第29話 紫闇が保つ争いの天秤(ᛒᚨᛚᚨᚾᚲᛖ)
ヴァイロ陣営護りの要石──。
ミリア・アルベェリアが転生果たした明くる朝から、時間を巻き戻し舞台も変える。
森の都ラファンの首都──ディオルに仮籍を置いた若過ぎる白銀の女神とその周囲の話だ。
黒い双刀がトレードマークである白側の修道騎士レイシャ・グエディエルが、呼び出しを喰らい蛮勇の剣は形を潜めた。
戦之女神がディオルに於ける仮宿として接収した町長の家。
肩を落としたレイシャの背中はまるで法の守護者から、謂れのない注意を受ける困り顔な咎人の様子に似ていた。
敵の間者──シアン一行をみつけながら、誰も呼ばずに手柄を独り占めしようとした状況報告を強いられていた。
レイシャ的にも反省している。
納得ゆかないのはただひとつだけ──。
自分より実力の低いただ実直だけが取り柄の総長。彼の引率が大層気に入らないのだ。無理矢理首根っこを掴まれた猫を彷彿させた。
「こ、この度はレイシャが誠に勝手な真似を致しまして……」
「も、申し訳ございません……」
総長は『頭が高い』とばかりにレイシャの頭を、もっと下げろと強引に押さえ込む。
レイシャ──。
女性の頭とは心溶けた者だけに赦される云わば聖域。『なんでこんな奴に……』云われようのなき腹立たしさ、反吐が出そうだ。
「フフッ……まあ良かろう。レイシャが完全に遅れを取ったと云う訳でもあるまい? それに此方の戦力を奴等めに見せつけたと云う意味では、むしろアリと言えなくもない」
元々ディオルの長が座っていた独り掛けのソファ。可愛い女神には、ちと有り余る椅子から轟く神々しい戦之女神の冷笑。
「え、エディウス様っ!」
暴風雨が降り止んだ後の空が如く晴れ渡るレイシャの顔。女神の薄ら笑いがむしろ救済に思えた瞬間。
「今頃連中さぞかし泡を喰ってることだろうよ──だが黒い刃の正体を知られてしまったのは痛かったなフフッ……」
「──ッ!」
愛する女神より一回持ち上げられてからの駄目出し。
大いに沈むレイシャ、額に影落ちる。
されどエディウス実の処口角を上げ、友達の一喜一憂ぶりを親しみ嗜む気分の少女が面持ちなのだ。
白銀の少女と白い鎧を着る黒い双刀の騎士は、役職を超えた場所に友情を置いた間柄。
なれど今は理不尽な地位だけが許容される面前──。
頭を下げるしかないレイシャを見て、少し意地悪く接するのも一興と嗤うのだ。
「それにしてもあの傭兵シアンが黒に付いたか」
此処で戦之女神の冷笑が初めて消えた。シアン・ノイン・ロッソと彼女に付き従う子供達の存在。
不味いだけのエスプレッソを押し付けられた様な渋い顔に沈む女神。
「──ッ……」
こればかりは苦虫を潰した顔のレイシャへ同情せずに要られぬエディウス。『仕方ない』と肩を叩いた処で相手の悔しさをより焙煎だけ。
剣を取り己が独りの力を信じ孤独な戦いを挑むとはそうした覚悟。剣を交える者達に真実の友人など身内にも在り得ないのだ。
「──がっ、良くぞ凌いでくれたレイシャ。礼を言わせて貰おう。これで此方も心構えが出来る。これからも私の為に励んでくれ」
躰つきだけ小さな少女が発した最大限の気遣い。
元・町長の椅子に沈みながら少々無理な体制で頬杖をつき、声に重きを置く。
戦を司る女神の本領──戦場でなくとも戦士達の士気昂らす心得。
「ハッ! 勿体なき御言葉! このレイシャしかと受け留めました!」
立膝をつき恭順の姿勢。大層良い声で己が女神に改めて誓いを立てた様相。
然しレイシャ……裏腹な気分に揺らぐ、心だけでなく両肩さえも。
──か…可愛いっ──! 可愛過ぎて無理!
