第5話 竜の音と少女の心音(こころね)
『リンネ、お前は俺の何処がそれ程良かったんだ?』
恋愛なのか気狂いで目前の少女を己は抱いたのか。
そんな何とも言い出し辛い気分をまとめる時間を稼ぐべく、少女側に質問を質問で返す賢しいヴァイロ。
リンネはやまびこの様に質問で返され、モジモジしながら頭の中を整理するのに追われた。
──恥ずかしい……でも言わなきゃ。
心の中に浮かぶ愛する人との数多な思い出。それらを拾い上げては、言葉に変換してゆく作業。
一見難儀かと思いきや、その全てが星の様に煌めているのを感じ、口から寧ろ言葉が噴水の様に溢れ出そうな幸福に胸高鳴る。
「あ、アンタが付けてくれた私の名前の話、覚えてる?」
「あ、そりゃあな。勿論覚えてるさ」
「リンネ……遠い東の果てにある異国の言葉で『輪廻』。輪廻転生とはどんな生き物も死んだら生まれ変わり、再びこの世に生を受ける……」
話は彼女がまだリンネと呼ばれてなかった頃に遡る。生まれた時から音を操る能力を持っていた彼女。
然し赤子の時には、流石にこれを自分で操る術を知らない。自分の意志と関係なく様々な音が両親の耳を行き交う。それも四六時中の騒ぎ。
後にリンネを預かる事になった施設長が両親から聞いた話によると、夜泣きに困るなんて生易しいものじゃなかったらしい。
嵐、竜の咆哮、火山の爆発……それはもう、ありとあらゆる爆音により両親は頭がおかしくなりそうだと痛々しくも訴えた。
その原因が自分達の娘にあると理解した時、将来の可能性より、何時終わるとも知れぬ状況に恐怖した。
なれど愛する我が子だ。文字通りただ捨てる事は忍びなく、なけなしの金を掻き集めて、施設で引き取って欲しいと泣きついた次第である。
「アンタが私の身を引き取りたいと言ってきた時、私が返した言葉覚えてる?」
「ええと……す、スマン。正確には……」
「私はこれまでこの困った能力を調整するのに死にたくなる程苦労した。時には同じ施設の人にも見限られ、倉庫に何日も閉じ込められたり、洞窟へ捨てられた事もあった」
淡々と昔のもの悲しい出来事を綴るリンネ。施設に移ってからも辛い日々が続いた次第。
言葉では言い尽くせない地獄の日々を思い出している最中というのに、薄らいだ笑いさえ零す。
「諦めて死んでしまいたいと思いながら、ようやく扱える様になったこの能力。あの時、私がアンタに言ったのは……」
「ああ、そこから先は流石に覚えてる。『生まれ変わりたいとすら思ったこの私を引き取る? ただの興味ならやめた方が良い……』ってな」
「そう……そしてアンタはこう返した。『ならば俺の元で生きながらにして生まれ変われ。今日からお前の名はリンネだ』…ってね」
「ハハハッ…我ながらキザな台詞を吐いたもんだ」
「ホントよ……私の前に跪いて王子様気取りで手の甲に接吻までしてさ」
自らの行為に頭を掻いて苦笑する王子様。でも姫の方は満更でもなかった当時を打ち明ける。
「私…心から嬉しいと感じた。本当に生まれ変わった気分だった…あの瞬間、既にアンタを好きだと感じた」
──そ、そんなに……そこまで俺を想ってくれてたのか。
鈍感なヴァイロ、正直驚く。
実の処、そこまでの思い入れは当初なかった。今の結実を算出した行動じゃない。いや……計算でなかったからこそ、彼女の心を動かしたのかも知れない。
「だから私は例えアンタの想い人に成れなくても、一生寄り添って生きたいと思った……どう?」
顔赤らめながら、愛する男に抱かれた姿で恋心を語り尽くしたリンネの愉悦。次は『愛してる』の山彦を期待し胸躍らせる。
「………えっ」
「いや、だから質問に答えたでしょ? 満足したかって話。はい、次はそっちの番」
ヴァイロは真に彼女が自分の元で、輪廻してたのを今さら自覚した。
自分の胸元で語る彼女、普段から着飾りなど無頓着だが、完全に素の状態でこれ程心を奪われるとは……。
リンネの存在は森の精霊美女ドリュアルが、男を虜にして取り込む妖艶な妖しさではない。
自らが仕える森の女神から絶え間ない喜びを授かる様な幸せ。どんな言葉を並べた処で事足りないと感ずる。
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
そっと腕枕を抜くと立ち上がり、ガウンを羽織って湯を沸かし始めるヴァイロ。まるで告白から逃げ打つ動き。
「な、何?」
「喉乾いた、お茶を淹れる。お前も飲むだろ?」
「あ……う、うんっ」
ヴァイロの方から御茶を淹れて貰う。多分、この家に始めて来た時以来ではなかろうか。
「ほらよ」
「あ、ありがと……これはカモミールね。初めて淹れてくれた時はラベンダーだった」
「え……良くそんなの覚えてるな」
カモミールにはリラックスなどの鎮静作用があり、女性特有のトラブルにも効果があると言われている。
明らかにヴァイロ自身のためではなく、リンネの心情に配慮した選択肢に違いない。
一方、ラベンダーは自律神経を整えて昂った緊張感を和らげるらしい。
これは初めてこの家を訪れて緊張している彼女への気遣いだった。今更ながら思い知る。
今でこそ家事担当はリンネだが、この4年でハーブの事から食事のメニューまで、全てを彼から教えた。
ヴァイロもカップを手にしてリンネの隣にゆるりと座る。
「正直言って初めの内、お前の能力に惹かれて欲しくなった……そ、それだけだと思っていた」
「う、うんっ………」
「確かに俺は生まれ変われば良いと言った。でも……それだけじゃなかった。俺もお前のその屈託のない笑顔で、生まれ変われていたと気づいたよ」
「そ、それってどういう……」
ヴァイロ、ハーブティーを一口飲むと窓際に置き、彼女の肩に優しく触れる。ピクリッと反応帯びるリンネの白い肩。決して驚きで震えた訳ではない。
「お前は俺を決して『神』と呼ばなかった。お前だけは暗黒神に頼らなくても魔法が使える。初めて対等になれると感じた相手がお前だ。これからもそれは変わらない」
男の意識帯びた格好付けを決めたヴァイロは、リンネの顎をクイッと上げると唇を奪う。
リンネは驚きと悦び入り混じる気分でカップを床に落としてしまった。陶器の割れる音が部屋に響いた。
◇
──何故だろう、ミリアはふと目覚めた。
二度寝出来そうにない覚醒と何か理由の付かない感覚。
自分の部屋の窓から零れる光へ視界を移す。未だに灯りが絶えないツリーハウスの存在に気付いてしまう。
「そ、そうですか……二人は前に歩んでしまったのですね……」
ツリーハウスの中まで見えた訳ではない。けれどもこの想像は彼女の中で身勝手なる確信を育む。
先を越された悔しさは当然感じた。だけども落涙なんかしない。
「これでもう遠慮は不要という事ですわ。私と同じ未成年の恋敵に幸せが巡って来たのですから……」
少女と侮る事なかれ。言動が大人びた彼女は、中身も周囲が思っているより遥かに大人である。見てくれだけで子供を判断してはならない。
「きっと今夜、あの家の灯りが落ちる事はないのでしょうね……」
更なる二人の進展を妄想したその刹那、ミリアは突然東の方角から出現した白い巨大な何かを目撃し、途端声を失った。