第2話 虚ろな神様を受け容れる小さき器(ᚹᛖᛊᛊᛖᛚ)
陽の暮れる少し前。所謂黄昏時という時間帯。
ヴァイロの同居人、リンネが水浴びから戻って来た。
ヴァイロは家中の古文書やらを引っ張り出し、ブツブツ何かを調べ物に耽る。
読み終わったのかどうかも定かでない開きっぱなしの本が、床の至る所に散らばってるだらしなさである。
「た……ただいま……」
「……」
「た・だ・い・まッ!」
「あ、嗚呼、おかえり」
小声で帰宅を告げたリンネであったが、ヴァイロの返答がないので声を張って言い直す。
愛手向けた男性から頓着せず如何にも取り合えずな返事。
「全く……まだ竜について調べてるの?」
「そ、兎に角森の女神で竜に関わる伝承を探してんだけどさ。これというのがまるで見つからん……」
ベッドに寝転がりながら調べ物とは、身が入っている様子でないのだが、彼に取ってはこれが通常運転。
リンネはその姿に最早呆れるのすら諦め、彼の代わりに本を勝手に片付けてゆく。
因みに森の女神とは、ヴァイロが暗黒神としての魔法を構築するに辺り、参考にした女神。
「俺は皆を……いや、そりゃあ言い過ぎだ。せめて御前達だけでも絶対に守れる圧倒的な力が欲しい」
「ふーん……でもさ、貴方が本気で魔力を振るえば、カノン全土も守れるんじゃなくて?」
仰向けで読んでいた本を顔の上に載せ、頭の後ろで手を組んで枕にするヴァイロ。如何やらその本にもお目当ての記事がなかったらしい。
「それじゃあ駄目だ……」
「どうして?」
ヴァイロの高い声、明らかにトーンが下がるのをリンネは心で受け留め揺らす。
責任感──声に重みを感じたリンネ、確信に至る。
「確かに皆を守りたい。だけど戦いたくないんだ」
「な、何それ? 意味……判ん……な…い」
リンネ、彼の気持ちが判らぬフリ──。
語尾が徐々に濁る下手な演技、王宮の舞台で歌を披露出来る彼女らしくない。
大体彼女的には、そんな事柄より気づいて欲しい現実を此処に晒していた。
「戦ったら皆が傷つくだろ。俺は……俺自身は何なら恐怖の対象ですら構わん」
「ハァ……成程。要は暗黒神ヴァイロ様と黒いドラゴンの組合せがいれば、戦いを挑む相手すらいなくなると云う訳ですか」
リンネの喋り方が普段と比べあからさまにおかしい。
女言葉に敬語、実に彼女らしくない。然も本人的には普段より艶のある声を発してるつもりなのだ。
──なんであのミリアみたいなことを私はしてるのだろう。
丁寧に、そして如何にも女性らしく喋るのは、普段のあの子だ。正直息が詰まりそうだと感じる。実際息が荒いのだ。
然しそれに気づいて欲しい当人は、全く違う事柄に頭を囚われていた。
昨夜ヴァイロが見た悪夢──。
暗黒神と黒いドラゴン、夢心地と取れる完全無欠が出揃っていたのに戦は起こり、一番守りたかった連中が虫ケラの様に蹂躙された。
予知夢が見られる程、自分が万能だとは思っていない。なれどあんなものを見せられては流石に何かせずにはいられなかった。
そこへ弟子のアズールが描いてきた黒い竜。にわかに信じ難い道筋を持ってきたと恐れすら抱いた。
傍目には玩具を貰った男の子の様な燥ぎよう──裏腹にこんな考えが在りつつも誰にも明かせる訳なかった。
そんな悩めるヴァイロの上に突然、リンネは覆い被さると、頭の上の本を払い除けた。
細いヴァイロの赤目が大きく開かれる。
両腕を伸ばし彼のマウントを取っているリンネはタオル一枚。その最後の砦すらはだけた全身が飛び込んできた。
顔を真っ赤に染めたリンネ。けれどその目には後に引く気がない決意に満ちている。これぞ彼女が気づいて欲しかった現実。
「な、何の真似だ!?」
