第8話 知らない互い
カノンに遅い朝日が昇る。昨晩の小競り合い、神と呼ばれる人間の為す事なぞ構わず、日常は流れ続ける。
「ヴァイ、昨夜の奴。お前何か知ってるのか?」
「アギド、眠れなかったのか?」
「嗚呼……あんなモノと対峙したんだ。寝てなどいられるものか」
窓際で朝日を眺める師匠に声をかけるアギドの顔は、まだ夜明けを迎えていない程に暗い。
この強かなる少年は、他の弟子達と違って戦いを経験している。ギルドに行って賞金のかかったモンスターを確認し、倒す作業を生業にする。
ただ人間相手の争いは初めての経験。それにしても昨夜は勝手が余りに違い過ぎた。
「いや…大して知らない。ただ、夢で同じ様なのを見ただけだ」
「夢、予知夢という奴か」
「そんな偉そうなもんじゃない」
ヴァイロは目を逸らしたままアギドの問いに応じる。悪夢の結果? 弟子の中で最も頼り甲斐ある少年だからこそはぐらかすのだ。
「何にせよだ、あの様な者がいる以上、俺達…いや、少なくとも俺だけにでもアンタの知ってる力、全てを渡して欲しいものだ」
「──ッ!?」
聡明なアギドには判っていた。ヴァイロが暗黒神としての力を自分達に全てひけらかしていない事実を。
優しき暗黒神、これ以上自らの術を授け大切過ぎる弟子達を危険に晒したくはない。
なれど昨夜の戦闘でそうも言ってられないと認めざるを得ない。
「でなければお前の愛する者を失うぞ」
アギドの指す先にはベッドで眠るリンネと、ベッドの縁を背もたれ代わりにしているアズールの姿があった。
そして壁の外、帰ってしまったミリアも勿論指している。
ただ自己犠牲と責任感が人一倍強い彼は、自分もヴァイロが守りたい愛する者として頭数に入ってるのを気付かぬのだ。
「判っている……が、少し考えさせてくれ」
「そうか……ま、不器用な俺は、ヴァイの為す事を信じるだけだ」
頭を痛そうに抱えてしまった師に対して、まだ15の少年は穏やかな顔つきでそれ以上の詮索を止めた。
──そう……此奴の言う通り。然し件の悪夢へ近づくだけではないのか?
これ以上弟子達を強くする行為。それこそ戦場に担ぎ出す地獄の旅路へ導くに他ならない。
──それに俺は未だ夢の竜を呼び出す術が判らない。エディウスの紙飛行機にあった記述……あれ位の錬成術なら俺も勘定に入れてる。
ヴァイロとて竜を用意しようと思い立って直ぐ、同じ様な錬成術を脳裏で描いていた。
然しそれでは所詮、竜に似た何かしか出来ないと認識している。
ヴァイロに取っては、あのシグノというドラゴンですら、求めている絶対的存在ではないのだ。
──俺は意地でもアレを超えるモノを生み出さねば話にならんっ!
これがヴァイロの考える第一条件。だが満たす為の仕様が未だ構築出来ない。
「奴が言ってた見えざる力……アテはあるのか?」
「いや、余りにも適当過ぎる。見えない力なんてそこら中に転がってるからな」
アギドはヴァイロが竜召喚に拘っているのを悟った上で確認を投げる。ただ解答が想像を下回る陳腐なものだった事に正直驚く。
見えざる力……確かにどうとでも取れる言葉。だが昨夜の戦闘に於いて見えざる力を発揮したのは間違いなくリンネだ。
聞き覚えのない竜の息に、雷鳴を再現した彼女が一番しっくりくる。
尤もそれが竜の錬成にどう繋がるのかは定かでない。
──敢えてなのか? リンネを巻き込みたくないとか……。
「少し外を歩いてくる。もしかしたら昨夜の痕跡とか見つかるかも知れない」
アギドは敢えてそれ以上言及するのを避け、ツリーハウスを後にした。昨夜どうこうというのは有り合わせの言葉に過ぎない。
自分が此処に居ればとやりたい事も出来ないのではないかと思ったからだ。頭の良過ぎる少年の気遣い。
然し実の処意識の迷宮に居るヴァイロには、本当に見えざる力のアテが皆無。ただ偶然にもリンネの寝顔を覗き込みに近寄る。
