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#7  現実逃避  sideポポロム

「アルフレッドさん、リアさん、ここが我が家です!」


 我が家、郊外の住宅地にある普通の一軒家だ。

 と言っても、僕の所有物ではない。叔父のカルステンが、僕と一緒に住むようになってから購入した家だ。二人暮らしにしては広い家なので、部屋は余っている。


 あれから2週間が過ぎ、アルフさんとリアさんは無事に退院した。

 アルフさんはコルセットが取れて日常生活が送れるようになったが、リアさんは未だ心を閉ざしたままだった。それに、まだ外傷も完全には癒えていない。


「リア、おまえはしばらく、この家に世話になるんだ」

「……」


 車から降りたリアさんは、アルフさんに促されてこちらへ向かってきたが、無表情、無発声のままだった。


「さあ、叔父も待っていますよ」


 リアさんの荷物を持って、家に入りリビングの扉を開けた。


「叔父さん、ただいま」

「失礼します……」

「おおー、アルフレッド君、立派になったなぁ!」


 叔父・カルステンは、リビングのソファから立ち上がってアルフさんの肩を叩いた。

 長めの黒髪を一つに束ね、今日は二人が来訪するということもあり、カジュアルジャケットで決めていた。

 叔父は学生時代からダニエルさんと悪友で、ダニエルさんからはカールと呼ばれていた。20年前の戦争も同じ時期に兵役していたらしい。僕が叔父と出会ったのは、その頃だ。


「葬儀には行けなくて申し訳なかった。足がこんなでなければな……」

「いえ、お気遣いなく……」


 叔父は戦争で足を悪くしており、家の中では足を引きずって歩いている。外出となるとまた大変なようで、僕が車を出すことが多い。


「リア、挨拶できるか?」


 アルフさんは、リアさんを一歩前に立たせるが、果たして挨拶どころか、反応すらできるかどうか……。


「おお、リアちゃんも綺麗になって──」


 叔父が前に出た時、リアさんが青ざめたようで嬉しそうな、複雑な表情に変わった。


「お……お父様っ!!」

「え、えええええええっ!?」


 声が出たのはいいが……お父様!?

 リアさんは、目にいっぱいの涙を溜め、勢いよく叔父の胸に飛び込んだ。


「お父様、生きて、いらしたのですね……! まさか、先生の家にお世話になっていたなんて……!」

「お、おぉい、ポポロム! これ、どうすりゃいいんだ!?」

「と、とりあえず、ダニエルさんになりきって!」


 リアさんに気づかれないように、ものすごく小声とジェスチャーで指示を出した。

 こうなっては仕方がない。

 様子を見るために、一旦ダニエルさんのフリをしてもらうことにした。


『お、おおー、リア。元気にしてたかー?』


 素人の僕が聞いてもわかる棒読み具合だった。

 演技下手くそかっ!?


 しかし、叔父をダニエルさんと間違えたとはいえ……虚無になっていたリアさんの心が一気に快復した……!

 一体、なぜ……?


「リア、離れなさい。父さんが困っている」


 アルフさんも、こちらの事情に合わせてくれた。


「お兄様……。お父様は生きていました。これで私は、お兄様に恨まれる理由はなくなりましたよね?」


「……!」


 そうか……! リアさんにとって、1番問題だったのは、テオさんではなく……。

 アルフさんの方だったのか……!

