#9 訪問
今日は、カルステンとポポロムが学会に出かける日だった。
朝からバタバタと準備していて、リアも玄関前で見送ることにした。
二人ともスーツでピシッと決めている。普段は見られない姿だ。
「じゃあ、リアさん。行ってきますね」
「いってらっしゃい」
清々しい空の下、リアは、ポポロムにカバンを手渡した。
まるで家族になったような気分だった。
「あっ、お父様、ちょっと待ってください」
リアはカルステンを呼び止め、振り向いたその頬に口付けする。
「うおっ!?」
「ええっ!?」
「行ってきますのキスです」
リアは笑顔で言った。
ポポロムの前で少し恥ずかしかったが、リアにとっては当たり前の、日常の行動だった。
頬とはいえいきなりの口付けに、カルステンは動揺したが、なんとかリアに悟られないように平静を装った。
「お父様も」
「あ、ああ……」
促され、カルステンはおそるおそる、ほのかに赤く染まったリアの頬に口づけした。
「久しぶりなので、恥ずかしいですね」
「そ、そうだな……」
(ダニエーーーール!!!!
おまえ、なんてうらやま……けしからんことを!!!!)
カルステンは、天に向かって叫びそうになった。
「叔父さん、ずるーい」
「ずるーい、じゃない! 心臓持たんわ!!」
(えっ、ポポロム先生も行ってきますのキスをご所望ですか!?
さすがにそれは恥ずかしくてできません!)
リアは、頬を押さえながら聞こえないフリをした。
こんなことをしている場合ではないと、動悸を隠すようにカルステンは助手席のドアを開ける。
「じゃあ、リアさん。絶対に、誰が来ても開けちゃいけませんよ」
ポポロムが釘を刺した。
「わかりました」
「ないとは思いますが……。テオさんが来てもですよ?」
「え……テオもダメなんですか?」
「ダメです」
もう一度キッパリと、釘を刺した。
「以前も言いましたが、テオさんは警察に追われている身なんです。匿ったりしたら、リアさんも共犯になってしまいますからね。では、いってきます」
「いってらっしゃい……」
二人は車に乗り込み出発した。
リアは、寂しそうに手を振ってそれを送り出した。
二人を見送ってリビングに戻ると、ポポロムに言われたことを、もう一度じっくりと心の中で噛み締めた。
(テオが警察に……。先生から聞いた時は信じられなかったけど、ニュースにまでなっていたから、もう信じざるを得ない……)
リアは、スマホでそのニュースを連日何度も見た。ポポロムに、何度も見てはいけないと言われていたが、どうしても見てしまっていた。何かの間違いだと、心の中でずっと叫んでいた。
コメントは、もうどうすることもできないほど大炎上している。
(でも、もしテオが助けを求めていたら……。私は、ちゃんとテオを正しい道に……導く事ができるの……?)
ピンポーン!
いきなりインターホンが鳴って、リアはビクッと肩を震わせた。
(……誰だろう?)
開けなければ大丈夫だろうと、インターホンのマイクに向かって話した。
インターホンは、カメラの付いていない旧式のものだった。
「……どちら様ですか?」
「ああ、リアちゃん。あたしよあたし。隣のばあばよ」
「えっ、おばあちゃん?」
スピーカーから聞こえる優しそうな声の主は、数メートル離れた隣の家に住んでいる老婦人のものだった。カルステンの患者の一人である。
リアは、ポポロムの言葉も忘れて玄関を開けた。
彼女は、小柄で少々腰の曲がった朗らかで優しい老婦人だった。時々、息子夫婦が遊びに来ているのを見かけたことがあるが、夫に先立たれ普段は一人で暮らしている。
「おばあちゃん、どうしたの? 今日はお父様はいないんだけど……」
「昨日、忘れ物しちゃったのよ。どこかに、ハンカチ落ちてなかったかしら?」
「そういえば──」
昨日リビングに、綺麗なハンカチが落ちていて、アイロンをかけたのを思い出した。
「はい、おばあちゃん」
ハンカチを渡すと、老婦人はいつものように、ニコニコと話し始めた。
「ありがとうねぇ。リアちゃん、一人でお留守番なの?」
「ええ。今日は、先生もお父様も学会で──」
(“お父様”ねぇ……。かわいそうに)
事情をカルステンから聞いていた老婦人は、リアに同情の目を向けた。
「どうしたの、おばあちゃん?」
「いいえ、なんでもないわ。後で、おやつの時間になったらお菓子でも持ってきましょうかね」
「わあ、嬉しい。じゃあ、お茶を用意しておきます」
老婦人は、いつも診察の時にお菓子の差し入れを持ってきてくれる。手作りらしく、それがまた最高に美味しいのであった。
「……あっ、今日は誰も入れちゃダメなんだった」
リアは、ポポロムの言葉を思い出した。
「まあまあ。リアちゃんは不用心ね」
「でも、おばあちゃんなら大丈夫です」
「じゃあ、2時ごろにもう一度来るわね」
「はい、お待ちしてます」
老婦人が出たのを見て、すぐに玄関の鍵をかけた。
(隣のおばあちゃんなら……いいよね?)
優しい老婦人の存在で、リアはすっかりご機嫌になり油断していた。
ピンポーン、と、またインターホンが鳴った。
あまりにもすぐだったので、老婦人が何か言い忘れでもしたのだろうかと、玄関を開けてしまった。
そこには、数ヶ月ぶりに会う義弟が立っていた。
「姉さん、久しぶり──」
「テオ!?」
笑顔いっぱいのテオが、するりと入ってきた。