黒くて深いソファの上、まるで溺れかけた子供を混じらせ、戦之女神としての品格を必死にみせる笑いの壺にも映るのだ。
神の裏側──ひたすら愛すべき少女の頑張りをみつけたレイシャ。心の中で笑いと脇腹がつるのを必死に堪え、その場を後に退室した。
◇◇
白い流星の様に初冬の夜空へ飛び出したミリア。
恋敵リンネが『追い掛けろ』と咆哮した後──夜の神不在で半ば神主の立場をなし崩し的に背負うリンネが残された暗黒神の質素な神殿。
ミリアの危うい行動は皆の心が揺れ動く処。
然しそれでもシアンの話を……戦争の話を冷たくも続けなければならぬ現実。
傷だらけ、負傷の弟子アギドが師の代わりに口を開いた。先程シアン達から受けた報告の中、気になる兵の話を聴くべく。敗北が許されないのは皆一緒だ。
「──シアン程の手練れが苦戦を強いられたレイシャと云う女騎士、実に危険だ。影で間合いが伸びる? 正直要領を得ないが……」
眉間を押さえ、影を扱う剣術や魔導の類に頭を巡らすアギドの考察。
彼は己が神ヴァイロがミリアを連れ帰る様を直向きに信じる──否、信じ抜く意外に道が見当たらないのだ。
「残念ですが僕が保証致します。民家の上から俯瞰の位置でこの目に焼き付けました。陽が暮れるにつれレイシャはその場を動かず、シアン様ばかり押され続けたのです」
耳が尖っている以外、幼子にしか見えぬハイエルフのレイチから解説が告げられた。
このレイチの説得力といい、ニイナの躰つきもだがハイエルフの150歳──やはり人間の物差しで測れない物の怪じみた不可解を呼ぶ。
『どうせ何かのトリックじゃねぇの?』
適当な発言で断ち切ろうとしたアズール、発言前に頭の良い子供から口を塞がれた形。膨れっ面で床に躰を投げ出した。
「その……良く判らないんだけどさ。影で剣が伸びるんなら、いっそ影の中に逃げたらどうなるの?」
食後のハーブティーを皆に振舞い、素朴な疑問を投げるリンネの不思議顔。「ありがとう」丁寧な礼を同性のシアンから返され再び胸が跳ねる想い。
凡庸な疑問──されど重要視すべき事柄。
シアンがハーブティーに紫色の唇を口づけ、一息ついてからまた両手を組み顎を載せた。
「済まない、それについて私は正答を知らない。ただレイシャが『この黒い刃がただ暗がりを活かす為の剣だと思うならお前の底が知れる』と確かに云った」
シアンの冷静な言葉足らず──。
だからこそアギドとリンネへ緊迫した冷気の様な空気が流れたのを肌で触れた。
修道騎士レイシャ・グエディエルが未だ底を見せてないと自ずと知れたのだ。
アズールは独り寝転んだまま身体毎、シアンの視線から逃れている。悩んでも理解出来ぬのなら寝て休息を取るべき──そんな気分を態度で示す。
「嗚呼……何も君等を脅すつもりで今夜来た訳じゃないんだ」
ふっ……。
まるでシアンの前に揺らぐ蝋燭の灯火が幻、それを甘い吐息で吹き消したかの如き穏やかな笑みを子供達に振舞う。
「確かに戦之女神に関わる状況は深刻だ。先ずはそれを頭に入れて欲しかった。然し君達の目的はあくまでこのカノンを護る事。ディオルに討って出ろと云ってる訳じゃないんだ」
別人の様に女性シアンの柔らかさを前面に押し出す笑顔。
思春期只中、大人の言葉を理解出来るヴァイロの弟子達。一瞬に肩の緊張が解れる。
「我々カノン側の戦力増強は確かに急務。だが戦の優越とは、それだけで決まるものではない。負けない御膳立てを整えるのがシアン・ノイン・ロッソの仕事だ」
戦争の話を魔法の様にすり替え、安堵を与えたシアンの微笑み。争いの天秤を傾ける女の面影が滲み透けた。




