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最近は毎晩のように五鈴に抱きしめてもらいながら眠っている。
そのおかげか毎朝気持ちよく目覚めることができていて、しかも五鈴の寝顔も見れるから一石二鳥だ。
寝顔でふと思い出したのだけど、最近は五鈴よりも先に目覚めることが多い。
たいてい五鈴の方が先に起きるのでめずらしいな、と思う。
理由を探してみると案外すぐに見つかった。
最近の五鈴は日中に眠気を催しがちだ。書を読みながらふらふらと揺れているのを見て気付いた。
たぶん眠りが浅いのだろう。
もしかしてわたしの寝相が悪くて邪魔をしてしまっているのかも……と思って訊いてみたけど、五鈴は「そんなことないよ」と言ってくる。
そんなことが数回あって、今日も眠たげだった五鈴は書を読むのをやめて、外へ散歩に出ていった。気分転換にはなるだろう。
それを見送って一息つく。
「五鈴、大丈夫かな……」
五鈴に元気がないのはわたしも辛い。
少しでも楽になってほしいと考えていたら、ふと思い立ったので五鈴の書を読ませてもらうことにした。
もしかしたら次に読む書が重い内容なのかもしれない。
わたしが先回りして読んでおけば、五鈴が読んですぐに話し合える。
机の上に置かれた次の束を手に取って、早速冒頭から文字を追っていく。
そしてわたしは驚いた。
この書の主人公は、わたしと同じ名前だった。しかも苗字も。
親とは言い難いあの人たちのことを思い出して仄暗い気持ちになる。
気を取り直して読み進める。
主人公は日陰の子で、親に捨てられて村で孤立してしまう。悲しい話だ。
それからも一人で寂しく暮らし、最後には神への供物として荒れる海へ放り出される。
…………どうしてわたしの話がここに書かれているの?
名前も同じ。あらすじも結末も同じ。
あろうことかその途中に挿し込まれた数多の出来事すら身に覚えがある。
村の子供からも大人からも無視され、時には石を投げられたこと。
毎日食べるご飯は味の薄いお粥だけだったこと。
ある日水を飲むことすら億劫になって、身体を壊しかけたこと。
何もかもわたしの記憶と同じ。
この書はわたしの人生を世界が綴ったものに違いなかった。
だとしたら、わたしはもう― 死んでいるの?
その疑問は、外から戻ってきた五鈴に投げ掛けられることになる。
「小夜……?どうしたの、顔色が悪いよ」
「…………五鈴。―わたしって、もう死んでいるの?」
五鈴の顔が引き攣る。愕然としている。
その表情はわたしの死について知り得ていることを物語っていた。
「ね、ねえ。どうしたの小夜、急にそんなこと……」
「五鈴、もうこの書は読んだ?」
束ごと差し出す。慌てて首を横に振る五鈴に読むように促す。
そしてみるみるうちに顔が青ざめていく。
その様子で確信を持つ。
五鈴は嘘をついていた。わたしはまだ生きているのだと。
そしてその嘘が明るみに出てしまったのだと。
「五鈴。教えて、本当のこと」
わたしが一歩近付く度に、五鈴の身体の震えが大きくなっていく。
書を持つ手が、その場で立ちすくむ足が、目に見えるほどひどく震えている。
そして、わたしの手が五鈴に触れたその時―
「ひぃっ!? ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!」
五鈴が膝から崩れ落ちる。束になっていた書が床に散らばる。
その手は両耳を塞ぐように宛がわれ、目を固く瞑って怯えていた。
こんな五鈴の姿、初めて見た。
気丈だった五鈴が今はこんなにも小さく縮こまって震えている。
口を開かないわたしに不安を覚えたのか、うっすらと目を開いてこちらを見上げてきた。
その瞳には何よりも恐怖の色が濃く滲んでいる。
「ねえ、五鈴」
わたしも目線を合わせるようにしゃがみ込む。
そしてもう一度五鈴の両手を握る。その震えは止まらない。
「教えて、どうして嘘をついたのか」
叱られる子供のように怯える姿に悲しくなるけれど、今は五鈴の真意が知りたい。