 テオさんに乱暴されたことよりも、アルフさんに恨まれ傷つけられた方が、リアさんにとっては重大なことだったんだ。


「ポポロム先生、キッチン貸してください。私、お父様のために何か一品作ります!」

「え、ええ、どうぞ……」


 リアさんはキッチンに入り、慣れた手つきで料理を始めた。

 しかし、そうなるとアルフさんの方は……。僕は、アルフさんの方に向き直った。


「アルフさん、大丈夫ですか?」

「あ……ええ……。驚きましたが……大丈夫です……」

「なあ、俺ってダニエルに似てるか……?」


 叔父が、複雑な顔をしている。


「いえ、全然……」

「ポポロム、これは、まずいんじゃないか……? 本当のことに気づいたら、リアちゃんは……」

「ええ、わかってます。とりあえず、様子を見ましょう……」


 キッチンから、いい香りが漂ってきた。

 リアさんは、手早くスープを作ったようだ。トレイに乗せて、人数分持ってきてくれた。

 本来ならば、喜ばしい家族団欒のシーンだが、これは……。


「お父様のために作りました。さあ、お父様」

「あ、ああ…」


 リアさんは、笑顔で叔父の手を取り引っ張った。

 ……無理もない、数ヶ月ぶりのお父様(・・・)だ。


「先生も、お兄様もさあ、早く──」


 リアさんがアルフさんの腕を掴もうとすると、彼はその手を払った。

 ああ、やはり……。

 アルフさんはすでにリアさんへの憎しみの心はなかった。

 そのためアルフさんは今、リアさんに触れることができないのだ……。

 何かを促す時も、触れそうで触れない距離を保っていた。それは、僕が病院でアルフさんの話を聞いてから、ずっと感じていたことだ。


「お兄様……?」


 アルフさんは、しまったという顔をして困惑している。


「お父様は生きていたのに……。私は、まだ恨まれて……ううっ……」


 リアさんは泣き出して、リビングを出て行ってしまった。

 いけない、自我を取り戻したとはいえ、精神的にはまだ不安定なはずだ。


「リアさん……! 叔父さん、アルフさんを頼みます!」

「あ、ああ」


 僕はリアさんを追いかけた。

 リアさんは、叔父の部屋に迷い込むように入って行った。

 数秒だけ様子を見ていたが、泣き止みそうにない。

 まずは、落ち着かせないと……。


「リアさん。アルフさんは、あなたを恨んでるわけじゃないですよ? アルフさんも、いろいろあって混乱してるんです……」

「ううっ……先生……。すみませんっ……」


 リアさんは、断りを入れて僕の肩に寄りかかってきた。

 心のどこかではわかっているのだろう。他の誰にもすがることができないと。

 しかし、これは……とてもマズい……。


 ゴンドル族同士は、プライベートで近づきすぎると惹かれあってしまう習性がある。

 これ以上は……いろいろとヤバい……。


 理性だ。理性を保てポポロム。

 今は仕事中、治療中だ。

 気をしっかり持っていれば、惹かれ合うことはない。

 

 そうだ、アルフさんの症状を説明しないと。

 憎しみの心を持たないと触れられないなんて、信じてくれるかどうかわからないけれど。

 リアさんは家族なんだから、ちゃんと説明しないと。

 そうすれば、納得して落ち着いてくれるはずだ。



 ……いや。



 ……憎むことでしか愛せないだって?

 冗談じゃない。


 知らないままでいい。

 恨まれていると、嫌われていると思い込んでいればいい。

 そうすれば、僕が救ってあげるよ。


 ……なんて、医者失格だな。僕は。




「お待たせしました。さあ、いただきましょうか」


 リアさんを連れて、リビングに戻ってきた。

 せっかくのスープが冷めてしまったが、こればかりは仕方がない。


 叔父が用意してくれていた軽食とスープを食し、一息ついたところで僕は気になっていたことを訊ねることにした。


「リアさん……。ちょっと聞きたいのですが」

「はい」

「テオさんのことを、どう思っていますか?」


 テオさんの名前を出した途端、アルフさんも叔父も目を開いて驚いた。

 リアさんの傷口を抉ることになるかもしれない。

 しかし、これは聞いておかなければならないことだ。


「テオですか?」


 リアさんは、キョトンとして、


「テオは、とても明るくて、いい子ですよ」


 と、答えた。

 アルフさんは険しい表情になり、叔父は困惑していた。

 僕は、なんとなく予想していた。先ほど泣き出すまでのリアさんの表情が、明るすぎたからだ。


「現実逃避、もしくは解離性健忘か……」

 

 叔父が説明してくれた。


「リアさんの中では、都合の悪い事はすべてなかった事になってしまっています。叔父をダニエルさんと思い込んでいるのもそのためでしょう」


 都合の悪い事は。

 リアさんは、先ほどアルフさんに恨まれていたことは覚えていた。

 それはつまり──。


 考えたくない、と僕は小さく首を横に振った。


「先生、どうしたらいいですか?」

「こればかりは、なんとも……。何かのきっかけで思い出してくれるといいんですが……。とにかく今は、見守っていくしかないです」


 思い出したところで絶望的だ。最悪の場合、また心を閉ざしてしまうかもしれない。

 僕は、医者としても同族としても……リアさんを救いたい。



***



「今日はありがとうございました」


 夜も遅くなり、アルフさんは家に帰ることになった。


「また時々、リアさんに会いに来てあげてください」


「どうしてお兄様だけ帰ってしまうの? 私とお父様は……?」


「俺は仕事があるし……」


「ほら、リアさん。あなたのお父様は、ここで療養中なので、いろいろとお世話を……」


「おおーい、俺はまだ介護が必要な年齢じゃないぞ!? 一応自分で歩けるし……グフっ!」


 小声で言ってきた叔父に、黙れとばかりに肘鉄を入れる。


「わかりました……」


 リアさんは、寂しそうに返事をしたが、


「じゃあ、次はテオも呼びましょうね!」


 すぐ笑顔になってそう言った。

 これには、アルフさんも絶句するしかなかったようだ。


「……」


「え、えぇ……そうですね……」


 テオさんに警戒がないのは、非常にまずいな……


「では、失礼します……」


「お兄様」


「……!?」


 リアさんは、自分から前に出て、アルフさんの頬に口づけした。

 不意打ちだったため、先ほどのように払いのけることはなかったが……。


「道中、お気をつけて。またきてくださいね」


「あ、ああ…」


 アルフさんは困惑している。

 ああ、どんなに憎まれていると思っていても、リアさんは、アルフさんに少なくとも家族としての敬愛心は持っている。なんて羨ましく、恨めしいことか。

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