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プロローグ 刀に刻みし記憶

「誠に、申し訳ございませぬ……!」


 炎に包まれ、焼け落ちてゆく城。小高い丘の上にそびえるその本丸の頂で、津賀(つが)蔵人(くらんど)藤真(ふじざね)は黒ずんだ木目の床に両手を突き、深く頭を垂れながら声を絞り出すようにして言った。


「我らの力及ばず、こうして落城を招く仕儀となりましたこと、心より……お詫び申し上げまする……!」


 右の頬に走った傷に、汗と涙が流れ込んできて沁みる。だが心の痛みに比べれば、そんなものは何でもなかった。


「泣くな藤真。そちの責めではない」


 主君がかけてくれた優しい慰めの言葉には、まだ変声期を迎える前の子供らしい響きが色濃く残っている。炎上する菊浦城(きくうらじょう)の城主・桐嶋(きりしま)湘斐守(しょういのかみ)高頼(たかより)は半年前に病で急逝した父・高秀(たかひで)の跡を継いだばかりの十歳の少年であった。


「信じていた家臣たちはほとんど逃げるか敵方に寝返ってしまった。最後まで忠義を貫いて戦ってくれたのは藤真だけだ」


「勿体ないお言葉にございまする……」


「これも乱世の定めだ。仕方ないさ」


 歳に似合わず達観したように、穏やかに微笑んだ高頼は棒のように硬直した右足を引きずりながら窓の傍までゆっくりと歩くと、敵軍の焼き討ちで火の海と化した城下町を見つめて悲しげに目を瞑った。


 慶宝(けいほう)三年――西方のアレクジェリア大陸の暦ではアレクシオス帝暦一五九二年とされる年の七月。高頼が語る通り、時は乱世である。


 東の島国・瑞那(みずな)を治める岐宮(ぎのみや)幕府の権威が衰え、各地の領主たちが互いに天下を目指して争うようになった戦乱の時代。瑞那の西の辺境に位置する湘斐国(しょういのくに)の大名・桐嶋(きりしま)家は、東隣の薩河国(さつがのくに)を領地とする熊沢(くまざわ)家の軍勢に攻められ、敗れて滅亡の時を迎えていた。


 十六歳の藤真にとっては、これが初陣である。必ず手柄を立ててみせると勇躍、太刀を振るって敵陣に突撃した藤真だったが、西国の盟主と名を取る熊沢勢は想像以上に強かった。待ち構えていた敵の大軍に三方から激しく攻め立てられ、藤真らの先陣は敢えなく壊滅。これが呼び水となって全軍の総崩れが起こり、数多の将兵を討ち取られて桐嶋勢は敗走した。何とか城に退却して立て籠もり、なおも必死に抗戦したが持ちこたえることは叶わず、遂に力尽きて落城となったのである。


(情けない。自分がもっと善戦できていれば、勝敗の行方は違っていたかも知れぬものを)


 数千、数万の軍勢がぶつかり合う戦場において、たった一人の出来不出来が及ぼす影響などたかが知れている。理屈ではそう分かっていても、最初に崩れてしまったのは自分たちの隊だっただけに、あそこでもっと踏ん張れていればという後悔の念を藤真はどうしても拭えなかった。


「お城の地下には、裏山へ逃れられる秘密の抜け穴がございます。そこを通ってお逃げなされませ」


 敵兵が城内へ突入してくるまでもう時間がない。藤真は必死に脱出を勧めたが、高頼は硬く伸びきった自分の右足を見下ろして首を横に振った。


「この足では逃げられない。藤真も分かっているだろう」


 生まれつきの難病のために、高頼は右足が麻痺していて自由に動かせない。幼い頃から藤真も付き添って懸命の治療と訓練を続けてきたものの、まだ走るどころか普通に歩くのさえ困難な状態だった。例え地下道を通って逃げようとしても、すぐに敵に追いつかれて捕えられてしまうだろう。


「ならば、拙者が背中をお貸しいたしまする。さあ」


「無理だよ。二人とも捕まってしまうだけだ」


 高頼を背負ってでも城から脱出させようとする藤真だったが、いくら力自慢の彼でも傷を負った今の体で人を運びながらでは逃げ切れるはずもない。無茶を承知で言い出した藤真を、たしなめるように高頼は寂しく笑った。


「もういいんだ。覚悟はできている。介錯を頼む。藤真」


 難儀しながら何とか右足を折り曲げて床に座った高頼は、腰から脇差を抜いて自分の腹にその刃を向ける。侍と呼ばれるこの国の戦士にとっての名誉ある死、それは切腹であった。


「首はどこかの山にでも埋めてくれ。できたら、静かで景色が綺麗な場所がいいな」


「心得ました。卒爾(そつじ)ながらそれがしが殿のお墓を建て、菩提を弔わせていただきまする」


 もはや他にどうする術もない。観念した藤真は歯を食い縛って立ち上がり、腰に佩いていた愛刀・清正(きよまさ)を鞘から抜き放った。


「幼い頃から世話になった。死ぬのは無念だけど、最後に藤真に首を斬ってもらえるのは嬉しいな」


「殿っ……!」


 感情が決壊してもはや言葉にならない。炎を反射して煌めく清正を両手に握り締めたまま、藤真は感極まって男泣きの涙を流した。それでも、せめて最後の務めだけでも立派に果たさねばと彼は懸命に心を鎮め、体の震えを抑えて刀を高く振り上げる。


「さらばだ。……うっ!」


 自分の腹に、高頼は刃を突き刺すと激痛に耐えながら必死に背筋をまっすぐ伸ばした姿勢を保ち続ける。侍の魂が宿っているとされる(はらわた)を自らの手で刺し貫き破壊すること。それが彼らが命を絶つ際に行なう聖なる儀式なのである。


「殿……これまでのご恩、決して忘れませぬ!」


 燃え盛る炎の中に鮮血が散る。見事に切腹を果たした若過ぎる主君の首に、藤真は絶叫と共に清正の刃を力一杯振り下ろしたのであった。

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