「私っ、ずっと一人で寂しくて……それで、小夜を助けた時に、そのっ……」
そこで言葉に詰まる。
犯した罪を告白する悪人のように、その言葉を口に出すのを躊躇っている。
促すようにもう一度五鈴の両手を強く握る。
それに「ひっ」と鋭い息を吐き出して、また語り始める。
「引き止めたら、この子は私と一緒にいてくれるんじゃないかって……そう思って……っ、ごめんなさいっ……」
「そうだったんだ、それでわたしに嘘をついて留まらせようとした」
「そ、そうですっ……死んだって知ったら、もう、ここにはいてくれないって、それでっ……!」
五鈴の自白を聞き届けた。
ひどく動転していて、口調もおかしくなっている。普段の冷静な五鈴はいなかった。
一人でいることには慣れていると言っていたけど、ずいぶん強がっていたみたいだ。
まるで幼い子供が泣き出す前のように瞳は潤み、けれどどうすればよいか分からなくて俯きながら視線を彷徨わせる。
しばらく手を握ったまま黙って過ごす。五鈴が落ち着くのを待つ。
わたしにも言いたいことはあるけど、今はただ待つ。
やがて肩の震えが少しずつ収まっていき、わたしと五鈴に平静が戻ってくる。
まだ俯いたまま、静かにその口を開いた。
「それに……死んでしまったと知ったら、この子は絶望してしまうと思って……昔の私みたいに」
……昔? 五鈴はかつて人間だったということ?
そのことが引っ掛かる。五鈴は初めから神さまではなかったのか。
そっと五鈴の肩に手を置いて尋ねる。
「ねえ五鈴、怒ったりしないから話を聞かせて。五鈴のこと」
引け目があるようで、まだ五鈴はわたしと目を合わせようとしない。
それでも辛抱強く待っていると、ぽつりぽつりと喋り始める。
わたしと同じで、思い出したくもない過去の物語はこうだった。
私は小さい頃から天上の声が聞こえた。
嘘だと思うだろうね……でも本当。
時々聞こえてくるその声は、未来に起きる事象を的確に言い当てていた。
天気などの自然現象、役人や商人のような来訪者、怪我や事故のような不測の事態まで。
物心ついたころにはそれを理解して、周りの大人に話すようになった。
最初は当然疑われたけど、繰り返すうちにその言葉が本当だと信じ始めた。
……信じざるを得ない、という方が正しいと思う。
そうして私は生き神さまとして崇められた。
上等な家を用意され、綺麗な着物を着せられて、豪勢な食事も出た。
私の住んでいたところは漁が盛んな地域で、海へ出る人たちに重宝された。天気が分かるから。
もちろん陸地で農作をする人たちにも。
私の周りにはいつも誰かがいた。
みんな優しくしてくれた。
でも、いつからか天上の声は悪い未来ばかり告げるようになった。
海は荒れる、川の水は濁る、酷い日照りが続く、誰かが身体を壊す。
そんなことが長く続いて、私の扱いは一変した。
責めるように冷たい態度を取られ、いつしか狭い部屋に閉じ込められるようになった。
食事は少しずつ減っていき、やがて何も食べさせてもらえなくなって、床に臥せるしかできなくなった。
誰も来ない部屋で、どこからか告げられる悪い言葉だけを聞き続ける。
最後には意識もぼんやりとして、身体も動かせなくなった。
その後は、小夜と同じ。
……同じ理由で荒れ狂う海へ投げ出されて、そこで命は終わった。
結局最後まで俯いたまま、五鈴は自らの人生を語り切った。
「神さまの私に名前はない。五鈴は、人間だった頃の名前」
掠れそうな弱弱しい声で続ける。
もう隠し事はできないと悟ったのか、あるいはどうでもよくなってしまったのか。
「目覚めたらこの場所に流れ着いて、またあの声を聞いた。私は死んで神さまになったのだと。そしてその役目があることも」
「だから、小夜がここに流れ着いた時に、この子も死んでしまったんだとわかった。生きている人間が来ることはない場所だから」
「本当にごめんなさい……小夜が望むのなら、すぐにでも黄泉の国へ送るから……」
床に散らばった書を集めることすらせずに項垂れる。
あまりにもむごい人生を送り、今もなお悲しみに暮れている。
そんな五鈴の姿にわたしは――