昨晩彼女が施した幸福と、悪夢の再現に限りなく近しい二つの相反する出来事が頭を過ぎり離れない。
──暗黒神? 戦之女神? 実に下らない。俺に取って最早此奴だけが唯一の女神だ……。例えどんな代償を払おうとも守りたい。
「うっ、うぅ……」
ヴァイロがそう思った矢先、彼の女神はゆっくり緑の瞳を開いた。此方をじっくり見ているヴァイロと視線が交差し、次第に瞳孔が噛合い始める。
「お、おはよっ……」
「嗚呼……おはよう。少しは眠れたらしいな」
起きた途端、ヴァイロが何時になく真剣な眼差しを手向けてるのに気づいたリンネ。僅かに狼狽えつつ取り合えず挨拶。ベタな手段で誤魔化した。
加えて昨夜自分を捧げた甘く恥ずかしい思い出と、その後の熾烈な争いを思い出す。
「ご、ごめん……」
「………何故謝る?」
「昨日の戦いで良く判った。やっぱり暗黒神は皆の力なんだって……。独り占めして良いものじゃなかった」
曇り顔のリンネは身体毎横に捩り、大層愛する男と視線絡めるのを、敢えて止めるいじらしい様。
「おぃ、それはショックだなあ……」
「だ、だってぇ……」
「今でさえ『此奴は俺の女神』って思ってた処さ。俺だって女を求めるただの男。それに一夜限りで満足出来る程、出来た人間じゃないぞ」
愛する女神の背中にヴァイロが容赦なく言葉を浴びせる。眉が僅か上がっているが、決して怒りの体現ではない。
「……本当っ?」
「俺は嘘が言えるほど器用じゃないって知ってるだろう」
──嘘……嘘というか隠し事なら正直在る。あの夢だ。だけどあれは例外…いや、必ずただの悪夢にしてみせる。
背を向けたリンネを弄りつつ、ヴァイロは裏腹なる決意を新たに掲げる。
「ごめん……違う、あ、ありがと──痛っ!」
リンネは呟き、小さな身体を起こそうとしたが、何処かに痛みが走ったらしく少し顔を歪ませた。
「まだ夜が明けたばかりだ。目を閉じるだけ良い。もう暫く休みな」
リンネの事をそう促すと、薄手の毛布をそっと掛けてやる。ヴァイロは、少年の如き子供っぽさと底なしの優しさが同居し得る存在。
なれど今は半身の優しさだけでリンネの胸を溢れされる。休めと言われているのに動悸が高鳴るのを抑え切れない。
自分を包んでいるのは、単なる毛布だというのに、ヴァイロを肌で感じてしまう。心に潜むさもやらしい女性が住んでる事柄に囚われ落ち往く。
◇
「何だお前、まだ帰ってなかったのか?」
外に出たアギドは森の影に潜んでいるミリアを見つけた。まるで捨てられた子犬の様に地べたにしゃがみ込んでいる。
「そんな所で寝たら…き、綺麗な肌が虫に刺される」
「綺麗な肌ですか……貴方がそんな世辞を使えるのは正直意外ですわ」
「せ、世辞ではないっ……」
何故か互いの声が上擦っている理由に、それぞれ理解出来ない少年少女の心根。
「とっ、兎に角今日、あの場所で落ち着く気がしないです。そ、そういう貴方は何故出てきたのですか?」
「に、似た様なものだ。今だけはあの場所でぐっすり寝られるアズの神経が欲しい処だ」
今は、今だけは、普段居心地良い師匠の家に居られない。互いに少し剥れた顔に気付き、続いて緩ませる両者。
「ウフフッ……珍しいですね。貴方と気が合うなんて」
「ハハッ……確かにな。……ど、どうだ? たまには一緒に朝の散歩でも」
ミリアとアギドは互いの気分を知って笑顔を交換する。アギドは一度自分の手をバンダナで拭いてから、ミリアに向けて差し出した。
「それも良いかも知れませんね。しっかりエスコートして下さいませ」
ミリアは微笑みながらその手を取る。
次にアギドは彼女の背にもう片方の手を添え起こすのを手伝う優しみを見せる。
兄弟子から意外な程の気回し、ミリアは少し救われた思いに心委ねた。