第77話 魂を持ったシグノ
落ちるリンネを拾い上げたノヴァンが、舞い戻ってくるのに、ほんの一瞬だが、時間を要す。
それにしてもマーダなのかエディウスなのか、はたまたもう別の違う何かなのか、判りようがない存在が、目前で高笑いしている。
一度奪った能力は、他の肉体《拠り所》に行こうとも同じ事。
それ位はマーダ側でない連中も判っていたつもりだった。
だが、まさか既に捨てた身体すら自由に出来るとは。
あの悪夢に囚われていたヴァイロにして見れば、戦の女神が、アギドに入れ替わった時点で、アレはハズレだと確信していた。
言うまでもなくアギドが自らその身体を差し出したやり方には、憤りを感じずにはいられなかった。
しかしあの悪夢………相手が白い竜に騎乗した白の女神の姿をしていた。
だからこそ、悪夢は所詮、泡沫で終わると思えたのだ。
まさかアギドの姿をした、それも白い女神ですらない存在が、あんな形で終わった筈の劇場を現実に引き戻すなどと誰が思うものか……。
森の女神の魔法を熟知し、自らも神を称する彼であるが、信仰心や運命なんてものは微塵も持っていない。
それはちょっと可笑しな話だが、神の力ですら所詮は、人間から生まれた能力だと冷静な見方をしている。
なれど今回ばかりは、そんな神の悪戯《戯れ》に振り回された憎悪をぶつけてやりたいという意味合いで、身勝手な信仰を抱いてしまった。
「暗黒神の名において命ず! 火蜥蜴よ、その身を焦がせ! 『破』!」
先手必勝とばかりに、エディウスの周囲に群れているシグノ等に対し、小爆発を散らすこの術本来のやり方で炎幕を張ろうとアズール。
しかしたった一頭のシグノの炎の息でアッサリ相殺されてしまう。
「クッ!」
「何をしている? そんなものマッチの火にすら届かんよ」
(………いいんだよ、それで)
小爆発《マッチの火》と入れ替わりで、両手に握った巨大剣を翼のように広げながらレアットが強襲をかける。シグノ達が束になっているのをいい事に、まとめて首を駆る腹づもりだ。
「な、何ィィ!?」
エターナと二人だけの突貫をした際には、これで白い首を奪取出来たと記憶している。
けれどもシグノ達は、その巨大な顎を開き、牙で巨大剣を受け止めたのだ。
斬って落とすどころか、ガッチリ咥えられた剣を取り戻すのに、レアットは大気を操り刃の周りに嵐を起こす羽目になってしまう。
「フッ………やはり馬鹿は貴様の方だな。あの赤いチビの思考を読み取ったのだ。もっとも真っ向勝負でも、今のシグノなら、なんの小細工もない馬鹿でかいだけの剣なぞ通じないがなっ!」
そう高飛車に言いながら、エディウスの二刀と化した竜之牙がレアットへ襲い掛かる。
カキーンッとまるで同じ剣に弾かれたような音が辺りに響き渡る。しかし止めたのは剣ではない。
新月の影で自らの右腕を強固にしたミリアと、攻撃力強化でナイフの先から全身を赤い刃物と化したハイエルフのレイチであった。
「フフッ………何と健気で可愛い者達よ」
「…………喰らえ地獄の大焦熱『紅の爆炎』!」」
百合の愛情が芽生えたミリアに対してだけでなく、一応男子の姿をしたレイチにすら可愛いと、のたまうエディウス。
しかしその裏でアズールは本命の爆炎の詠唱を終えていた。
レアットの酸素による加圧こそ出来なかったが、まるで目前に突如出現した太陽の如き火球の爆発だ。戦の女神だろうが、シグノだろうが、どちらに当たっても無傷ではいられまい。
なれどエディウスの笑みが何故か消えない。むしろ「待っていた」とでも言いたげな面構えだ。
「フハハハハッ! 『神之蛇之一撃』ッ!」
詠唱どころか笑いながらアギドが得意としていた巨大な蛇の影が襲い掛かる術の名前だけをエディウスは、言い放った。
「なっ!?」
「何のつもりだっ!?」
ミリアとヴァイロが驚きを隠せない、ゼロ詠唱の神之蛇之一撃なんて暗黒神を名乗る彼にすら出来はしない。
実際、エディウス当人からは、何も発現しなかった。しかし気が付けば女神の背中を守るシグノのうちの4体が、その口を開いて巨大な影を蛇の頭の形に創造しているである。
竜から生まれた巨大な黒蛇達が、破裂寸前の巨大な火球に喰らいかかる。
「そ、そんなっ………」
「馬鹿なっ! 有り得んことだっ!」
憐れ紅の爆炎は、4体の神之蛇之一撃に喰い殺されたのである。
それを見たアズールが絶望に潰されたように崩れ落ちる。ヴァイロにとっても信じ難し光景だ。
仮に本物の神之蛇之一撃であったとしても、紅の爆炎を相殺するなどということは、何れの魔法も創造主である彼自身の想定にない。
「見たかっ! 人の魂を喰らった今の此奴等は、我の分身の如く動き、しかも増幅器の役割すら果たすっ!」
「な、何だとっ!? そんなことは俺の竜にすら出来ないっ!」
「フンッ! 1対1では劣るがこれだけの魂を持ったシグノがおれば、もう貴様等に一片の勝ち目なしッ! 貴様に竜の錬成を教えたのは我ぞ。先駆者が黙って指を咥えて見ているだけだと思ったかッ! 恥を知れッ!」
人の魂を喰らった白い竜の力をアッサリと明かすエディウス。
完全に上からの物言いだが、ヴァイロは大した二の句を返せない。そもそも事始めからそうであった。
エディウスから貰った竜のレシピがなければ黒き竜の錬成には至れなかったのだから。
ただ肝心な事の答えは語られていない。例え魂を持ったシグノとやらが、魔力の増幅器であったとしても、詠唱が要らない理由にはならない筈だ。
(ムッ? ま、まさか……)
「おぃ、エディウス! 貴様まさか中にいるアギドに詠唱を強制したのかッ!」
ヴァイロの脳裏にエディウスという名の檻に囚われた一番弟子が、無理矢理に神之蛇之一撃を唱えさせられる映像が容易に想像出来てしまった。
血が滴る程に彼は唇を噛んで、敵を凝視する。
「流石……というべきか。愚か……と嘆くべきか。貴様の|想像が透けて見えたわ《聞くまでもなく心が読めたわ》っ!」
頭を抱えながらソレを振り、相手の推測を肯定するエディウス。哀れな子羊を見るその目は、いよいよ神がかっていた。
「クッソ! ふざけんなよっ手前ッ!」
「能力《力》も可愛げもない貴様のようなチビに用はないっ! 消してくれるわっ!」
兄弟子を徹底的に侮辱され、好きにされたと感じたアズール。怒りに任せて無謀な攻撃に転じようとする。
エディウスに取って欲するものを何も持っていない相手。神の啓示を高らかに告げた。
―待てアズールっ! 本気で兄を想うのなら、犬死だけは許さないっ!
アズールの心の中に響いた凛々しい女性の制止《声》に従い、ピタッと動きを止める。
まるで本当に忠犬のような反応。
―トリルの偽物め、もう好き勝手にさせない!
シアンは会えて上空《戦場》を極力見ない。だがその山の如く静かな怒りの矛先だけは、しっかりと上に向けた。




