第7話 見えざる力
エディウスの飛翔に臆する事なく、アズールとミリアは同時に詠唱を続ける。
魔導──否、それ以前に子供とは思えぬ強靭なる精神。
「全ての武具を超える進撃を『アルマトゥーラ』!」
「強固な壁をこの者に『白き月の守り手』!」
──な、何だとっ!? 未だ効力は切れていない筈?
再び攻撃強化の魔法を使うアズールと、防御強化を唱えるミリア。エディウスの想像通り、何れの魔法も効力は未だ失われてない。
──効力を上乗せするか、小賢しい真似を……。
エディウスは二人の小さな魔道士の能力を分析しつつ、音しか出さない緑髪の少女の方を注視する。
──さっきからこの女だけ詠唱がない。さらにヴァイロとやらの力も借りておらぬ……。
「フ、フフッ……」
「な、何が可笑しい?」
「デエオ・ラーマ、戦之女神の名において、我が言の葉を捧ぐ! 斬り裂けっ! 『言之刃』!」
エディウスはヴァイロの言葉を意にも介さず、手を翳し詠唱を告げた。
一見、吹き荒れる風と共に広葉樹の葉が無数に舞っているだけに見える。なれどその葉が地面や周囲の岩へ次々と突き刺さる。
けれどヴァイロ等を守るミリアの防御魔法には敵わず、彼等は傷一つ負わない。
──効かぬよな、これしきの術では……。
「言葉の刃物か、中々洒落が効いている。これがエディウスに仕えし賢士の奇跡か」
「ほぅ、知っているのか暗黒神、我が方の現界術を」
ヴァイロとエディウス、互いに笑みを絡めながら、次は言葉の牽制をやり合う。
「噂程度しか知らんがな。そしてその術は恐らく、精々中の下っていった処かな?」
「フッ、何とも小賢しい」
──あ……あれで?
──あの威力で出し惜しみだとっ!?
暗黒神と戦之女神。生きながらにして神と呼ばれる二人の会話にアズールとアギドは、脅威を感じずにいられない。
「さて、今夜は挨拶に来たまでの事。そろそろ失礼させて貰おう」
「全く……人の寝込みを起こしに来るとは。女神ではなくサキュバス辺りに変わる事を勧めるぜ」
「フッ、喋るな小僧。寧ろサキュバスと戯れてたのは、貴様ではないのか?」
去り際にとんでもない爆弾を置いて往くにエディウス。
リンネの顔が真っ赤に染まり、ミリアは思わず顔を背ける。
「な、何の話だっ!」
「まあ戯言はこの位にしておこう……。次殺る時は互いの総力を出し合おうぞ」
まさかの違った形での挑発。ヴァイロは、このやり取りの中で一番狼狽えた声を上げてしまう。
エディウスがそれ以上、話を広げてくれなかった事に正直胸を撫で下ろす。
「駄賃だ、コレをくれてやる。だがこの通りにやった処で、この白い竜にすら勝てんぞ」
「なっ……」
エディウスが一枚の紙を折って飛行機を作ると、ヴァイロに向け飛ばして寄越した。
「見えざる力……貴様が真にこの言葉を理解したのなら、良い竜が生まれるやも知れぬ」
「──ッ!?」
「ではまたやろうぞ…さらばだ、若き魔道士達! 舞えッ、シグノッ!」
白い竜がその大きな翼を広げ、ヴァサッと一度だけ羽ばたくと、その一瞬で小さな粒となって消えた。
「た、たった一度の飛翔であれほど飛ぶというのかっ!?」
「おぃ、サキュなんとかって何の話だよ」
「子供がしゃしゃり出る話じゃない」
ヴァイロはシグノという白い竜の飛翔に驚愕する。アズールが、もうぶり返したくない話を持ち出そうとする。空気読めるアギドが即座に止めた。
顔を膨らませて抗議しようとしたアズール。然し初めて相手にした本物の敵というべき者の強大さを思うと、それこそ児戯と馬鹿にされても仕方ないと感じた。
「ヴァイ、その紙切れは……」
「こ、これか? ムッ!? こ、これはどうやらあの竜を合成した際の材料らしい」
ミリアに諭されて紙飛行機を開いたヴァイロ。そこにはあのエディウスに仕えている三人の弟子達は既に知っている白い竜の錬成材料が記されていた。
「と、とにかく皆ご苦労だった。正直助かった。俺とリンネだけじゃ追い払えなかったかも知れない」
「全く……とんでもない女だぜ。俺の二掛けしたアルマトゥーラで強化した紅色の蜃気楼の攻撃を受けて無傷とかどうかしてやがる」
「いや…それについてはしっかり手応えがあったさ」
ヴァイロは重力解放の力から皆を解放し、ゆっくりと地面に降りる様に仕向けながら、悔しがるアズールの元にゆき、その頭をくしゃくしゃにする。
彼の攻撃力強化と紅色の蜃気楼の攻撃は、きっちり仕事を果たしていたことを伝えて微笑む。弟子を褒めて伸ばす優しき師の姿。
「疲れたろう。今宵はもう朝まで家でゆっくりするんだな。尤もあと数時間で夜明けだが」
「わ、私は自宅で静養したく存じますので、折角のお誘いなれど帰らせて頂きます」
「そ、そうか……済まない」
皆に自分の家で休む事を勧めたが、ミリアだけはバツが悪そうな顔をしながら、身を翻して帰っていった。
──ど、どんな顔をしてあの家の敷居を跨げっていうのよ……。
ミリアは自らの邪な想いで地面を踏みつけた。
「お、おぃ……ミリアの奴どうしたって言うんだ?」
「ハァ……だからお前は女にモテないんだ」
「ハァ!? い、意味判んねえっ! 大体お前だって彼女いないだろうがっ!」
「俺はお前とは違う。ただ面倒なだけだ」
ミリアの態度にアズールはまたも不可解な顔をする。溜息を吐くアギドの指摘にキレ散らかす。
アズールはミリアに淡い恋心を抱いていた。それは思春期特有のただ異性にちょっと惹かれただけのLikeなのかは分からない。
──とても嫌な女だ、私……。
リンネはミリアの背中を無言で見送りつつ、その影から彼女の気分を理解した。彼女とて今宵だけは、ミリアを我が家に上げたくない。
◇
「グッ……ま、まさかあの剣、ドラゴンの翼はおろか我の鎧すらも通過してこの身を斬り裂くとは……」
エディウスは空を飛んだまま、鎧の上半身部分だけを脱ぐと、自らの左肩から滴る血に顔を歪める。傷自体はどうという事はない。
「戦之女神の名において、我が生命の泉に奇跡を。湧き出よ『生命之泉』」
司祭の使う全回復の奇跡。自ら扱える彼女にとって一撃必殺でない傷などまるで通じない。
「全く……神が自らの奇跡に頼るなどと笑い話にもならぬ。然しよもや三人も例の力を持つ者が……後はあの男の開眼に期待しようぞ」
そう言って苦笑を冷笑に変えると、シグノの頭を撫でた。
キィッと小さな声を返すと再び力強く羽ばたき、あっという間に広大なラファンの山脈を置き去りにした。