第32話 金色入り混じるChaos(ᚲᚺᚨᛟᛊ)
アドノス島の峻険な谷底を搔き集めて成したカノンを守護する暗黒神──ヴァイロ・カノン・アルベェリアは大層苦悩していた。
個人的にも仇であり、領土としても敵領である白い神を擁するロッギオネが攻め入るのは時間の問題。
間違いなく敵はカノン領の南隣、好きに振る舞う小国フォルデノ王国の東端を掠めて襲来するルートを取る。
何故か──?
ロッギオネから真っ直ぐ森の都ラファンに生い茂る森を大隊で横断しようものなら自然の要害、森の精霊達が住処を抜ける。それは愚者の行い。
森の臭気漂う場所を強行すれば、樹々に化けた森の美女達──精霊ドリュエル達へ己が兵達の精を差し出す最悪手なのだ。
例え空が舞える白い神竜シグノ20騎を以てしても、こればかりは抜けられぬ。なのでフォルデノ王国に居を構える異端な貴族バンデの館を掠めて征く1本道に絞られる。
依ってバンデからの申し出──亜人達をヴァイロ勢に引き入れるのは止む無き必然なのだ。だから漆黒の神様は腹を括って受け入れた。
されどヴァイロの弟子達とシアン一行以外異形の者共を率いては、増々以て名実共に暗黒神の汚名を背負う。彼等はあくまで黒側なのだ。
そこでヴァイロは一計を図る。
カノンには日々の生活にも困窮きたす連中が大勢住まう。彼等彼女達を義勇兵として雇う算段だ。
矮小かつ王族さえ恵まれれば満足な王国の貴族共、またしても気軽であった。
ヴァイロが雇う兵達の賃金を肩代わりする。何しろ自分達の盾に国民を割かずにいられるのだ。なので快諾された。
自分が肩を貸した勢力が必ず勝利を収める傭兵──シアン・ノイン・ロッソは、ヴァイロのやり方に激怒した。『お前、遂に性根さえも暗黒に染まるつもりか』当然の憤怒を雇い主へ向けた。
義勇兵──。
良い結果を残せば裕福な暮らしが得られる。なれど真逆は死あるのみ。護るべき者達を他人の金銭で雇い死地へ送り出す愚計。
そんな非道を自身に強いる程、この男は苦境の淵際に立たされていた。
そしてこの悩める暗黒神は、さらなる苦悩の極みを己が独りで抱え、同じベッドで眠るリンネを起こさぬよう静かに抜け出し、棚に入りきらない本や資料を頼り無きランプの灯りで照らし、古めかしい文字を辿っていた。
ヴァイロに取っての絶対神──護りの女神の魔導を戦之女神が成し得た本質を調べる為だ。
白銀の女神がファウナの魔法に限りなく近しい力を再現した。或いはファウナの能力だけ奪い去った。やり方こそ不明だが、これなら合点がゆく。
然しヴァイロが最も信頼する弟子のアギドが『アレはファウナ神の魔導だ』と言い切った。
平和を誰よりも愛し、民草の安寧を目指したファウナ・デル・フォレスタが、戦の権化的な戦之女神に手を貸すとは思えぬ必然。
やはりファウナと共に新たな世界の門出と云うべきForteza市を造り、旧イタリア属領からシチリアを独立させたファウナの影処。
レヴァーラ・ガン・イルッゾの秘密を明らかにする以外、選択がないと思えた。されどもやはりレヴァーラの記述だけ無理矢理消されていた。
ダンッ!
