第46話 擦れ違う境界線(ᚺᛟᚱᛁᛉᛟᚾ)
十六夜の月と共に白い神竜を操り、悩めるシアン・ノイン・ロッソの元を単騎で仕掛けた修道騎士レイシャ・グエディエル。
態々満月の夜を一晩ずらしたのは理由があった。
何故か躰が重く感じるシアンの憂鬱。理由を気づかせてくれたのは亡き夫ノインの意識だ。紫色の命燃やしたシアン、気高き反撃の狼煙を挙げた。
──一体なんだってんだい!? 彼奴さらに動きがよくなりやがった!
尾を斬られた手負いの飛竜。手綱を引くシアンから漂う意識の波風が明らかに変わったのを肌で感じたレイシャに走り抜けた戦慄。
「ビビるんじゃないよ私! こっちの優位は未だ確実!」
レイシャ、自らに発破を掛けた。借り物の神竜、加えて未だ効いてるべき己が仕掛けた十六夜の枷。
またもや白の月灯りへ自分達を潜ませシグノに火炎を吹かせたレイシャの牽制。然し二番煎じの感が如何にも拭えぬ。
尻尾を斬られ忘我しかけたシアンの駆る飛竜。斬られる以前の動きの良さを取り戻した不可思議に苛立つレイシャ。
竜に取って尾は飾りに在らず。特に空を飛ぶ能力を有する種族ならば猶更。平衡感覚に影響を及ぼすからだ。
然し寧ろ斬られる以前より数段機敏な動作。回転半径を狭めたかに映るシアンの飛竜。
軽量化?
飛竜は機械じゃなく生き物。そんな馬鹿げた優位などあろう訳がない。
シアンが背負う紫色の意識が手負いの竜にも通じた様に思えた感覚。
空舞う飛竜を己の手足と成してたシアン。彼女の絶妙な空間認識能力が騎乗している竜と連動。やり方は不明だがそれ以外に説明がつかなかった。
──こっちはもう限界なんだよッ!
心の奥底でレイシャが思わず吐き捨てた。
横からの襲う遠心力、不快極まる縦揺れが伝えた前後加速度。混ざる重さがレイシャを苦しめる。ましてや神竜シグノは巨大でかつ重量も多大。
美しい顔を歪め、存分鍛えた首が振られるレイシャの無念。未成年のレイシャよりもさらに若くみえる戦之女神は同じ神竜を軽々扱っていた差に心が揺らいだ。
比較するシアンの飛竜は実に軽快。
重量を有り余る力で以て補い潰すシグノとは相反する感覚。
レイシャ、実に腹立たしい──空中戦を挑んだのは己自身。
性能差で圧倒する予定が音を立て崩れゆく。同時にやはり剣士としての技量だけを振るうべきだったと今さら感じる猛省が依り惨めさを加速させた。
「十六夜とは心が揺らぐ時合! これを以て私の動きを削ぐかレイシャ殿! 実に見事だ!」
シアン、続いて雄々しい声掛けと笑顔を湛えた煽り文句。
焦燥し切ったレイシャ、思わず冷や汗。完璧な正答を凛々しい声音で言い当てられた憂鬱。
──クッソ! 一々癇に障る奴!
シアンから正々堂々笑顔で言い包められたレイシャの無念。仮に言い逃れが思いついても語る気さえ失せる。それ程爽やかなシアンの綻びなのだ。
娯楽を堪能し尽くす痛快さを見せびらかせ、夜空駆ける行為に遊園地のアトラクションを楽しむ様な笑顔にて謳歌するシアンの流し目がレイシャの前を横切る。
レイシャ、如何にも小回りが利きそうな飛竜と自分の竜を入れ替えたい気分。無論そんな容易い話じゃない。
シアンがじゃじゃ馬を巧みに乗り熟しているに過ぎぬのだ。
一方シアンが白い神竜とレイシャの周囲を均等な円を描きながら重ねる周回。サーキットを走るレーシングカーの如き寸分違わぬライン取り。
シアンは紫色を燃やした瞳を用い、レイシャとシグノの体表温度を探っていた。シアンには未だ他人の知らない能力が内包されていた。
レイシャの中身はシアンの想像通り──募る苛立ちが全身を赤に染めていた。シアンが見たい相手はあくまでシグノの中身。
戦闘はド素人の貴族バンデがシアンを煽った敵の神竜が秘密。命を持たぬシグノが何故ヴァイロの神竜ノヴァンとタメを張れるのか。
然も20騎も増やした本来在り得ない話。アレはあくまで生き物、量産可能な兵器にしては動きが滑らか過ぎる。
シグノの体表温度──。
シアン、これも想像通りの結果なのだが困惑せずにいられない。
蒼い目を湛えたシグノの頭部。思考を司る脳の存在が余りに希薄。
脳が適切に機能する温度は22度から24度位と云われている。
シグノの大脳を収めていると思しき場所の温度があからさまに冷た過ぎた。
首を捻るシアンの懐疑。
これ迄の生物に対する理論を判断材料にする安直は捨て去るべきだとシアンは思考を逆回転。ほんの僅かでも答えに近づく確証が欲しかった。
「いつ迄も好き放題させるものかッ!」
己と騎乗するシグノを恒星に見立て、惑星の公転思わす軌跡を描くシアンの飛竜。余りにも同じラインをなぞり過ぎたか。
月灯りの影を使った黒い二刀の影走り──伸びた影の切先をシアンへ届かせようと試みたレイシャの再逆転狙い。
されどシアンの方が数段上を征くのだ。
全く以て同じ位置を回転してたかの様に思わせたシアンの狡猾。
背景の十六夜とレイシャ達の位置は常に同じ距離感を維持していた。
だが月は地球の惑星──同じ場所を回る道理がないのだ。
シアンは飛竜を操りながら、極め細やかな算術を以てレイシャを中心に極少量の楕円を描いていた。
依って届くかに思えたレイシャが描いた剣の軌道は、シアンを捉え傷を負わせるには至らなかった。
一見地味だがこれもシアンが均衡を保てる能力を駆使した結実なのだ。
「小賢しいッ! ならばこれを喰らえッ!」
遂に業を煮やしたレイシャが白い神竜を叩き持てる総てを賭けた全力疾走。
レイシャに取って今夜、これが最後の機会。
これ以上続ければシグノが吐き出す力に押し負け己の躰が維持出来ずバラバラになる地獄が見えた。
同時にまたしても無許可の単独行動。何も成せず手ぶらにて帰れば、己の汚名が殊更積み重なるのだ。
最悪、修道騎士の座を剥奪されるやも知れない。代々続いたグエディエル家にも申し訳が立たぬ。──否。次の呼吸が…心臓の鼓動が止まろうとも文句の言えない修羅の道。
何故こうもこの女傭兵に自分は拘るのか?
考える迄もない──強者だから。然も自身よりもだ。理屈じゃない。当然性別でもない。名を挙げるなど如何でも良いのだ。──倒したい、レイシャの本能が欲した。
──レイシャの脈拍、筋肉の疲労度合……。
されどシアン・ノイン・ロッソは争いを効率化する無慈悲を選ぶ。死中に活を見出そうと追い縋るレイシャ相手に、目から入る情報を元に正確な計測。
尤もシアンとてこんな出鱈目なる異能を支えられる時間は残り僅か。
然も夫ノインから継いだ遺伝子がシアンの身代わりを成し、シアン自身に掛かる負担を極限まで減らしていた。境界線とはよく云ったもの。
これ以上続ければ夫から貰った大切な分が消え失せる。だから彼女もこれで決めねば後がないのだ。