「み、見れば幾ら鈍感な貴方でも判るでしょうッ! さ、誘っているのよ……す、好きなのよ、貴方がッ!」
流石に恥ずかし過ぎるリンネ。
けれどこの何かが変わりそうな黄昏時と、やがて入れ替わる満月の夜をモノにしてみせるという気概は、決して揺るがない。
突っ張っていた腕の力をゆっくり抜き、互いの温もりと鼓動を確かめ合う。耳の辺りから聞こえる自分の脈打つ音は、勿論作りものなんかじゃない。
「わ、私……もう此処に来て4年──あ、貴方が昨日の朝から悩んでたの気が付かないと思った?」
「──ッ!? だ、だけどさ……」
同居人は様々な意味で成長していた事実を漸く知り往くヴァイロ、声が上擦る。
リンネは、ひとつ屋根の下で暮らす男の悩み処。
その真実を読み解くことなど出来やしない。されど何か酷くうなされている。夢が覚めたその後も続いていた。
「言わないでっ! お前はまだ16って言うんでしょ? そ、そんなの関係ないの……そ、それに……」
「──っ?」
リンネの緑の眼から、水がヴァイロの胸へ流れ落ちる。さながら木の葉に降り注ぐ雨が、地面へと沁み込むのが必然であるかの様に。
ヴァイロという黒い大地は、森の精霊のしなやかな身体を受け止めながら、次の言葉を黙って待った。
「それに私、ミリアには……あの子だけには絶対負けたくないのよ……」
涙交じりに本音を明かしたリンネ。
ずっと悩んでいる彼を救いたい──いや、これは体のいい言い訳。
私が貴方を欲しかっただけ……これは弱味につけ入る狡さだ。
2歳半も歳下のミリアに女としての自分は負けてる……彼女の過剰な焦りの正体がそこに存在した。
「私はヴァイの悩みを聞かない。きっと云えないんでしょ? 構わないよ、私は着いて歩むだけ……」
ヴァイロの力に成りたいと語りながら、彼を欲する矛盾に震え泣き。
あとはひたすら涙する。例え雨が降らなくても、私はこの大地を潤してみせると告げているかの様子。
ヴァイロ、リンネの頭を撫でながら漸くこの現実を受け容れる決意を固めた。
──確かに大きくなったな……4年前は本当に子供。妹が出来たというより、まるで娘を貰った心地だった。だが…ガキは俺の方だったらしい。
「判った、俺も男だ。女に恥をかかせる真似はしない。ましてや同棲しているお前には」
「──ヴァイッ!」
リンネが慟哭しながら愛するヴァイロを精一杯、祈り込めて抱き締める。
始めて同居ではなく同棲という言葉を相手は言葉に乗せた。その重みの違いが跳ねた、互いの想いが一致する瞬間。
「だけど良いのか、こんな俺を本当に許容出来るか?」
「そ、それは貴方も同じ……」
何時になく真面目腐った顔でリンネの言葉を首振り遮る大人の男。
「違うな。女は男を受容れる云わば器。酷だが常に強いられる存在だ。差別とか言われようがこれだけは譲れない。こんな男だから経験は在っても、独りに恋慕するのはお前が初めてだ」
リンネの涙を拭いながら、この4年間で最高の真剣な眼差しを手向ける。
これからは女の子としてお前を見れない。自分の愛する大人の女性像を正直に白状した。
そして次は口元を緩めるとさらに男の我儘を通す。
「あとその口調は元に戻してくれ。そちらの方が俺の好みだ」
「わ、判った……」
リンネは少しだけ仏頂面になったが、涙は堰き止められた。
後は彼氏の成すがまま、互いの上下を反転させると、そのリードに全てを託した。
彼は普段の優しさと比べると意外なほど彼女を強く抱き締め求め、幾度となく想いを重ねた。まさに彼女が器に足るかを試しているかの如く。
初めてのリンネにこれは少々酷であったが、歓喜が小さな彼女を支えてくれた。
器として大いに彼の希望に応えてみせた。彼女に取って幸せに満ち足りた刻訪れた。