「クソ! たかが150年前。然も俺はファウナの声を聴いた彼女の従属神だぞ! 応えてくれファウナよ!」
行き詰まりしヴァイロ。草臥れた机に八つ当たりの拳を落とす。さらに『女神の声を聴いた』などと大層怪しげな言葉を吐き散らす。
書物を照らす今にも消え落ちそうなランプの揺らぎが彼の心音を投影していた。
ギィ……。
不意に窓を開ける疲れた音がヴァイロの耳と心を揺さぶる。冬の夜風が身に染みた。
「もぅ……毎晩一体何調べてんのさ?」
騒ぎに起こされたリンネが目を擦り文句を告げる。「何を根詰めてるか知らないけど、少し夜風に当たりなよ」と気分の切替えを提案した。
パラパラパラ……。
風で資料のページが勝手に捲られる。慌てて止めようと書類に触れたヴァイロ、違和感に気づく。歴史の悪戯に触れた。
「金色の長髪と黒スーツ姿のファウナ!?」
──馬鹿な? 在り得ん!
散々ファウナに関わる書物や文献を漁りに漁ったヴァイロの人生。特にヴァイロに取って最早聖書に等しきファウナの魔導書。
緑色の髪に揃いの眼──まさしく森を体現した女神像が至る所に描かれているのだ。丁度、今自分の隣に居るリンネの姿が近しい。
金色眩い女性が黒スーツに黒ネクタイでFortezaを大いに荒らした記述をみつけ、赤い目を魚類の様に見張るヴァイロ困惑の色。
まるで嘗てこのアドノスに君臨したマフィアを連想させた。
「それになんだ? このファウナと争った蒼服のファウナと云うのは!?」
ヴァイロ──疲労困憊で夢か幻でも魅せられてる気分に堕ちる。ファウナ同士が争ったと云う意味不明だが心捉えた内容。
何れもヴァイロが知らぬファウナ神。魔導を極める為、これ迄散々調べ尽くした己が女神の物語、砕け落ちる音が聴こえた。
ヴァイロは書面を総て読み辿った後、〆た名前に気がつく。
『―ᛈᚨᛚᛗᛖᚱᚨ ᚷᛁᛟ ᛊᚲᚨᛚᛖ―』
「──パルメラ……ジオ・スケイル」
そうなのだ──。
この文書、明らかに筆跡がファウナ・デル・フォレスタの物ではなかった。『パルメラ・ジオ・スケイル』と云う人物が残した書面だと知れた。
「えっ? ファウナ様って二人居たの?」
未だ寝惚けた顔立ちで呟き続けるリンネ。当人は自分がヴァイロの良く知るファウナ神に似た容姿である事柄など全く以て意識してなどいない。
なれどヴァイロにしてみれば、この少女は、やはり自身に取って奇跡と歴史の輪廻を永久不変に回す存在に思えてならなかった。
「わっわっ? な、何すんだよぉヴァイ!」
ヴァイロ──意識と声だけ知りゆく虚ろな女神より、抱ける躰を持ち上げ抱く。
自分の知る森の女神に祝福と感謝を贈りたい気分に心昂る。
顔を真っ赤に染め、驚きと胸に抱かれたひと時にリンネ嬉しさが滲んだ。
「んっ?」
先程眺めた奇跡の切欠を与えた書面──さらによく見返すと裏面にこんな言葉が記されていた。魔導の為、勉学に励むヴァイロでさえ辛うじて読めるか怪しい文章。
『للي بيؤمنوا بالإلهة السوداء، احذروا متلمسوش 'إنزو'』(黒い女神を肯定する者に告げる。’Enzo’に触れてはならぬ)
あからさまに英文でも旧イタリア語でもないと悟れた。掻き乱されるヴァイロの心中。魔導書にて普段読み慣れたルーン文字辺りより難解に思えた。
──Enzo? イタリア付近で聞く男性の名前だが……。
Enzoに込めた意味。直接的な分は取れないヴァイロ。然し『黒い女神』は恐らくレヴァーラ・ガン・イルッゾに違いない。
『レヴァーラ・ガン・イルッゾを追い求める者へ。Enzoに触れる愚かを禁ずる』
根拠はないが、そんな様子を読み取れたヴァイロ。兎に角断片だけ追えた気分に胸撫で下ろしリンネの緑髪を優しく撫でた。




