達に広がる。
「どうやら時間のようだ……すまないな別所君。できるだけ多くのシンパを集めることが第一。情報の共有が第二の課題だ。残念ながら保科老人のもたらした平和も一時的なものだったのが分かった今、態度を明確にしていない連中を一人でも多く囲ったほうが今回の戦いに勝つことになる。頼んだよ」
そう言うと醍醐は立ち上がった。場にいる士官達は立ち上がり、去っていく醍醐の背中を見送った。
「内戦か……」
明石がつぶやくのを周りの将校達が見つめている。それぞれの目に決意と絶望が写っているのを見て明石は昔の自分を思い出した。
『世間に顔向けできないことを始めようというときの面やで、あれは。まあ人さんには顔向けできへんやろな、こんな物騒な話』
そう思うと明石は一番にどっかりと腰を下ろした。
「どうだい、まだ飲みますか?」
斎藤はその正面に座ると徳利を差し出す。明石もニヤリと笑って彼に杯を差し出した。